[20]死 -六花絹江-
隣の隣の隣町の病院。
美月は、そこに入院していた。
そしてアタシも入院していた。
なんかリンチのダメージがヤバかったらしく、内臓とかが結構損傷しちゃってたらしい。おかげで美月と一緒に手術受けるハメになった。
今は互いに術後経過良好ってことで、こうして二人同室で快復のときを待っている。
適度に冷房の効いた室内は、清潔感のある白い内装と、窓から差し込む陽光が、まあまあ快適な空間を作り出す。
けれど、今日のアタシと美月の病室には、ひどく息苦しい空気が漂っていた。
「なあ、麻酔って怖かったな。ぜんぜん痛みが無くなっちまうんだから。腹かっさばかれてるってのによ」
「ええ、そうね」
「……」
「……」
夕方の病室は、蛍光灯の白い明かりに照らされている。カーテンに遮られた太陽は、窓際で控え目にオレンジを主張するのみ。
二人、それぞれ自分のベッドに腰掛けて、入院すると着るやつ着て、互いに相手の向こう側の壁を見ている。
元々美月と会話なんて弾まないが、これはそういう次元の問題じゃない。本題から離れた話題から始めて、場が暖まって来たところでさりげなく本題に入るとか、そういう小手先のテクニックが通じる状況じゃない。この限界まで冷え切った空気の中で、アタシは本題を切り出さなきゃならない。
「…………なあ、聞いたよな」
「ええ」
「……山根、死んだって」
死。
あんなことをしておいて、未だに実感のなかった概念。
子供のアタシたちには、無縁だと思ってた概念。
脅迫上の言葉遊びだと思ってた概念。
担任から、あっさりと告げられた。
山根が、やまねっちが死んだ。もういない。
生きていない。
美月の顔を見る。美月は、俯いていた。
何の表情も、浮かべてはいなかった。
「なあ……美月。……“呪い”――つってたよな」
「……ええ」
担任曰く、山根の死因は自宅のベランダからの転落。
暫定、自殺。
けれど勿論、アタシ達は知っている。山根はまかり間違っても自殺するような女じゃない。
担任の奴はそれ以上教えてくれなかったが、ネットニュースとか、学校のSNSグループとかで調べれば、その手の噂話は山のように出てくる。
帰宅途中の山根を見かけたが、様子がおかしかった。
当日、女子のヤバい叫び声を聞いた。
自分から手すりをよじ登って、飛び降りていった。
まるで、ヤクでもやってるんじゃないかって様子だった。
そして、そんな真偽不明の風説に紛れて、一際怪しく、それでいて厳粛に語られるウワサがある。
これは、六年一組の“呪い”なのだと。
「美月……はじめから、お前は……山根を、殺すつもりだったのか?」
アタシは、少しだけ震える声で、美月に問いかける。
「そんなわけないじゃない」
美月の答えは、そんなんだった。
「……もう貴方だって気付いてるでしょ。全部勘違いよ。貴方も、皆も、勝手に信じてただけ。騙されてただけ。私にそんな力はない。呪い殺せるって? 不幸にできるって? できるわけないでしょ、そんなことできるなら、とっくにやってる! とっくに貴方たちを殺してる……」
美月は、語気を強くして反論する。それは想定通りの答えだった。
ああそうだ。美月の言う通りだ。本当に“呪い”なんて操れるなら、始めからアタシ達を始末すればいい。何より、美月の意思で“呪い”殺したのなら、アタシと一緒にしょぼくれてる必要なんてない。堂々と山根の死を嘲笑えばいい。そうしないってことは、これは美月にも予想外の事態だってことだ。
「……満足? これで貴方と私の計画は終わり。もう関係ない。貴方と話すことなど何もない」
「ひっでえな。終わったらポイかよ」
嘲るようなアタシの軽口を歯牙にもかけず、美月は仏頂面を保つばかり。
そこで一旦会話が途切れ、静まり返った時間を過ごす。
位置の問題か病室はえらく静かで、空調の稼動音とアタシらの息遣いだけが、この狭い空間を占めている。
こういうとき、先に沈黙に耐え切れなくなるのはアタシ。
「じゃあ何で山根が死んでんだよ」
「…………」
「全部、嘘じゃなかったのかよ」
「…………」
美月は何も答えない。
アタシに答えたくないとかそういう意地悪じゃなく……マジもんの沈黙。
「なあ美月、お前、言ってたじゃねえか。“呪い”を信じたら、本当になるって」
「……だったら何よ」
「……きっと山根は、本当に信じてしまったんだ。アタシらが呪いをかけたんだって、呪いが本当にあるんだって、心の底から」
「何が言いたいのよ」
まとまらない推論を口から垂れ流す。
ひた、ひた、と足音がして、アタシは肩をびくっと震わせた。
廊下の方を足早に通り過ぎていく。多分、お医者さんだろう。――本当に?
「だから本当になった……アタシらの“呪い”が」
アタシは、今日一震えた声で、その妄想を口にした。
そうだ。アタシ達の計画は、もう本当に笑えるほど上手くいった。
上手に上手に出来過ぎて、何と死人すら出てしまった。
素晴らしい。想像以上の成果だ。百二十パーセントの結末といっていい。
……そして出来過ぎた結果は、演出係のアタシすら、この“呪い”という現象の内側に引きずり込んでしまった。
これは本当に、アタシ達の力で成し遂げた結果なのか? どうして一度もバレなかった? どうしてあいつらは面白いように嵌ってくれた?
小難しいことは全部、美月に投げていたから、実行中は全部美月のせいにしていられた。けれど今の美月は、ご覧の有様。じゃあ、何で山根が死ぬような事態にまで進行しちまったのか?
アタシ達に手を貸していたのは――何だ?
「なあ……こんなのアタシの思い過ごしだよな。全部美月の思い通りなんだろ、そうなんだろ……? なあ、頷いてくれよ美月」
「…………」
「なんで黙ってるんだよ……」
アタシはいてもたってもいられなくなって、自分のベッドから立ち上がると、美月の方まで歩いていき、その右隣に腰を下ろす。
「来ないでよ」
美月は嫌そうに身体をくねらせたが、アタシを追い出しはしない。
アタシはシーツの上を這わせるように左手を伸ばし、美月の右腕をぎゅっと握った。
美月はぴくりと反応し、抵抗しようとして、止める。
その腕は、小刻みに震えてた。何かに怯えるように。
アタシに? 違う、それだけじゃない。もっと大きなものへの恐怖が、その手入れのなってない美月の素肌に表れていた。
「離して」
「……嫌だ」
「何でよ」
「……だって、こわい……から」
「…………何が」
「美月だって、そうだろ……?」
「……貴方と一緒にしないで」
「強がるんじゃねえよ。いつも……助けを求めてたくせに」
「貴方に何が分かるの」
「バカにすんな。アタシだってそれくらい分かる……分かった上でイジメてんの」
「……最っっ低」
顔を合わせずに、どこか噛み合わない会話を続ける。
視線は、窓の形に切り抜かれた、夕日の射し込みにのみ向けられる。
「なあ……これからどうなっちまうのかな。みんな不幸になっちまうのかな。それともやっぱり……死んじまうのかな?」
「…………」
「アタシらもさ、やっぱり呪われちまってんのかな……? ほら定番だろ、ホラー映画だとさ、“呪い”に頼った奴も……みんな死んじまうんだぜ」
「…………」
「やだよ。死にたくねえよ。山根の後は追いたくねえ……助けてくれよ、美月……」
アタシは保健室での時みたいに、ひ弱な音色で弱音を零した。随分、無様な光景だっただろう。
けれど美月は、窓の方を向いたまま。
「終わりね、私達」
全てを諦めたかのように、そうとだけ、ぽつりと呟いた。
アタシは……ただただ身体の震えが止まらなかった。いつ訪れるとも知れぬ“死”に、無限の闇への恐怖に怯えていた。
いや……本当は違ったのかもしれない。仮に“呪い”があるのだとしても、ないのだとしても。それが犯罪として裁かれるものだとしても、そうでないのだとしても。故意だとしても、事故だとしても。
それでも、山根を死に追い込んだのは、そのきっかけを作ったのは、他ならぬアタシ達だった。
人が死ぬ。死を作る。殺す。人を殺す。
殺人。
そう。アタシ達は、人を殺したんだ。
昔のアタシが、山根が、愛川が、すぐそこまで迫りながらも、ついぞ踏み入ることのなかった境界線の向こう側。そこに、アタシ達は到達してしまった。
アタシが一番目を背けたかったのは、あるいは美月が一番目を背けたかったのは、その事実だったのかもしれない。
太陽が地平線の彼方に沈むまでの間、アタシ達はただ、日の光の当たらないベッドの上で、声を押し殺して泣いていた。
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