[7]審判 -六花絹江-

 さんさんと朝日が輝いている。審判の朝だ。

 アタシは眠気眼をこすりながら、憂鬱を引きずるように通学路を歩く。

 今の気分を言葉で表すならば、最悪という他ない。

 学校に着けば全てが明るみになる。行かなくても、どのみちクラスの奴らには因果関係を明かされ、親にも連絡が行くことだろう。休む気にもなれない。バックれたって、いつかは捕まる。

 結局、何食わぬ顔で登校し、何も起こらないという奇跡を願うことだけが、ベッドの上で寝ずに立てた最大勝率の作戦だった。

 ゾンビの行進のようにふらふらと学校に向かっていると、不意に、後ろから抱きつかれる。……クラスメイト達だ。


「っはよ~、六花ぁ!」

「……あ、おはよ、やまねっち……」

「どしたの六花ぁ、元気ないよ? 顔色やば。っていうか、昨日どしたの? 返信全然なかったんだけど」

「ごめん、ちょっと色々あって……」

「マジ心配したからさー、返事ぐらいはしてよねー」


 こっちの状態もお構いなしに、普段通りのマシンガントークをかましてくる級友共に心の中で舌打ちをする。こいつら人の気も知らないで。

 とはいえ、昨日返信をすっぽかしたアタシに、この小集団において文句を言う権利はない。これ以上の失態を重ねないよう、リアクションだけは適度に返す。

 何とか学校まで辿り着くと、周囲をクラスメイト共に固められながら、教室への階段を登っていく。

 なにこれ死刑囚か何かかよ。生きた心地がしない。横の奴らの笑顔が、いつアタシへの嘲笑に変わるかと思うと、血の気が引いていく。

 何より、今この場においてアタシは、どれだけ鼓動が高まろうと、恐怖に苛まれようと、その様子をおくびにも出せないという事実が、一番辛かった。



* * *



 六年一組の教室。

 躊躇する自由も与えられず、アタシは踏み入ることを強制される。


「っはよー……」


 努めて普段通り、睨むような目つきで挨拶する。

 さっと中を確認する。教室の様子と、アタシへの視線を。

 教室は椅子や机が乱れていることもなく、紙が散らかってもいない。勿論、美月も転がってない。普段通りの様態だ。人も、朝練とか委員とか物好きとかで、朝早く登校する奴らが席に着いていて、特別アタシに異常な関心を向けてくる様子はない。

 アタシはひとまず、胸を撫でおろす。だがまだ何も安心できない。あの肉塊たんにん野郎がやってきて、朝の会でアタシを吊り上げたら、その時点でジ・エンドだ。アタシの人生は終了する。

 もういっそのこと、さっさと済ませてくれ。友人共をいなしながら、時計の針が一秒でも早く回ることを祈る。

 登校の遅い奴らも続々と教室に入ってきて、クラス内を喧騒が包み始めたところで、やっと朝のチャイムが鳴る。美月はいない。

 やや遅れて、担任ゴミが入ってきた。

 担任ゴミは「大事な話がある」と前置きし、教室内のざわめきを収めさせる。

 来た……!

 アタシは最早、いつ殺されても担任ゴミと刺し違える覚悟すらして、ヤツの言動を見張る。


「美月だが、骨折で入院することになった。退院は三日後だそうだ。なお、怪我が治っても、この教室に戻ってくるかどうかは、未定だ。そこで、見舞いのために、メッセージを送ろうと思う。今から紙を配るから――」


 ……え? それだけ?

 担任ゴミが告げたのは、美月が怪我をしたってことのみ。誰が犯人だとか、そもそもこの教室で凶行が起こったってことすら、口にしなかった。っていうか、やっぱ骨、折れてたのか……

 アタシは呆気に取られながら、前の席から送られてきた、美月へのメッセージカードを後ろの席に渡す。相変わらず手法が意味不明だな担任ゴミ美月アイツ多分アタシらのこと全員嫌いだろ。追い撃ちしていいの?

 その後、担任ゴミが会議があるとかなんとかで出て行くと、教室は再び喧騒に包まれる。近くの席の奴らが、アタシに話しかけてくる。


「えー、おもしろ。あいつ病院送りになったのかよ」

「車にでも轢かれたのかね。そのまま死んどきゃよかったのに」

「ヤンキーに喧嘩売ってボコられたとかだと面白いよね」

「あっ、ありそう~! 『どいて』――とか言っちゃったりしてねぇ!」

「っはは、似てる似てるーっ」

「でも良かったわ! これでクラスがまた一つ平和になったっしょ!」


 各々が好き勝手にくっちゃべるのを、アタシは貼り付けた笑みで聞いていた。本当か? 本当に安心していいのか? アタシは許されたのか? 隠し通せたのか?


「それなんだけどさ、美月の奴、昨日、この教室で倒れてたらしいぜ~?」


 びくり。

 ちょっと遠くから聞こえてきた男子の声に、思わず変な声を漏らしそうになる。

 お調子者の奴だった。噂好きな上、性質の悪いことに人望まである。たちまちゴシップに飢える級友ハイエナ共が食いついた。


「それってどういうことだよ星野ほしの!?」

「何でも、血を流してそこの壁ん所に倒れてたらしい。先生らが喋ってんのを聞いたんだよ」


 そう言って、星野は美月の席のあたりを指差す。

 クラス中の視線がそっちに向く。アタシも慌てて同調する。


「しかもな~? その時、教室中に、ひたっすら何かが書き込まれた、ノートの切れ端が散らばってたらしいぜ」

「それって、どういう……」

「昨日の学校で、女子の悲鳴を聞いたって話もある。……面白くなってきただろ? つまりだな――」


 星野は、わざとらしく溜めをつくると。


「美月は昨日――この教室で、悪魔の儀式を行っていたのさ。自らを生贄として、彼女は“呪い”をかけた! そう全ては、俺達六年一組への復讐のためにぃ~!」


 芝居がかった口調で、宣言する。

 教室は一度、しん、と静まり返ると――途端に、爆笑が起こった。


「あははは、星野、そりゃねーって!」

「でもありそー! あいつそーいうの好きだったもんねー!」

「え? じゃあウチら呪われちゃったじゃん! ヤベーじゃん! どうすんのよ星野~!」

「いや俺に言うなよ、美月に言えよ!」

「いない奴にどう言えってんのさ」

「それな! 言えてるわ天ッ才!」


 腹を抱えて笑うクラスメイト共の渦中で、アタシは冷や汗をかかずにはいられない。

 星野にとっては、他愛のないジョークのつもりなんだろう。けれどアタシには、それが冗談には思えなかった。

 あの日の美月の、妙に落ち着き払った態度。真っ当な人間の所業とは思えない、狂気の産物ノート。何より、アタシ自身が感じた恐怖。あの夢は、本当にただの夢だったのか? あの時逃げ出さなければ、アタシはこの世から消えていたのではないか?

 普段なら一笑に付すような世迷言が、今のアタシにとっては真実味を帯びた推論になってしまっている。

 そんな疑念の迷宮に囚われていたアタシの意識は。


「ねぇ六花ぁ」


 不機嫌な友人の声に引き戻される。


「なっ……何だよやまねっち」

「なんかノリ悪くない? 美月のこと一番嫌いだったの、六花でしょ?」


 穿つような、不信感の篭った視線がアタシに向く。

 マズい。油断していた。最大の危機を乗り越えたつもりになっていた。


「さっきから空返事ばっかりだし。ウチらの話聞いてないし」


 ざけんな、何でそういうとこだけはきっちり見てんだよ。


「六花ぁ、もしかしてだけどさあ……美月に同情してたりする?」

「そっ……そんなわけねーだろ! 清々したに決まってる!」


 アタシは声を張り上げる。


「ふーん」


 やまねっちは、そうとだけ返すと、黒板の方に向き直った。

 それ以上、何も聞く気はないというように。

 いや、はじめから、アタシの答えなど、求めていないというように。


 景色が崩れていく。

 空気が変わっていく。

 始業の鐘が鳴る。

 審判は下されず、されど、アタシにとっての日常は……終わり始めた。

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