お面の少女

猫屋敷 中吉

第1話

 【 お面の少女 】



 未だ、山からの寒風が吹き降ろすこの時期に、北の街道を通る者はほとんどいない。

 西の都へと繋がるこの街道を、一人と一匹が歩いていた。

 街道沿いには梅の木と、足元にはツクシにたんぽぽが花開き。

 春らしい柔い日差しと澄んだ風に、街道脇の梅の木も、小さな花を咲かせてた。

 白や朱色と可憐に咲く花を、楽しむ者は今年も少ない。


 ある噂に導かれ、黒き者と銀の獣は旅をする。


 風にたなびく黒いマント、フードを羽織りしこの者の、その表情までは窺えない。

 汚れたマントより出た手足に、見れば少女と予想がついた。

 陽を浴び白銀に光る狼と、黒い少女のこの旅は、西の都を目指してる。



 風に攫われ舞う花びらが、少女の目の前を掠めて落ちた。その可憐な花びらに、思わず少女は仰ぎ見る。

 羽織りしフードがハラリと落ちて、少女の顔が窺えた。

 


 白い髭を蓄えた、不気味な笑みの翁のお面が、少女の顔を隠していた。




 少女はフードを目深く羽織ると、獣を連れて歩き出す。その一人と一匹の後ろには、淡くピンクに色付くツツジの花が、山の緑に映えていた。






 白銀の狼が足を止め、鼻をひくつかせる。


 “ クロ。……誰かいるよ ”


 街道脇のタンポポの群生地に、白銀の狼が顔を向ける。


「ギン……。また行き倒れを見つけたの?」


 クロと呼ばれた黒マントの少女は、白銀の狼、ギンに答える。


 “ んっー。今度は生きてるっぽいよ。どうする? ”


 ギンは少女を見つめると、すぐにその場から走り出した。そしてタンポポの群生地の中にペタンと座り込むと、またクロを見つめる。


「あ〜、も〜!急いでるのに!」


 クロは、口を尖らせながらもギンの元へと向う。出会った頃からクロは白銀の狼、ギンと会話をする事が出来た。クロにとっては当たり前すぎて、もはや気にもしていないようだが。


 “ ここ、ここ、ここ掘れクロ。ワンッ! ”


 ギンは楽しそうに、尻尾をフリフリしている。


 花を咲かせるお爺さんか、わたしは!……確かに、翁のお面を付けているけど。


 ギンに近付くと、花満開のタンポポに埋もれるように、五〜六歳の男の子がうつ伏せで倒れていた。

 手には手紙らしき物を握り締め、足元には石が突き出ている。

 多分、風に飛ばされた手紙を追いかけてタンポポの群生地に入ったものの、この突き出た石につまづいてしまったのだろう。


 ギンが男の子の顔をペロペロ舐める。


「ギン!やめなさい!この子が起きたら、面倒でしょ!」


 ヤバッ、大きい声出ちゃった。


 ギンはまだペロペロ舐めてる。


「ギン!!」


 ヤバイ。もっと大きい声出しちゃった。


 う、う〜んと男の子が気が付く。


「行くわよ!ギン!」


 厄介事は御免だとばかりに、クロは街道へと戻ろうとするも。「あ、あの」……やっぱり声を掛けられてしまった。ハァー、面倒くさい。


「あの……。オイラのお母ちゃん、知りませんか?」


 男の子は立ち上がって、私を見つめながら、訳の分からない質問をしてきた。


「はぁ?……知らないわよ」


 私の答えを聞いて、手にしている手紙を握り締め、途端に泣きそうになる男の子。しかもこの子の姿が……アレだった。


 この子ってば、鼻血は出てるし、膝からも血がでてるし、顔も擦り傷だらけで、服もドロドロ。……ハァ、ため息しか出ない。

 


 ヒック、ヒックと涙を堪えて、シャクリ上げる男の子。その横で静かに座っていたギンが、話しかけてくる。


 “ ……クロ。……クロ。どうするの? ”


「もう、わかったわよ!……あなた、名前は?」


 少し苛ついた所為で、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。男の子は、私の言い方にビクッとなってたし。


 “ クロ。……言い方 ”


 わかってるよ。……ギンはうるさい!


 私は男の子の前で膝まづき、目線を合わせて、優しく、優しく、声を掛けた。


「僕。……大丈夫?……どこから来たの?……お姉さんがお家まで送ってってあげるよ」


 これでいいんでしょと言わんばかりに、ギンを睨む私に。

 ギンはすまし顔で、うんうん頷いている。上からの感じが、余計にイラつく。




「お、オイラは、……ヨイチロウ。……ヨイチロウだけど。……お姉ちゃん?……なの?」


 ヒック、ヒックいいながらも、答えてくれたヨイチロウ。私のフードに隠れてたお面を見て、首を傾げる。ホラッ、いきなり面倒くさいじゃない!


 ギンを見ると、ソッポを向かれた。イラッ!……ギ、ン。あとで尻尾ギュッの刑、確定ね。


「あー、んー。……お姉ちゃん、超絶ブスだから、そのー。……お面で隠してるんだ。ゴメンね」


 って、な、ん、で!私が謝らなきゃいけないの!引きつった笑顔でギンを見たら、これ以上に無い、首のネジリ方でソッポを向いてる。……ギ、ン。あとで尻尾ギュッ&ギュッムの刑、確定ね。



 グー。ヨイチロウの腹の虫が鳴いてる。私は、ため息ひとつ付いて肩掛けの鞄から、干し芋を出してヨイチロウに渡した。

 いいの?って、お腹すいてるんでしょ、食べなさい。


 ヨイチロウが食べてる間に、鞄から綺麗な手拭いと水筒を取り出し手拭いを湿らして、鼻血と顔と膝を綺麗にしてあげた。……服は後でいいか。

 ギンはお座りのまま、私を見つめている。なんか文句あるの!


 クロは優しいねって、私は優しくなんかない。ギンがこの子を助けたいんでしょ。……私じゃないわ。


 この子が食べ終わるのを待って、お家を聞いてみた。そしたら……アッチだって。どっちって聞き返したら……ソッチだって。はぁー、らちが開かない。

 質問を変えてみた。どのくらい歩いてきたの?って聞いてみたら、二日ぐらい歩いて来たと。しかもひとりで。

 

 あー、私はてっきり、だだの迷子だと思っていたのに、違うみたいね。

 頭を抱える私に、ヨイチロウはニコニコしながら。


「お姉ちゃんコレ。……オイラ、字が読めないから、……お母チャンが置いていったお手紙、読んで」


 そう言ってヨイチロウは、クシャクシャになった手紙を渡してきた。とりあえず目を通して見る。



『与一郎。あなたを置いて行くお母チャンを許して。少しだけお金を置いて行きます。本当にゴメンなさい』



 あー、うー、これはアレだ。言っちゃダメなヤツだ。……だけど、ヨイチロウがキラキラした目で私を見てる。


 “ ……クロ ”


 ギンが心配そうに私を見てる。……わかった、わかったわよ!



「ヨイチロウ。お母さんは、お仕事で遠い所に行ったみたい。……だから、暫く会えないって」



 ハァー、いらない嘘までついてしまった。途端に、シュンとなって俯くヨイチロウ。そして小声でゴニョゴニョ何か言っている。


「お母ちゃんどこ?……お母ちゃんどこいったの?」


 泣きそうなヨイチロウを見兼ねて、私はまた嘘をついてしまった。


「多分、大きな町で働いているんじゃないかな」


 今の私、目が泳いでる。


「隣の町ぐらい……」


「イヤ!もっと大きい町かな」


 ヨイチロウがチョット元気になって来た。


「あっ!オイラ知ってるよ。前にお母ちゃんに聞いた事あるもん。西の都だよね」


 ヨイチロウ、満面の笑みってヤツだ。


「あー、うー。……たぶん、そうかなぁ」


「やったー。お母ちゃんに会えるっ。お母ちゃんに会えるっ」


 お姉ちゃんありがとう、ってピョンピョン跳ねながら、ヘンテコな踊りを全身で踊ってる。

 今更、嘘だなんて言えないし、気付けばギンも一緒に跳ねてるし、ハァー、ため息ばっかりだ。


 察しはついてるが、一応最後に聞いてみた。

 

「ヨイチロウ。何であんな所にいたの?」


 私の質問にこの子は、屈託の無い笑顔のままに。


「お母ちゃんが好きな花だから、オイラもタンポポ好きなんだ」


 って、答えになってない。ハァー、やっぱり子供は苦手。





 西の都。私の旅の目的地で、風の噂で聞いた、呪術師がいる場所。

 私がお面を付けている理由は、顔の呪いを解いてくれる呪術師を探すこと。そして、ギンの母親が連れ行かれた街に行くこと。だから、面倒事は、極力避けて来たつもりだったけど……。


 結局、私とヨイチロウとギンの、二人と一匹で西の都に行くことになったわ。


 ハァー、ギンは自分と似た境遇のヨイチロウを、放って置けなかったのね。……ギンは優しい子だから。

 だから私はギンと一緒にいられるんだけどね。


 


 道中、ヨイチロウが色々と母親のことを話してくれた。どうやら物心つく頃には、母親と二人暮らしだったらしい。

 そして大事に懐にしまっていた巾着袋の中を見せてくれた。母親と一緒に川で拾った綺麗な石と、赤い折り紙で折った鶴。

 ヨイチロウは、自慢げに私に見せてくれて、私が綺麗ね、って言ったら凄く嬉しそうにしてたわ。


 ヨイチロウは巾着袋を大事そうに懐にしまうと、母親がいなくなる前後のことも話してくれた。

 母親がいなくなる一か月ぐらい前から、知らない男の人が頻繁に来て、ご飯を一緒に食べていたみたい、そしたら暫くして母親がいなくなって。

 一週間ぐらいはヨイチロウ、ひとりで家にいたらしいけど。その男の人も、母親がいなくなってから家に来てないって。それって、やっぱりアレじゃない!



 ムフゥーー。今回の旅で一番のため息が出てしまった。だって、男の人は母親のアレで、アレして、二人でアレしちゃった訳でしょ。……自分勝手すぎじゃない。許せない!


 寂しそうな目で話すヨイチロウを見てたら、堪らず抱きしめていた。だって、あまりにもあんまりだから。そしたらヨイチロウ、お面が痛いって。うー、このお面を外したら、きっとあなた怖がるから。……私の顔は呪われている、だからあなたに見せたく無いの。


 夕方には、街道沿いの村に着いた。今夜は、ここで宿を取ろうと思う。

 宿場町では無いので宿が一軒しかなく、迷う事なくこの寂れた宿に泊まることにした。もちろん、犬は馬小屋にって宿の女将さんに言われてしまってね。

 犬じゃないんだけど……シュンとしょげるギンに、後で何か美味しい物でも持っていってあげようと、ヨイチロウが気にしていたっけ。優しい子だな、ヨイチロウ。


 

 宿の夕食にはまだ時間があるので、先にお風呂を頂く事にした。ついでに、お洗濯もしとこうかな。エッ、汚い。別にいいじゃない、まだ川の水は冷たいのよ。

 

 宿のお風呂場まで行く私達を、好奇な目で見ている中居さん達に出くわした。

 勢いで旅に出てから、私とギンは余り宿を使ったことが無い。こうなる事も分かっていたけど、ヨイチロウもいるしで借りた訳なんだけど。

 仕方ないか、私の格好が変なのは自覚してる。


 そりゃそうよ。宿の浴衣を羽織って不気味な翁のお面をしているんだから、気持ち悪いはずよ。


 そんな私の気持ちを察してか、ヨイチロウが手を握って来てくれた。そしてこんな私に、屈託のない笑顔で微笑んでくれる。……ありがと、ヨイチロウ。


 辿り着いたお風呂場には先客がいて、若い母親と小さな子供がたのしんでいたわ。私はヨイチロウに隠れるようにして湯船に浸かったけど。このお面は、お子様には刺激が強いから。


 二、三十人は入れそうな湯船で、この親子はキャッキャッ言いながら遊んでいた。

 それを羨ましそうに見つめるヨイチロウに……私は何も言えずにいた。大丈夫、あなたのお母さんは必ず見つけてあげる。



 ゆっくり温まって部屋に戻ったら、夕食の準備もされていて布団まで敷いてあって、ヨイチロウは「わー」と夕食の肉鍋に凄く喜んでくれた。

 もちろん、私もハシャギたい所だけど……。お姉ちゃんだからな〜、わたし。


 お腹いっぱい食べたら、ヨイチロウは舟を漕ぎ始めて、布団に入れたらすぐに眠ってしまったわ。よっぽど疲れてたのね、それとも安心したのかな?


 程なくして、私も布団に入る。けれどお風呂場で見た親子を見て、思うことがあって中々寝付けなった。

 私はあの親子に、幸せだった頃の自分を重ね合わせていた。



 半年くらい前の出来事。秋も深まり肌寒くなってきた頃に起きたあの事件、私達の家族を襲ったあの悲劇を思い出してしまった。


 商人の一人娘として育った私は、その日は両親と一緒にお母さんの実家に向かう筈だった。

 それはお母さんの妊娠の報告を兼ねての、帰省になる筈だっんだけど。

 私はこの時、本当に嬉しかったの。だって弟か、妹が出来るのよ。私はとても幸せだった。


 だけどお母さんが途中で具合が悪くなっちゃって、かかりつけ医がいる町がいいだろうって、結局、その日の内に家に戻ってしまったの。

 それがまさかあんな事になるなんて、未だに悔やんでも悔やみきれない。



 家に着いたのが遅い時間になってしまって、お母さんにまず横になりなさいって、お父さんが布団の用意をしてくれたんだけど。

 襖を開けたら、そこに隠れていた黒いマントの男が襲って来て、お父さんがお腹を刺されて血がいっぱい出て。

 

 今度は、私に襲いかかってきたの。……だけど、お母さんが私の盾になってくれて、お母さん胸をひと突きにされて、お母さん、口から血を吐いて動かなくなって。

 私、怖くて体が震えて、そしたら血をいっぱい出しながらお父さんが、ソイツを捕まえて「逃げろ」って言って。


 私、どうしたらいいか分かんなくて、お父さんとお母さんが死んじゃうって。……そればっかりで。

 


 私は手に触れた火鉢棒を、無我夢中でソイツの首に突き刺していた。



 だけどお父さんとお母さんは、その時に死んでしまった。……私の弟か妹と一緒に。



 ……そして私は、人殺しになった。



 ソイツは、しがみつくお父さんを振り解こうと、マントを脱いでいたから、お陰でコイツの正体が分かったわ。

 最近、家の使用人と仲良くしていた男だったんだ。チョコチョコ、家の店に遊びに来ていたから覚えている。


 多分、家族で帰省している事をしっていたんだと思う。何で知っているのか。家の使用人が教えたからとしか思い付かない。腐った世の中だ。


 私は、頭がどうにかなってしまいそうだった。悲しみや寂しさ、怒りや憎しみで、私は頭がおかしくなりそうだった。


 そしたら顔がむず痒くなって。……軽い疼痛。そして激痛が走った。その場で悶え苦しむしかなかった。暫くして収まってくれたけど。


 しかし、ホッとしたのも束の間、顔に違和感がある。鏡で自分の顔を見てみると……。




 目は左右づれて、鼻はひん曲がって、口は歪みひしゃげてる。……およそ、人の顔と呼べない顔がそこに写っていた。私の顔まるで……化け物だった。



 

 驚愕して、混乱した私は、落ちていた黒いマントとお父さんの旅行鞄、それと昔から嫌いだった翁のお面を持って屋敷から飛び出した。

 多分、この時の私は不気味な翁のお面が、今の自分にピッタリだと思ったんだわ。



 月の無い真っ暗な夜道を、私は逃げるように走ったの。……だって私はもう、化け物だから。



 

 私は宿の布団の中で自分のしてしまったことが怖くて、震えてしまっていた。それに気付いたヨイチロウが、私の布団に入って来て優しく抱きしめてくれたの。


 嬉しかった。


 久しぶりだと思う、こんなに人に優しくしてもらえたのは。……ありがとう、ヨイチロウ。あなたは本当に優しい子ね。


 そして、ヨイチロウに抱きしめられながら、私も眠りについた。



 次の日、ほぼ一緒に起きたヨイチロウとまたお風呂に入って、朝食を食べて。……んっ、なんか忘れてる。アッ!ギンを忘れてる!


 私達は身支度を整えて、ギンのいる馬小屋に急いだ。多分、怒ってるよなー、昨日別れたまま、ほっといたからなー。


 

「ギン!ゴメンね。……寂しかった」


「……」


 馬小屋に着いて、小さく丸まってるギンに声を掛けたけど。……無視された。あー、コレ面倒くさいヤツだ。ヘソ曲げちゃってるよ。

 

 ヨイチロウがタッタッタッとギンに駆け寄ると、バフッと乗っかった。


「ギン〜。会いたかったよ〜。ギン〜。嬉しいよ〜」


 って、ギンの背中に顔をスリスリしている。ギンもそのままの格好だけど、尻尾をフリフリしている。まんざらでも無いみたい、ヨイチロウのお陰ね。

 


 それから、この町で呪術師の噂と、白銀の狼の話と、ヨイチロウのお母さんの噂を聞いて周ったけど、大した情報は聞けなかった。


 ちなみに、ヨイチロウが皆んなに質問してくれたわ。私じゃ、怖がらせるだけだから。ハハッ、ダメだなわたしは。


 そして一週間掛けて二つの町を通ったけど、収穫はなかった。だけど、ギンとヨイチロウのお陰で、私は今、楽しく旅が出来ている。私は今とても幸せだ。


 “ クロ……。前と、雰囲気変わったね”


 フイに、ギンに話かけられた。


「当たり前よ。あなた達がいてくれるから、私は幸せなの」


 予想と違う答えだったのか、ギンはキョトンとしてしまった。そう、自分でも不思議だった、前の私なら普通に毒付くか、ボヤくかなのに最近は素直に、受けた恩に感謝してしまう。


 いつも私を見てくれるギンだから気付く、私の変化。ギン、いつも気にしてくれて、ありがと。


 ギンの背中をさすりながら、私は感謝の言葉を渡した。ギンは尻尾をブンブン振りながら、ソッポを向いてしまった。フフッ、照れてる。


 大きくなったギンの背中。三か月前、雪山で初めて出会った頃はまだ本当に小さかった。

 

 血の染み込んだ雪の上で、あなたはか細く泣いていたっけ。雪に残った人の足跡と、血溜まりから続く血痕で、私はある程度っしがついた。


 商人の娘だから分かる。白銀の狼の毛皮は、とても希少で人気がある為、高値で取り引きされている。……あなたのお母さんは、あなたを守る為に自分を犠牲にしたのね。

 そうじゃなきゃ、あなたは生きていない筈だから。あなたのお母さんは、とても強い狼だったのね。


 事件のあったあの日、屋敷を飛び出して山の中を彷徨っていた私が、たまたま見つけた無人の山小屋で、一人でひっそりと雪溶けを待つつもりだった、筈なんだけど。


 偶然あなたと出会った。

 

 だけど、あなたと一緒に暮らし始めて私は随分救われた。あなたが来る前の私、両親の事を思い出しては泣いて、人殺しである事実に酷く落ち込み、化け物みたいな顔に死にたくなった。


 酷いありさまだった私が、笑えるようになったのは、あなたがいつも側にいてくれたから。……あなたのお陰なのよ。



 雪が溶けて、まだ両親が健在だった頃に耳にした、呪術師の噂を信じて旅にでた私と、連れさられた母親を探すギンの旅に、目的は違うけど、大切なものを探す旅に私達は出発したんだ。

 





 次の町で、チョットした事件が起きた。不貞な輩から私が絡まれるって事件。たまにある事だが、難癖をつけられ、お面を取られてしまった私は。

 町の中で顔を晒すハメになったんだけど。……アイツ等に顔を見られるのは構わない、だけどヨイチロウにまで見られてしまったのがショックだった。


 私の顔に怯んだアイツ等を、ギンが追い払ってくれたんだけど。……この顔は子供を怖がらせてしまう。

 ヨイチロウに怖がられてしまうんじゃ無いか、嫌われてしまうんじゃ無いかと、私は気に病んだ。



 だけどヨイチロウは、私に抱きついてくれて、大丈夫? 大丈夫?って心配してくれた。

 私は嬉しかった。ヨイチロウは、私の姿、形じゃ無くわたし・・・を見てくれていた、化け物みたいな私じゃ無く、わたし・・・を受け入れてくれた。それが嬉しくて、すごく嬉しくて……泣いちゃった。

 そしたら、ヨイチロウも一緒に泣いちゃって、フフッ、本当にこの子は優しい。私は、ヨイチロウが本物の弟のように思えてきちゃった。



 私を救ってくれたアナタを、受け入れてくれたアナタを私は全力で守りたいと、本気で思った。




 だけど、この幸せも長くは続かなかった。あと二週間もすれば、西の都って所まで来て。

 峠を越えていた時、下りに差し掛かった所でギンがしきりに辺りの匂いを嗅ぎ始めたの。


 山の上を見据えて、どうしたの?って聞いたけど、ギンは歯を剥き出して森の中に入って行った。

 ギンの名前を呼んでも、何の音沙汰もない。何事かと、私とヨイチロウも付いて行ったけど、ギンが早すぎてどっちに行ったのかも分からない。


 そんな状況の中、ドーンと甲高い銃声の音が山に木霊して。鹿が一頭、私達の横を擦り抜けて行く。

 

 嫌な予感がして、私は鹿の来た方向に行ってみた。そして森を抜け、開けた場所に出て、そこにギンとライフルを持った男の人がいた。


 ギンは、毛を逆立て身を低くしてソイツに唸り声を挙げている。ソイツは、ライフルの標準をギンに向けて、今にも弾き金を引きそうだ。


 私は、混乱してしまい、とにかくヨイチロウを安全な所にと、後ろにいるヨイチロウの手を取ろうとするも……。ヨイチロウがいない!


 私は、急いで辺りを見渡した。


 小さい人影が、綿毛姿のタンポポの群生地の中に見えた。だけどそれは、ギンの真後ろで。

 ヨイチロウはギンを助けようとしていた。


 堪らず、私は叫んでしまった。


「ヨイチロウ!!」


 ドーン! 私の声に驚いたソイツは弾き金を引いてしまった。ギンは横に飛んでコレを交わすが、真後ろにいたヨイチロウが……。ヨイチロウの体が宙に浮いて、草むらに隠れてしまった。



「あっーーー!!」


 私の頭は真っ白で、何とかしなきゃとそれだけで。……このままじゃ、ヨイチロウもギンも死んでしまう!!


 そして私がとった行動。ライフルの玉を変えてるソイツに、私はフードを取ってお面を放り投げ、髪を解き、大声で叫んでソイツに迫った。


 

 恐ろしい顔の黒づくめのヤツが、髪を振り乱し、叫びながら迫って来る。その姿が余程怖かったのか、ソイツは。

 驚愕の表情でライフルを放り投げて、逃げようとした瞬間。斜面に足を取られ、転がり落ちてしまった。



 私はソイツの事などお構い無しで、きびすを返しヨイチロウの元へと急いだ。


 ヨイチロウ、ヨイチロウ。……ヨイチロウ!



 けれど仰向けに倒れているヨイチロウは既に、虫の息で……。彼の胸からは大量の血が流れ出ていて。……もう、何も出来無かった。

 タンポポの群生地で、私は膝を落とすことしか出来なかった。

 

 ヨイチロウ、ヨイチロウ、ヨイチロウ。


 溢れる涙で目が霞む。私は縋るように彼の腕にしがみ付く。


 ヒュー、ヒューと空気が漏れる音と血を吐きながらヨイチロウが、何か話そうとしているのが分かった、でも、私は何もしてやれない。私は何も出来ない。


「ヨイチロウ、ヨイチロウ。ゴメンね、お姉ちゃんヨイチロウを守れ無かった」


 私の掠れた声に、ヨイチロウは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。



「お、ねぇ、ちゃん。……笑って。……おねぇ、ちゃん。……だい……好き」


 そう言って、彼の腕に縋る私の、頭を撫でようとするヨイチロウ。……彼の手は私の頭に届かず、そのまま地面に落ちてしまった。



「あぁーー。あー、あー、ぁあーーー。あぁー、あーーー」


 ヨイチロウは微笑みながら、動かなくなった。



 もう、彼の笑顔が見れない。声を聞くことも、話しをすることも。もう、抱きしめることも出来ない。

 そう思ったら、私、生まれたての赤子のように泣いていた。彼の優しさに、思いやりに、私は何度救われたことか。

 私は彼を抱きしめながら、声が枯れるまで泣いた。


 一晩中泣いていた私は、空が白む頃には泣き疲れ、彼に縋りついたまま眠ってしまっていた。





 気が付けば、辺りは夕方になっていて、茜色の空に、彼の顔もほんのり色付いて見えた。

 もしやと思い、彼の顔に触れてみるも……やっぱり、冷たいままで。私はまた泣き崩れてしまった。



 優しく微笑んだままの彼、最後まで私を思いやってくれた彼。……私は彼を、本当の弟のように愛していたんだ。



 輝く星空の下、タンポポの綿毛が風で舞っている美しい世界の中で、私は地面に穴を掘っていた。


 爪が割れようが、指から血が出ようが、お構い無しで、私は地面に穴を掘っていた。もちろん、ギンも手伝ってくれて。


 ヨイチロウが大好きだと言っていた、タンポポの群生地の中に。



 私とギンはヨイチロウを丁重に埋葬すると、もう一晩、皆んなでここで眠った。


 見上げた星空はとても綺麗で、綿毛が舞って幻想的に見える。


 “ お星さまが、お布団掛けてるみたいだね ”


 多分、ヨイチロウが言いそうな言葉を想像した。そして私が、そうね、って答えると彼、満面の笑みでヘンテコな踊りをして喜ぶんだろうな。


 想像に泣き笑いをしている私に、ギンが心配そうな顔で覗き込んできた。


 ありがとうギン。私は、大丈夫よ。


 そう答えて、懐にしまったヨイチロウの宝物を優しく撫でた。


「ワン!」


 ワンって何よ!犬みたいに、キチンと言葉にしなさい。



 私とギンは、ヨイチロウの側で一晩明かした。



 次の日の朝、ギンがお面を探してきてくれた。私はギンからお面を預かるも……ギンが、しきりに私の顔を舐めてくる。


 なに!なんなの!ギン、答えて!


「ワ、ワン!」


ギンが話さない!アレッ……私の顔、引き攣ってない!


 毎日の事で慣れていたが、私の顔は常に引き攣った感覚があった。……それが今日は無い!



 私は慌てて、鞄から手鏡を取り出し、そこに写ったものに驚いた。……鏡の中には、化け物になる前の、私の顔が写ってる。

 本当の名前『桃子』と呼ばれていたその頃の顔に、お母さんに良く似た、愛らしい顔がそこに写っていた。




 ……呪いの正体は、自分にあったんだ。



 人に対しての憎しみ、人を殺した罪悪感、両親を殺された深い悲しみ。それらが呪いの正体だった、自分で自分に掛けた呪いだった。


 ヨイチロウとギンが私に教えてくれた。ヨイチロウとギンが癒やしてくれた。ヨイチロウとギンが救ってくれた。

 人を信じる心や自分を許す気持ち、そして何より誰かを愛する気持ちを思い出させてくれた。



 ワン、ワンと鳴きながら私の周りではしゃぐギンを、優しく抱きしめていた。ギンも尻尾をブンブン振って顔をいっぱい舐めてきた。



 ありがとう、ありがとう。ヨイチロウ、ギン、二人とも大好き。



 そして私は決意した。



 身支度を整え、黒いマントにフードを目深く被り、顔には白い髭を蓄えた不気味な翁のお面を付ける。

 私のいつもの格好に、ギンが首を傾げてる。


「ワフ、ワフ、ワン!」


 フフッ、いいのよこれで。……この姿が、ヨイチロウが大好きって言ってくれた姿なんだから。


 そして私はまた旅に出る。今度はギンの母親を探す旅と、ヨイチロウ、私の弟の母親を探す旅に。


 ギンが名残惜しそうに、ヨイチロウの墓を見つめている。私もヨイチロウの宝物を摩りながらギンに声を掛けた。


「ギン。ヨイチロウが願ったこと覚えてる!」


「ワフン!」


 笑顔でって、ヨイチロウは私達に願った。だから私達は笑顔で旅に出る。彼から貰った、沢山のものを返す旅に。


「ワウー?」


 ギンが私を見つめてる。多分、どこに行くの?って聞いていると思う、だから私は答えてやったわ。



「ヨイチロウの母親をぶん殴りに行く旅よ」


 ってね。




 北から続く街道を、黒い少女と白銀の狼が歩いている。街道脇にはいつのまにやらの桜並木で、花を新緑の葉に変えた桜並木、燃ゆる緑で夏の訪れを待っていた。


 桜に寄り添い巻く朝顔が、初夏の太陽に咲いていた。




終わり。

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