[21]無理解 -六花絹江-

 黄昏時も過ぎて、空はどんどん暗くなる。

 病室のカーテンは閉められて、蛍光灯の白のみが病室を照らす。そうなればどこにも逃げ場なんてないから、アタシは自分のベッドの上に戻った。夕飯とか検査とかそういう諸々のタスクを終えると、就寝時間までの間、アタシ達はまた病室で二人きりになる。


「ねえ、六花さん」

「……なんだよ」


 小説に目を通しながらではあるが、珍しく美月の方から話しかけてきた。

 アタシはベッドに寝っ転がって返事をする。


「どうして付き合ってくれたの」

「ああ?」

「……“呪い”なんかないってわかってたんでしょ」

「あいつらの慌てふためく顔が見たかった。それだけ」

「……嘘つき」

「嘘じゃない」


 実際、それが全部ではなかった。

 美月の纏っていた、美月に抱いていた、いわゆる超自然的な畏怖は、美月と行動を共にしている間に消え失せていった。

 当然だよな。だって美月と一緒にいるからって、幽霊が出てきたりとかしたことは一度もなかったから。喉元過ぎれば熱さ忘れる。何にも起こらないと分かれば、そりゃあ怖くも何ともない。

 けれどそれでも、アタシは美月を裏切ることはなかった。さりげなく復讐されたり、半ば自爆テロするハメになったり、山根と愛川にボコられたり、面倒な役回りを押し付けられたりしても、何だかんだでアタシは美月の計画に加担し続けた。

 ごろんと寝返りをうつ。あー病院のベッド最高ー。マジふかふか。家に持って帰りたいわ。


「まあでも、何つーか……お前のことは怖かったよ、最初から」

「……最初から?」

「ああ。多分きっと、初めて会った時から。だって何考えてるか全然分かんねーし。だからみんな怖がって、美月をハブってたんだよ、きっと」

「分からないから、怖かったの?」

「そりゃそうだろ」

「じゃあ、今はもう、怖くない……?」

「いや」


 アタシは枕に頭を埋めたまま、美月の方に視線をやる。

 美月は小説の隙間から、ちらりとこちらの様子を窺っている。


「こえーよ、今でも」


 アタシがそう言うと、美月は不思議そうに首を傾げる。


「あのさ、普通の奴は思いついてもしねえんだよ。ノートにひたすら『死ね』なんて書き込んだりもしねえんだよ。だからあのノート見た時、アタシは美月がこわくなった。殺されちまうんじゃないかって」

「ああ……そんなこと言ってたわね」

「でもさ、それって幽霊がどうとかじゃなくて……何つーの?」


 アタシは上半身を起こすと、ベッドをギシギシして遊びながら、言葉の続きを考える。


「あーっと……つまり、美月っつー“人間”が恐かったんだよ」

「私が?」

「多分そう」


 何となく、アタシは思ったことをそのまま口に出してみた。

 美月は、複雑そう……というか非常に不服そうにジト目で睨んでくる。

 しょうがないだろ。確かに美月の好みは正体不明の怪異とかなんだろうが、人間は実感できる脅威の方が恐ろしく感じるんだよ。

 アタシは和ホラーよりゾンビ映画の方が好きなんだ。ゾンビに噛まれたら死ぬ。死ぬのは恐い。キューイーディー証明完了。


「お前なんか刺してきそうな雰囲気あるもん。あん時だって、途中でアタシが裏切ろうとしたら、それこそただ死ぬより酷い目に遭いそうで」

「私のこと何だと思ってるの」

「やべーやつ」

「あっそう……」

「そういう六花こそ、アタシのこと何だと思ってんだ」

「人間のクズ」

「よ、容赦ねえな……」

「蹴り倒して放置してったの誰?」

「う……その……」

「いいわ、それ以上聞きたくない」


 美月は小説に目を通しながら、カバーに指を滑らせる。

 なんか見覚えあるなあの表紙。

 ……あ。アタシがこの前コ-ラぶっかけて駄目にしたやつと一緒の表紙だ。

 アタシは一気に気まずくなる。


「貴方たちっていつも勝手。勝手に手を出して、勝手に怯えて、勝手に反省して、いつも自分の都合だけ」

「……美月だって大概だろ」

「貴方にだけは言われたくないわ」


 ぱたんと本を閉じ、美月はごそごそと布団に潜っていく。もうじき、就寝時間だ。アタシも何となくスマホを取り出して、何するでもなくホーム画面を眺める。


「ねえ、まだ私のこと恐れてるのよね」

「……悪いかよ」

「ううん、とっても素敵……」


 ちっとも素敵でなさそうに、ぶっきら棒な返事をして、美月は首のないうさぎのヌイグルミを天井に向かって掲げる。

 綿の抜けたヌイグルミは殆ど外皮だけでぺしゃんこだ。アタシにはなんだか、死体で遊んでるみたいで気味悪く思えた。


「私は貴方を許さない」

 

 美月が呟く。


「忘れなんてさせない。楽になんてさせない。貴方と私は、一生同じものを抱えて生きていくの……」

「……嫌だって言ったら?」

「ふふふ……そんなの、貴方が一番良く分かってるでしょう……?」


 天井の向こう側を見つめるようにして、うっとりとした声色で美月は囁く。

 ああ、余計なこと言っちまったな。

 あいつの手に収まってる凶器が“呪い”のままなら、どんなに良かったか。

 今の美月なら、きっと笑顔でアタシの胸に包丁を突き立てられるだろう。そっちの方が、アタシは恐ろしいから。

 だからアタシは逆らえない。美月もアタシに逆らえない。互いに互いの暴力が恐いから、アタシ達は対等だ。結局、暴力こそが絶対のルール。揺るぐことのない、セカイの真理だ。

 アタシが返事をする前に、消灯時間になって、病室の照明が消える。あんなに白かった病室内も、電気が消えると真っ黒。

 携帯のライトだけが薄く室内を照らしていたが、アタシは何となく液晶の電源を切った。

 闇。目が慣れなくて、本当に暗い。


「病院って不思議よね」


 美月の声が聞こえる。


「命を救う場なのに、沢山の命が失われる場でもあるわ」

「そりゃ、当たり前だろ」

「この部屋にも、何人のかしらね」


 携帯の灯りにやられた目がしぱしぱして、美月以外誰もいない筈の病室の闇に、渦巻くを生じさせる。


「ねえ……六花。山根さんは独りで死んでいったのかしら」

「なんだよ、急に」


 金縛りに遭ったかのように、両手両足が動かない。

 冷房の稼動音が、微かに聞こえる風と虫の声が、ぐるぐる混ざり合って、壊れたラジオのようにざわめく。 

 ひた、ひた、ひたと、病室に向かってゆっくり何かが近づいてくる。

 視界を染める闇が段々増えていって、自分と美月以外の情報が希薄になっていく。

 息が上がり、鼓動が高鳴り、ぐっしょりと患者衣を汗で浸して、そうして恐怖で震え上がりそうになり。

 心臓が止まる刹那、美月の呟きが耳に入る。


「なら、きっと」


 それが、さいごに聞いた声だった。


「二人で死ねれば幸せよね」






  *



    *










「ざけんな、アタシは死にたくねえよ」


 闇の中で、アタシは瞼を閉じて眠りにつく。

 迷妄だ、全部。

 第一、闇って確かに怖いけどよ。

 闇に呑まれなきゃ、アタシら寝ることもできやしねえんだ。



* * *



 その後、アタシと美月は無事に退院した。

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