[9]未理解 -六花絹江-
放課後。夕日は煌々とした橙色の光でもって、この街を照らし出している。
とっくに部活の時間だったが、アタシの向かう先はグラウンドではない。
保健室。
怪我をしたり、体調が悪くなったり、病気になったりした奴が向かう、お決まりの場所。それが肉体的なことに限らないと知ったのは、つい最近のことだったが。
ノックもそこそこに室内に入ると、保健室にいつもいる女性の先生が、心配そうな様子でアタシに声をかけてくる。なんか、それだけで泣きそうになった。けれどアタシがここに来たのは、慰めてもらうためじゃない。
先生に頼むと、奥のカーテンの下ろされたベッドの方に向かっていって……暫くして、こっちに戻ってくる。
「いいよ、だって」――そう教えてくれた先生に連れられて、アタシはベッドの前までやってきた。
カーテンの隙間から、中に入る。
そこで横たわっていたのは、美月だ。
相も変わらず手入れのされてない黒髪をだらしなくシーツに寝かせ、小説を何冊か枕元に侍らせている。
そして腕に抱えているのは、白いうさぎのヌイグルミだ――
首のない。
思わず「ひっ」と情けない声が漏れて、慌てて口を手で塞ぐ。
あの時の感情が蘇ってくる。
カーテンの内側にいるのは、アタシと美月の二人だけ。先生は空気を読んだのか、ベッドから離れていってしまった。
保健室特有の薬品の匂いは、あの時の香りとは異なるが……されど、非日常的な雰囲気を生じさせるには十分なトリガー。
今この空間もまた、何が起こってもおかしくない。そう感じるだけで、心臓が潰れそうな気分になる。
「……何?」
美月は布団から身体を起こすと、訝しげにアタシを見る。
「たっ……頼む。アタシを助けてくれ」
「……は?」
「ア……アタシは。アタシも……お前と同じになっちまったんだよ!」
アタシは、美月のいなくなってからのクラスの顛末について語った。
美月の入院は原因不明とされたこと。アタシが犯人とは誰も知らないこと。それとは関係なしに、アタシが干されたこと。美月の受けていたイジメは、今はアタシが受けていること。
「アタシ、どうすればいいか分からなくて……誰にも頼れなくて……アタシ分かったんだ、イジメられる側がどんだけ孤独で辛いのかってことが! ……虫の良い話だってのは分かってる、けどアタシはもう、お前しか頼れる奴がいないんだ! 今までのことは悪かった。謝って許してもらえるとは思ってない……けれど、どうかお願いだ、アタシは、アタシは……」
「あっそう」
美月から返ってきたのは、いつも通りの冷淡な声。
「勝手にすれば」
美月の視線はアタシに向いてなかった。虚空を泳いでた。
美月はアタシの話を聞いてなかった。
「おい、美月……」
アタシの声に対して、美月はちらりとだけ視線をアタシに寄越す。
その瞳は……おおよそ人間に向けるものじゃなかった。
肉の塊を見る目をしてた。
「話、終わり?」
理解する。
美月にとって、アタシは許されざる仇だと思ってた。殺したいほど憎まれてると思ってた。けれど……違う。
アタシは敵キャラその一だ。いや障害物だ。マップに生えてるトゲでしかない。不快感を与えてくる、ちょっとだけ反応豊かな機構そのものだ。恨む価値すらない。
太陽や月を憎む奴がいないように、アタシもまた美月にとっての、セカイの理に過ぎない。アタシにとっての
アタシの謝罪に価値はない。アタシが美月に損害を与えるのは、至極自明な正論なのだから。
アタシの語りに耳を傾けることもない。美月はそもそも、
けれどそんなことは関係なかった。アタシに退路はない。他に縋れる――いや、強請れる相手もない。アタシの取れる選択肢はたった一つしかない。
どうせ逃げられねえんだ。
「――うるっせえっ! 下手に出ていりゃ、いい気になりやがって……!」
立ったまま声を荒げて、美月の顔を指差す。
「元とはいえば、お前のせいだ! お前のせいでこんなことに……! お前が教室に来なくなったから……! お前があの日、あの場所で、あんなものを書いていたから……ッ!」
わなわなと指先が震える。
「アタシはそれで、それで……こっ、こわくなって……ッ! だ、だから、お前を……! だから、全部お前のせいだ! お前の!! お前がッ!!!」
体の芯から凍えてくような寒気を、憤怒の熱で相殺しようとするが、体の震えは一向に収まらず、遂には。
「お前が……アタシを“呪った”んだろ……」
情けない声色で口から零れる――その“妄想”が。
「……私が? 貴方を?」
「ああそうだよ! みんな噂してる! お前があの日、アタシらのクラスに“呪い”をかけたって! 本当なんだろ!? じゃなきゃ……じゃなきゃあんなに怖ろしい筈がねえ! じゃなきゃ、アタシがこんなことになってる筈がねえッ!!」
堰を切ったように、アタシの中に渦巻いていた疑念を吐き出していく。傍から聞けば支離滅裂だ。けれどもう、そんなことを気にする精神の余裕はない。
「お前は人を呪えるんだろ!? 呪い殺せるんだろ!!? なあ!? だから、だから……ッ」
がくがくと膝が崩れて、美月の寝ているベッドに倒れ込む。
顔をシーツに埋めて、両肘で上半身の自重を支え。
「だから……助けてくれ。アタシを殺さないでくれ……」
アタシは、美月に命乞いをした。
暫く沈黙が続いたが。
「……ふふ。うふふ。うふ、ふふふふふっ」
不意に頭上から、気色の悪い笑い声が聞こえてくる。
顔を上げる。そこには――
「ぶざまね」
アタシのことを思いっきり嘲笑う、美月の
アタシを下に見て、侮蔑し、哀れみ、優越感に溺れ、悦に浸る。
それは良く知っていて、飽きるほど見ていて……けれど今まで、美月の顔に浮かぶことのなかった表情だった。だから少しだけ、アタシは安心した。
「貴方って自分のことばっかりね」
「うっ……るせえ! 悪いかよ……!」
「悪いなんて、思ってないくせに」
「ッ……! ……そうだよ、アタシは何も間違ってなんかねえ! お前がイジメられたのは道理だ! 自業自得だ! アタシは悪くねえ! 入院するハメになったのだって全部お前のせいだ……アタシは一度も間違えたことなんてない!」
「それで?」
「だけど……だからこそ、あいつらもまた正しい……。アタシはこのままじゃ、“正しさ”に殺される……だから……!」
がばりと胴体を持ち上げ、ベッドの上の美月に擦り寄ると、その両手を掴む。
「お前しか……お前しかいないんだ! アタシっていう“正しさ”を壊せたお前しか……あいつらをぶっ壊せるのは! アタシを守ってくれない“正しさ”なんていらない……そんなセカイ、壊れてしまえばいい!」
藁にも縋る思いで、美月の顔を覗く。
美月は、さっきまでと違って、アタシの言葉を聞いてる。多分に蔑みの入った視線を向けながら。
「お願いだ……何でもするから、何でも払うから……みんなを不幸にしてくれ、美月……」
「最低ね、貴方」
「うるさいっ……助けてよ……っ」
美月は、まるでアタシの反応を愉しむかのように、しばらく押し黙っていたが。
「いいわ」
唇を歪ませ、了承の言葉を口にする。
「けれど、分かってるわよね。もし、私を裏切ったら……」
美月はこれ見よがしに首のないヌイグルミを抱え、何も言わずに、にまり、と笑ってみせる。
ぞくりと、悪寒が走った。
「……ああ、分かってるよ。……アタシは、お前に従う」
「ふふっ……ええ。よろしくね、六花さん」
二人だけのセカイがここに誕生し。
そして、どちらが上位者なのかも――はっきりと決まっていた。
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