[10]恐怖 -美月宇佐子-

 夜。アパート。一室。コンビニのレジ袋。カップ麺の容器の山。光源は液晶のみ。

 最低限の居住空間のみ確保されたその部屋で、私はカーペットに座り、パソコンのキーボードを叩く男を見上げる。


「頼みがあるんだけど」

「なんだ」


 男は複数のモニタから目を離さずに応対する。

 上下寝巻き姿。朝から晩まで同じ格好。出掛けるときは上着を羽織るだけ。


「クラスのみんなに報復したいわ」

「また急だな」

「気が変わったの」

「高くつくぞ」

「そろそろ誕生日でしょ」

「ヌイグルミは要らないのか」

「ええ」


 男はキーボードから手を離すと、振り向いて此方を見る。


「怪我は治ったのか」

「治りきってないけど、多分わ」

「そうか」


 男は椅子から降りる。


「先に入ってろ。詳細は後で聞く」

「分かった」


 そのまま冷蔵庫の方に向かった男を、この世で最も醜い怪物を見るような視線で軽蔑する。


「最低よね」


 手元のうさぎさんに話しかける。うさぎさんは何も答えない。

 当然よね、頭だけなんだから。


「ねえうさぎさん、聞いて?」


 私のことを、“こわい”って言う人が現れたの。

 そいつは去年から、私をイジメの標的に定めてきた奴だったわ。

 まあ、嫌がらせ受けるのなんて今更慣れっこだから何とも思わなかったし、飽きるまで付き合ってやろうかと思っていたのだけど。

 この前、私の秘密のノートを見られてしまったの。

 ああ、うさぎさんにも内緒だったわね。でも死んでるからいいか。

 私の殺意を書き殴ったノート。表に出したら破滅する感情を書き溜めた、私の悪意のノート。

 何せ私の裸みたいなものだから、見られちゃって恥ずかしいし、丁度良いから死のうかな、なんてぼんやり考えていた。

 そしたらあいつ、とっても怯え始めたのよ。

 面白かったわ。私が何か言う度に、びくびくと肩を震わせて、結構可愛らしい悲鳴を上げたりして。ノートを破り捨ててページをばら撒き始めた時なんか、その様子が可笑しくて可笑しくて。あんなの、ただの紙と鉛の集合体なのにね。

 しまいには発狂して、私を何度も何度も蹴ってきたわ。流石に死んだかな、なんて思った。今までの人生でには痛かったし。けれど私、それでも悪くないかなって思った。

 どうしてだと思う、うさぎさん?

 それはね、嬉しかったのよ。私の感情を込めたもので、誰かの感情を動かせたってことが。

 あの時のあいつは、本気で私を怖れてた。本気で怖がって、本気で恐怖から逃れるために私を殺そうとしてた。

 六花っていったっけ。そう、その時ね、六花には、私の悪意が伝わったの。殺意が伝わったの。だから六花は、私を怖れてくれたの。光はね、闇を怖れるからこそ、闇を蹂躙するものだから。

 それが堪らなく嬉しかったのよ。だからここで死んでもいいかなって思った。まあ、生き延びちゃったけどね。


「それにね、いいこともあったのよ」


 今日ね、その六花が私の元にやって来たの。

 なんか、謝りにでも来たのかなって思ったら、自分のことしか話さないから呆れたけれど。

 だけどね、何と六花は、私のことを呪術師か何かだと本気で思い込んでるみたい。可笑し過ぎて、変な笑いが出たわよ。

 私が、人を呪い殺せるって? 不幸にできるって? そんなわけない。出来るならとっくにお前を殺してる。私は唯の小学生だ。親戚に引き取られて飼われてるだけの。

 蓋を開ければ、真実なんてちっぽけなものよ。けれど、そういう風に思われて悪い気はしないの。私は闇が好きだから。

 人間が闇を恐れるのは、その先に何が待ち受けているか“分からない”からだ。“恐怖”の本質は“不理解”よ。分からないから怖い。怖いから分かろうとする。分かってしまえば、それはもう“恐怖”ではない。

 私を怖れ、誤解するならそれでいい。私のことなど分からなくていい。六花、貴方の醜態は、私の心に一筋のひかりを差した。“恐怖”を齎すことができれば、人を壊すことができると。狂わせることができると。うさぎさんだけじゃない……人間だって、闇に堕とすことができるのだと、私に教えてくれた。

 そう、私は“闇”となる。

 ふふ、うさぎさん、うさぎさんはもう必要ないわ。だって、もっと楽しいお人形さんが、これから沢山手に入るんだもの。


「貴方の最低の望み、叶えてあげる。最低の協力者を頼ってね」


 うさぎさんの頭をぎゅうぎゅう握り潰すと、燃やすゴミの袋の中に押し入れる。

 久々に、楽しい日々を送れそうな予感がした。 


「ふふふ……よろしくね、可愛い可愛い六花うさぎさん」

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