[12]呪い 四日目 -六花絹江-

 その後もアタシ達のは続く。


「牛乳をすり替えるわ。期限切れの牛乳を使って、食中毒を起こす」


 その日の美月の指示は、そんな内容だった。


「なっ……そんなもの、どこから……」

「はい」


 美術準備室。余程のことがない限り、立ち入ることもなければ、中身を改めることもないというその教室で、美月は幾つかの牛乳パックを取り出した。

 自分の分の牛乳をちょろまかしたらしい。確かに美月は空き教室を借り、一人で給食を食べてるから、そういう工作もしやすいのかもしれないが……。


「それって……やべーことになったりしないのか?」

「馬鹿ね。大事になった方がいいのよ」

「そりゃそうだけど……」


 美月の言うことはもっともだが、もう一つの疑問があった。

 これは本当に、呪いの準備なのか?


「あら、フェイクを織り交ぜるのは基本よ。大事なのは、皆に疑念を持たせること。在り得ないことが立て続けに起これば、次第に正しい判断力を失っていくの。やがて、何でもないことが怖くなり、あらゆる物事を信じられなくなる。そのときこそ、真の“呪い”をかけるのよ……」


 美月には、そんな理屈でかわされる。確かに、これもまた一理ある。何もかもが怖くなるというのは、身に覚えのある話だ。


「それに貴方だって、慌てふためく奴らの顔が見たいでしょう?」


 間違いではない。しかし、アタシはどこか、違和感を覚え始めていた。何と言うか、のだ。

 あの時の美月は、もっと言っていることの訳が分からなかった。何にも正しくない筈なのに、どうしてか否定することができない。故に怖ろしかった。

 無論、今の美月だって、十二分に怖い。この前なんか、動物の血で浸した手紙を愛川に送りつけていた。それだけでも不気味だが、その中身は、山根の側近しか知らない筈の、秘密のSNSグループで行われた会話――愛川の陰口――を告発するものであったのだ。

 当然、互いの陣営に大きな動揺が走った。愛川と山根の仲は一気に険悪になり、山根達のグループでは犯人探しが始まっている。一体どうやってその情報を手に入れたのか? アタシには見当もつかない。

 けれどそれでも、最近の美月に対する恐怖は、だんだんと薄れていっているように思えた。勿論、それまで含めて美月の策略かもしれない。アタシを油断させて、最後の最後でアタシを殺すつもりなのかも。

 けれど、アタシにも、その理由が分からないけれど……最近のアタシは、段々と美月に以前ほどの畏怖は抱かなくなってきていた。


――まあ、慣れるもんだろ。ホラー映画も後半、怖くなくなるもんだし。

 

 そんな風にぼんやりと納得しながら、いざ訪れた給食タイム。

 元より階級カ-スト下位というのは、面倒事を押し付けられやすい。この給食当番やら牛乳配りやらとかいうボランティアもそうだ。逆に言えば、こういうをするには絶好の役職。食事という生命の根幹をアタシに任せた、自分達の愚かさを呪うんだな。

 ……だが、そもそもアタシは、言ってしまえば、美月が怖くてこの報復に手を染めてるわけで。あいつのことが怖くなくなったのなら、続ける必要もないのではないか?

 既にクラス内の秩序は、もう結構愉快なことになってる。アタシの望みは、ある程度達成されてるわけだ。こうしてバレたら大変なことになるリスクを犯し続ける方が、よっぽど危険極まりないのではないか。

 アタシが身の振り方を考えながら配膳カートを一人で引いていると、気が付けば教室に着いてしまっていた。しまった、あと一パック分、すり替えが済んでいない。

 教室に着いてからのすり替えはリスクが大きい。何せ人の数が多い。別に誰が何をしてるかなんて大抵気にされないが、ふとした瞬間にすり替えの現場を目撃されると困る。全てがアタシのイタズラだったと結論付けられては困るのだ……あくまで、説明のつかない事象でなくてはならない。


「く……」


 アタシは怪しまれないようにせっせと牛乳を配り続けるが、確実な隙が見つからない。この狭い教室に三十人ちょいだぞ、人の目のない場所なんてある筈がない。あまりきょろきょろしても不自然だ。「貴方は演技下手だから過信しないこと」って美月から釘刺されてるし。

 心臓が高鳴る。うっかりすれば全てが水の泡。恐い。アタシの一挙一動に、アタシ達の計画の成否が掛かってる。

 アタシは考える。誰の牛乳を入れ替えるのが、一番リスクが低いか。

 答えは簡単だ。後はそれを飲めるかどうか。

 ……今更だ。

 アタシは全ての牛乳を配り終えると、何食わぬ顔で席に着き、何食わぬ顔でトイレに行き。

 ポッケから取り出した牛乳にストローを刺すと、ぐびぐびと吸い干した。



* * *



「あっ……ぐ、アアアアァッ……!!」


 数十分で戻ってくるんだから、滑稽な往復だ。

 思ってたのの数十倍の苦しみに悶えながら、アタシは少し前のアタシと美月の奴を恨む。絶対許さねえ。

 左右の個室からも、苦しそうな気配がする……作戦は恐らく成功だろう。よっしゃ。苦痛に見合わないけどな。


――だったら、何でやったんだよ。


 ふと、頭の中を過ぎる疑問。


――アタシがスカっとするためにやってんだろ。


 確かにそうだ。それが正論だ。


――もう、あんな根暗の顔を窺う必要はねえ筈だ。


 ああそうだな。全く以ってその通り。

 だと言うのに、アタシは辛苦の真っ只中にありながらも、この苦痛は……さながら、部活で走り込みをしてるときのような、そんなな苦痛に思えて、そこまで美月ヤツを憎むことはできなかった。

 どうしてか……その理由は、分からなかった。

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