[8]都落ち -六花絹江-

 次の日には、もうクラスの環境は一変していた。


「なあ、次の授業って……」


 アタシが話しかけようとすると、そいつらは露骨に顔をしかめて、そそくさと距離を取る。くすくすと、誰かの笑い声が聞こえる。

 そんなものから始まり、やがて教科書がなくなり、部活用のシューズがなくなり、授業の懸念事項を伝えられず、グループ作りではハブられる。

 SNSでもアタシはブロックされ、クラス内グループからも追放……というより、アタシの知らないグループを作られた。

 授業では怒られ、部活でも怒られ、反論しようにもアタシの意見は聞き入れられず、他人の所為にするなと余計に怒られる。


「ウチ、前から六花のこと嫌いだったんだよねぇ。偉そうだし、ウザいし?」

「私も私も! なんか勝手にあだ名付けてくるしさー。小六にもなって『~っち』はダセーだろ。ないわ」


 そんな悪口が、毎日毎日、教室の端から聞こえてくる。

 瞬く間に学校は地獄へと転じた。本当に一瞬だった。気付けばアタシは最下層になっていた。こんなことがあるか?

 例の事件から一週間ほど経つ。美月は退院したらしいが、教室には来ていない。噂では、保健室に通っているそうだ。

 美月は大抵のクラスメイトに快く思われてなかったから、嫌がらせの格好の的になっていた。言わば共通の敵だ。共通の敵がいると、人々は団結する。美月の存在は六年一組というクラスにとって、皮肉にもかけがえのないものだったのだ……とでもいうべき。その美月が消えたとなれば、無論代役が必要になる。でも、なんでアタシが?

 思うに、あの日のやまねっちの主張は言いがかりだ。あいつ、元々アタシのことが好きじゃなかったんだろう。でも渋々従ってた。アタシに目をつけられるのが恐いから。きっと、虎視眈々とチャンスを狙っていたんだ。

 権力とは結局、『暴力を振るわれるんじゃないか』っていう恐怖によって維持されるものだ。けれどあの日のアタシは弱ってた。囲んで棒で叩けば倒せそうに見えたんだ。

 最上位はクラスの象徴。弱みなど見せてはいけない。見せてはいけなかった。アタシだって、それくらい分かってた。けれどアタシは強者を貫くことができなかった。だから、そこにつけ込まれた。

 何も間違っていない。アタシの理屈は正しい。セカイはやはり正常なのだ。ただ、アタシが最下層ひがいしゃになったというだけで。


「クソッ……!」


 毒づきながら、夕方の街路地を歩く。元々、我が家は安息の地でも何でもない。群集から逃れ、自宅の扉に鍵を差し込むまでの間だけが、今のアタシに残された、最後の安全地帯だった。

 誰に助けを求められるというのか。

 親? 論外だ。

 友達? いなくなったよ。

 先生? どの面下げろってんだ。

 何より、今自分がされていることは全て、過去の自分が誰かに対して行ったイジメそのものだった。過去のアタシが、『問題にされない』ラインを見極めて行った暴虐。それをそっくりそのまま模倣して、アタシに返してきやがる。

 頂点トップが代わっても、技術は継承されてるってわけだ。そりゃあ、アタシにどうにかできるわけないよな。だってアタシは今日まで、その技術を用いて、クラスの頂点でふんぞり返ってこれたんだから。

 詰み。ゲームオーバー。そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 嫌だ。認めたくない。卒業までずっとこのままなのか? アタシはこの地獄のような責め苦に耐え続けなきゃならないのか? いや、卒業したって、同じ中学に行く奴も相当数いる。じゃあ中学も、いや一生このまま搾取されながら生きていかなきゃならないのか……?

 絶望のミライに怯えるアタシのすぐ側を、少年ガキが駆けていく。驚いて、アタシは横に飛びのく。少年ガキは立ち止まると、不思議そうにアタシの顔を覗き込む。

 少年の顔は、帽子が夕日を遮って、闇を色濃く湛えていた。


「ひいっ……! やめろ! アタシを見るなあっ!!」


 アタシの気迫に圧されたか、少年ガキはそのまま走り去る。

 恐怖。

 人々の視線が恐ろしい。今にアタシを嘲笑うんじゃないかって。

 街角の闇が怖ろしい。今にアタシを引きずり込むんじゃないかって。

 ただ路地を歩くというだけのことが、空気の中で息をするということが、恐くて怖くて堪らない。いくら手足を動かしたところで、このは払えそうにない。

 どうしてだ? いつからセカイはこんなに残酷になった? いや、初めからなのか? アタシが気付いてなかっただけなのか? それともアタシが変わってしまったのか?

 分からない。理解できない。だから……こわい。


「う、あぁ……うあああぁぁ……っ」


 眼前には扉があって、私の家がある。

 けれどもう何も見たくない。何も考えたくない、全てこの両目から溢れ出す透明な液体で押し流してしまいたい。

 刹那、扉が開く。

 鬼の形相でアタシを睨みつけた女は、アタシの襟首を掴むと、強引に家の中へと突っ込む。背後で、扉が猛烈に閉じられる音がした。


「何やってんだ六花ァッ!! 近所からなんて言われると思ってんの……!!」


 廊下に突っ伏す形で倒れこんだアタシの背中に、六十キロ余の重りが叩きつけられる。

 ああ……そうだ。

 アタシには、液体を零す自由すらない。

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