[17]舞台裏 -六花絹江-
「おい……おい、美月っ!」
例の廃工場。アタシは懐中電灯の光を頼りに、美月に駆け寄っていく。
首なしヌイグルミをはじめとする、工場にはミスマッチな趣味の悪い小道具群と、その筆頭ともいえる紅の魔法陣の中央で、美月は、腹に包丁を刺したまま、真っ赤な血溜まりの中に倒れている。
「なによ……」
「おい!? 大丈夫かよ!? 本当にしっ……死んじゃうんじゃねえか、おい!?」
「静かに……人がきちゃ困る……」
「んなこと言ってる場合かよ……!」
「忘れたの……」
――これ、血糊よ。
額に汗を滲ませて、美月は告げる。
そう、いま美月の真下に血の池を作り出しているのは、血糊。本物の血ではなく、そう見せかけるための模造品。
全ては、まやかし。アタシと美月が演出した、こけおどしの儀式だ。
これがアタシ達の報復計画、“呪い”の
前日、あえて山根達に見つかるよう仕込みをしていたアタシは、一連の事件の黒幕として吊るし上げられた。犯人は捕まり、これで事件は解決。六年一組に、偽りの
だが阻止した筈の怪奇現象は、なぜか止まらない。次の日の下駄箱に待っているのは、まだ怪異は終わっていないという冷たい現実。
深夜三時、真夜中の学校で仕込みを行ったのは美月だ。
学校の主要な出入り口には警報が仕掛けられているが、窓はそうでもない。ひとつ窓の鍵を開けておけば、案外楽なものよ――とは美月の弁だが、真偽はともかく、次の日の朝も手筈通り事件が起こった。
なにせ一度は怪異を解明したと思い上がっているのだ。そこから再び恐怖のどん底に突き落とされるのは、混迷の極みだろう。
かくしてクラス中に動揺が走ったところで、とどめを刺すように送られてくる、意味深なメッセージ。あとは受け取った側が意味を勝手に捏造し、勝手に怖れてパニックに陥る。そういう理屈だった。まさか、あそこまで事がうまく運ぶとは、アタシも驚きだ。
だが、それすらも前座。本命は特定個人の狙い撃ち。その
ともかく、後はおどろおどろしい雰囲気で脅して、目の前で“儀式”を完遂する様を見せつける。マトモな判断能力を奪われた山根は、その行為の意味を理解できずに狂気に囚われ、やがて逃げ出すなり暴れるなり、その場で気絶するなりって寸法だ。
アタシは近くの廃墟で、盗聴器の音声を聞きながら待機してた。作戦後の美月の回収、及びトチ狂った山根が美月を傷害しようとしたときのストッパーがアタシの役目だった。中の布はフェイク。万が一めくられた場合に備え、中にはアタシに似せた血染めのマネキンが入ってる。どこで用意したんだそんなもん。
かくして山根はアタシ達の術中にまんまと嵌り、恐慌状態のまま工場を飛び出していった。だが、今のアタシに、その醜態を愉しむ余裕はない。
「だからって……それ、本当に刺してるじゃねえかよ……!」
「それも、打ち合わせ通りでしょ……」
「そうだけどっ……何も、マジでする必要はなかっただろ!」
「バカね……ッ!」
美月は包丁を両手で握ると、思いっきり引き抜く。
「があ……っ!」
包丁の刃は鮮やかな色の血糊で彩られていたが、その刃先数センチだけは、もっと暗い色の液体で満たされている。
「ハァッ……ハァッ……土壇場で、演技なんて、できるわけ、ないでしょ……っ」
「ちょっ……喋るな、喋るな! クソッ……!」
「ほら……さっさと手当てしなさい……。それとも……ここで、殺しちゃう……?」
「バカ言ってんじゃねえよ! いいから静かにしてろ……!」
アタシは肩に掛けてた医療バックから包帯やら何やらを取り出しつつ、練習した通りに、美月に応急手当を施していく。
美月の自殺自体は“嘘”だが、腹に包丁を刺したことは“真実”だ。
予め身体に巻きつけた血糊を貫いて、凶刃を己の身体に突き立てる。激痛が走るのは事実だから、倒れ方に
そもそも、この床の魔法陣だって、元となる血液自体は、正真正銘美月のものなのだ。毎日毎日、献血でもするかのようなノリで、少しずつ少しずつ、自分の血液を溜めてたっていう。おおよそ正気の沙汰ではない。アタシが仲間になってからは、アタシも多少は“献血”させられたが、そもそもは、美月が趣味で集めていたものらしい。
自傷するだけだと勿体無いでしょ――って、美月はしれっと言っていたけどさ。
「これで、真に“呪い”がかかる……闇は、それを信じていない人の下へは、来ないのよ。けどこれで、あの子は闇を疑えない。ふふふっ、いまに、取り込まれるわ……」
喋るなってんのに、美月は愉快そうに呟く。
この“儀式”それ自体に、直接的な呪詛効果があるわけじゃない。
だけどこれを見て“呪い”を信じてしまったとき、それが本当の“呪い”になる――美月は、分かったような、分からないような説明をつけて、アタシにこの計画を持ちかけた。どうせ逆らうつもりもなかったし、アタシ達が工作するたびに反応を返してくれる奴らの顔が面白かったから、アタシは協力をやめなかった。
けれど、実に回りくどい手法だ。最初から殺せるなら、怪奇現象を起こせるなら、そうすればいいのに。あるいは――と、それ以上は考えないようにしていた。それに、この一連の計画を遂行する美月の姿は、それこそ憑かれてるんじゃないかってくらい、異様なほど真剣だったから。
ともかく、今は考え事をしてる場合じゃない。手元が狂えば美月の命に関わる。この工場の闇に比べれば、圧倒的にか細く頼りない懐中電灯を光源に、アタシは止血をしていく。
「ふ、ふふ、ふふふふっ……」
「おい笑うな! 傷が開くって!」
「うふふっ、ごめんなさい、可笑しくて……だって、貴方この前、私を殺そうと……」
「ちっ……違げえよ! 殺そうとしたわけじゃない! あの時は……その……怖くて!!」
「ふふっ、ふふふ……いいの? 今なら、私を好きにできるわよ……」
「るっせえ! 化けて出てこられちゃ困るんだよ! いいから黙ってろよ! それに……」
「それ……に?」
「目の前で死にかけてるヤツがいたら、普通助けるだろフツー!!」
美月は、苦しそうにしたまま、目を丸くする。
「貴方がそれ言うの……」
「うるさいうるさい! あの時はフツーじゃなかったんだよ! お前のせいで!!」
「いつもそれね、貴方達って。すぐ……ッ、他人の所為にする」
「悪いかよ! ガタガタ言わずに助けられとけよ! はい塞いだ! 終わりだ手当て終わりっ!」
美月を背負う格好になると、アタシっぽいマネキンだけ回収して、裏口から工場を後にする。
「出て角を曲がってすぐそこに、車がある……乗り込むのよ。遠く離れた街で、私達は病院に保護されるっ……」
「そこまでするかよ……」
「幻想は終わりまで、崩れてはいけないの……絶対に」
美月の指示で歩くと、そこには確かに、黒い自動車が一台止まっている。
アタシ達が近づくと、ドアロックの外れる音がした。
そのままアタシ達が後部座席に乗り込むと、運転席にいた男は、大してアタシ達を確認もせずに、そのまま車を発進させる。
これって完全に誘拐じゃね? 少なくとも警察に出会ったら弁明できねーな、この人。まあいいか。アタシはどう転んでも被害者枠だろうし。この人が誰かなんて気にしてる余裕は、生憎持ち合わせていない。
美月は、アタシの膝を枕代わりにして後部座席に寝かせる。車が路面のギャップを拾って跳ねるたび、美月が痛そうに喘ぐ。
なんだっけ。傷病者には語りかけると良いんだっけ? 付け焼き刃の知識は酷くあやふやだ。まあいい、このまま正体不明の男と共に黙ってドライブなんてのは、アタシの方が耐えられない。アタシは美月に話しかける。
「なあ、美月。この後クラスってどうなるのかな。山根って……どうなるのかな?」
「さあね……」
そっけなく、美月は返す。冷淡に、さして興味なさそうに、もう、全てが“終わった”とでもいうように。
「そっか」
アタシもそっけなく返して、美月の様子を見守りながら、ぽつぽつ当たり障りのない話をする。話といっても、美月は「そう」「そうなの」「そうね」の三段活用しか返さないからクソつまらんが、この際、暇を潰せるなら何でもいい。
会話のような何かを続けていると、そのうち美月は目を閉じ、やがて、眠るように意識を失った。大丈夫だよなこれ……死んでねーよな?
ふうと一息吐くと、アタシの全身を猛烈な痛みが走った。そうだ、アタシも昨日ボコされた時の傷が癒えてない。ていうかこれ、車が揺れるたびアタシも死ぬほど痛いわ。
「おい起きろ美月。起きて話し相手になれ。この際壁でいいから」
そんな風に話しかけても、美月は泥のように眠ったままだ。
アタシはやれやれと頭を振って、車窓から夜の市街地の景色を眺める。
「終わりまで、崩れないんじゃなかったのかよ」
光に覆われたビル群を見ながら、アタシはそんなことを呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます