[16]儀式 -山根-
本来なら、放課後の時間帯。
山根は学校の遥か外、市街地の路地裏を、たった一人で歩いていた。
街は斜めになった夕日の鮮やかな橙色に照らされているが、こと雑居ビルの立ち並ぶこの一画においては、既に黒の割合の方が、橙の割合を遥かに超えている。
建物と建物の間を抜け、廃材の山を登って降りると、目的地に辿り着く。
「ここなの……?」
山根の視線の先には、小さな廃工場があった。
スマートフォンを取り出すとライトモードにして構え、朽ちたシャッターの隙間から、おそるおそる中の様子を窺う。
ペンキで汚れた床、穴の開いた壁、謎の金属板。立ち込める、油と薬品の混じったような匂い。おおよそ女子小学生の訪れる場所ではない。
だが、一応の危険がないことを認めると、山根はシャッターと地面の隙間を潜って、中に入った。
腰を上げると咄嗟に辺りを見渡す。異変にはすぐ気付いた。
大振りに回すライトが映し出したのは、ドラム缶、ヌイグルミの群れ、骸骨、壊れたラジオ、何かのお香、吊るされた電球、蝋燭、崩れた机、虫の死骸、壁際に掛かった布。
凸凹の床に描かれた、どす黒い赤色の、巨大で乱れた円状の紋様。
そしてその中央に立つ……黒いフードを被り、ローブを着た人影。
「あら、もう来たの」
人影は、ゆっくりと振り向く。その声と顔は、美月のものだった。
「みっ……美月ぃ、やっぱり美月なんだぁ。ウチを呼びつけたのは」
「……さあ?」
「しらばっくれないでよ!」
山根は液晶を二、三回タップし、メッセージの画面を開くと美月に見せつける。
「ウチだけ……別のメッセージ送りつけたでしょ! 夕方、この時間、ウチ一人だけで来いって……。な、なんで、この写真を美月が持ってるわけぇ!?」
「ふふ……見せつけて……破廉恥ね」
「だっ、黙れ――」
顔を赤くして反論しようとした矢先、山根のスマートフォンが鳴り出す。
驚いて取り落としそうになった山根だったが、それが普段通りの着信音であることに気付く。取り巻きからの、所在の確認を求めるメッセージだ。
「しー」
アプリを開こうとした山根を、美月がやんわりと制止する。
「電源は切ってね」
「っ……」
美月の眼前で、山根は電源ボタンを長押しして携帯の電源を落とすと、床の上に置く。
それを確認した美月は含みのある笑みを見せると、懐からマッチを取り出して火をつけ、狭い工場内を歩き回って、蝋燭に明かりを灯していく。
――バカめ、スマホはもう一台ある。こっちは完全マナーモードだ。これで連絡を……
「持ってなんかないわ。教えてもらったの……」
背を向けたまま、美月が囁くように声を出す。
山根は一瞬、何のことかと思案して、写真のことを言っているのだと思い当たった。
「教えてもらったって……誰にぃ?」
丁度いい、裏切り者が誰か――
「あくまさん」
「え」
だが返答は、山根の予想していた方向性とは全く異なるものだった。
「左手に持ってるものを地面に置いて?」
思考がフリーズしたところに、その虚をつくかの如く、冷淡な言葉が山根を刺す。
びくりと震えて、山根は思わず馬鹿正直に予備のスマホを取り出してしまう。もう引っ込めるわけにもいかず、そのまま地面に放り捨てた。
「な、何よ……誰のこと、その“あくまさん”って」
「あくまさんは、あくまさんよ」
「訳の分からないことを……!」
「頼んだら、教えてくれるの。頼んだら、起こしてくれるの」
「いい加減にしろ! イライラする! だから誰なのよぉ! その――」
「頼んだら、“呪って”くれる」
「あくっ……まっ……」
美月を責め立てる山根の剣幕が、尻すぼみになる。
視界の端に映る、工場に似つかわしくない物品の数々。よく見れば、ヌイグルミの全てには首から上が存在しない。
床を染める赤いなにか。花々を煮詰めたような甘い香りが漂っているが、その裏に潜む錆びた鉄のような臭気は、ただ古びた工場から漏れ出しているのではなく……生物の内を流れるモノの成れの果てから生じているのだと、山根は気付き。
そして、その色はまさしく、人間から零れ落ちたモノが風化した色だということを、不幸にも山根は識っていた。
「え……あ……ハハ……美月ぃ、本気で言ってんの、それ……? 頭おかしいんじゃないの、病院行った方がいいよぉ……?」
他人を貶める山根の言動も、普段ほどの覇気がない。
蝋燭を灯し終えた美月は、ゆっくりと陣の中央へと戻っていく。
「あくまさんはね、小さな女の子が大好きなの。生贄をあげると、願いを叶えてくれる。血、爪、垢、髪の毛、虫さん、うさぎさん、いろんな私のモノ……たくさん捧げたわ」
「そういうのいいからぁ! 一体何が目的なの!? ウチをどうしたいの!? 早く! 答えろよ!!」
「せっかちね。そういうところ、六花とそっくり」
「はぁ!? どこが……! ――そういや、六花はどこよ!? 一緒じゃないの!?」
「え……?」
美月は陣に戻ると、山根の方へ向き直る。
不均衡な蝋燭に囲まれた美月の表情は、炎のゆらめきに合わせて幾重にも変化し、その真意を掴ませない。そして、少しだけ目を細めて、山根の瞳を見つめる。
「貴方が、一番良く知ってるでしょう」
「は……? 何言って……」
「もういないのよ」
沈黙。
山根は、その真意を理解するのに幾ばくかの時間を消費し……そして理解した瞬間、全身の血の気が引いていった。
「え……いや……えっ? 嘘でしょ……えっ……え……」
「かわいそうね、六花さん。苦しかったでしょうね、六花さん」
「いやっ……ちっ……違う! ウチじゃないっ!! 殺すほど蹴ってない! デタラメを言うなぁっ!!」
「嘘じゃないわ。だって……」
美月はしゃがむと、慈しむように、赤黒い魔法陣の一部を撫でる。
「六花で、聞いたんだもの」
どくん、と。山根の鼓動が飛び跳ねる。
二、三歩ふらついて、赤色を……血を、思いっきり踏んでしまう。
慌てて足をどかそうにも、うんともすんとも動かない。
まるでクモの巣へと踏み入ったかのように、靴は陣に捕らわれる。
視線が泳ぎ、床を見渡して、ふと陣の隅から奥の壁まで、引き摺ったような血痕が続いていることに気付く。
ソレが最悪の直感だと知りつつも、山根は血痕の先を追ってしまう。
赤は、壁際に掛けられた……白い布の下方に通じていた。
「ヒッ……!? 違う違う違う! ウチじゃないってぇ!! そうだ、愛川! 愛川のせいだろ! 殺したのは愛川だ! ウチじゃない!! 人違いだ! お門違いだ!! 間違えてんじゃねぇよ死んでるくせにぃっ!」
「六花さんを捧げたわ。そしたら、貴方の写真が貰えたの」
「タチの悪い冗談はやめてよ! もうウンザリ!! そうだ、そもそも六花が帰るトコをウチの部下が見てるの! そうよ、殺したのは美月だ! この人殺し!
「貴方が、見たの?」
「そっ……そ、れは……う、うるさい、うるさい、うるさぁアアいッ!!!」
金切り声を上げて、山根は背中に隠し持っていた警棒を抜く。
胸元に寄せながらグリップを操作して安全装置を外すと、鋭い音を立てて金属製のシャフトが飛び出す。
「黙れぇッ! 黙れよオォ! 美月のクセに! 美月のクセに饒舌なんだよぉ! 今すぐその口利けなくしてやる! 二度と!! この場でぇ!!!」
山根が血走った眼で美月をロックオンし、腕を振り上げようとした瞬間――すべての蝋燭の炎が、ふっと消えた。
美月が、山根の視界から消える。
闇の訪れ。
「なっ!? 何!? 何をしたのぉ!?」
訳も分からず、山根はただ闇雲に腕を振り回す。ひゅん、ひゅんと虚しい風切り音が響く。
「だいじょうぶ」
冷たいのに、どこか生暖かい声が正面から聞こえる。
僅かに利いてきた夜目が、美月のシルエットを映す。
その右手には、先程までなかった細長いものが握られていた。
「あ……」
凍りつく。金縛りに遭ったかのように、全身の筋肉が硬直する。
ざーざーと甲高いノイズが耳鳴り、足元から滾る死の匂いを、思い切り吸い込む。
包丁。逆手に持って、美月がこちらを見ている。
「貴方の望む通りになるから」
ぐにゃりと唇が歪み、美月の声がゆっくりと響く。
美月のシルエットは、弧を描くように包丁を振り上げ。
そして、くん、と刃先を自らの方へ傾けると、そのまま、自分の方へと振り戻した。
どちゃ。
「へっ」
何が起きたのか分からない。
美月の包丁は、美月の腹に刺さっている。
なんで? なんで? 何で何で何で何で何で?
無数のクエスチョンマークだけが脳内を駆け巡り、山根は息をすることすら忘れていた。
「これで……」
美月はふらりと前方によろめき、うつ伏せに倒れ込む。
倒れる瞬間、僅かに垣間見えた美月の表情は、まるで長年の夢が叶ったかのような、とても満ち足りたものに思えた。
「えっ、えっ……ええ……?」
からんと、警棒を取り落とす。
なにこれ。
暗がりの中で、真新しい赤のシミが広がっていく。
血……美月……自殺……死……?
「何で……? なんでよぉ……?」
今にも泣き出しそうな調子で、山根は後ずさっていく。
意味が分からない。全てが、理解の範疇を超えていた。
爆発しそうなくらいに重くて痛い頭が、必死に答えを探して渦巻いている。
死体。血の池。凶器。死体。私。
「……ち、ちがう……ウチじゃない……。勝手に……こいつが……死んだだけ……」
何のために?
ただの自殺。ノー。
私への復讐。イエス。
クラスへの復讐。イエス。
包丁で私を殺す。ノー。
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キャアアアアやまねっち天才犯罪者なんだよ一体どうなってそう全ては復讐のためにぃ~犯人なんていない美月のこと一番嫌いだったの二人共に恨みありそうな取り乱すなよ許さんぞこの問題児共が幽霊とか、そういう類の仕業星野オオオオッッいや確かに美月の呪い説をあいつの“呪い”に脅されてんだ本当にこわいもんがじきに“呪い”が全部を終わらせ火炙りかな!?彼女は“呪い”を掛けたもしくは他にも協力者3点が最高ガールズめ他にも協力者がいるって帰るときには何にも無かった誰もウチらの下駄箱を触った奴はあくまさん今すぐその口利けなくしてやる望む通りにあくまさんは小さな女の子が大好き生贄をあげると願いを叶えて死んで詫びろよクズ六花死んじゃえよ勝手に死ぬだけ死んでるくせに違う違う違う六花で聞いたの六花を捧げたわなんて美しい友情物語なんだぁたくさん捧げたわ自らを生贄として彼女は“呪い”を掛けた自らを生贄として自らを生贄。
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ウチらを呪い殺すために、自らの身を捧げた。
「あ……あぁ……」
へたりと座り込む。尻餅をついて、みっともなく後ずさる。
「そんなの……そんなのあるわけない……ッハハ……バカめ……っ、――そうでしょ、誰か、ねぇだれか、そうって言ってよぉ……」
目の前の骸は、何も答えない。
白い布の奥は、何も答えない。
壁に反響した自分の声と、衣擦れと、荒い息と、なにかが迫り来るようなカサカサとした物音しか聞こえない。
「ひっ……だれか、あぁだれかぁ……っ」
かつんと、何かが手に当たる。
予備のスマートフォン。
それを拾って、縋るように握り締めて、震える手で電源ボタンを押して、ついた液晶画面の光を、闇に向かって突きつける――
黒い髪のヒトガタ。
鮮血が、鈍い血の紋様を飲み込むように拡がって、混じり合って。
まるで、今にも蠢きはじめそうな、そんな胎動をしていた。
「ァアアアアアアァァァァアアああああアアァッッッ!!!!!」
投げ捨てられた携帯がガコンと壁を打ち、からからと床を滑る。
「来るなっ……来るな、来るなっ、来るなぁあああアアッ!!!」
断末魔じみた金切り声の絶叫を上げながら、闇から目を逸らせずに、ただただ後退を重ねる。
ごん、と後頭部をぶつけ、それが出入り口のシャッターだと洞察した山根は、必死に身体を隙間へと捻じ込む。
服が裂け、肌を切り、髪を引っ掛け、けれどそんなことは全く問題にならないというふうに脱出した山根は、路地を本能のままに突っ走る。もっと恐ろしくて怖ろしくて堪らないものから、目を背けて逃げ出すように。
「ひっ……誰か、誰か、だれかあああああぁぁぁッ――!!!」
助けを求める声が、真っ暗な廃墟群に木霊した。
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