[4]不理解 -六花絹江-

 窓から横殴りに差し込む太陽の光は、黒に染まりつつある教室の中で、アタシの行為を克明に映し出す。だからといって、アタシを阻むものは何もない。

 美月の席の辺りからは、まだ昼休みにぶちまけたコーラの匂いが漂っていた。あいつ、よく涼しい顔して授業受けられるよな、これで。

 さてさて、手始めにといった気分で、美月の机の中に手を突っ込む。何ともいえない背徳感と征服感に包まれていると、手に当たるものがあった。厚紙の感覚。

 そのまま掴んで、引き出してみる。それは一冊のノートだ。

 いたって普通の学習用ノート。表紙には何も書かれていない。その割には、何度も書き込んだノートのように、中身の紙が随分とヨレている。


「何だこれ?」


 アタシは興味本位で、そのノートをパラパラとめくってみた――














『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』



「うわああぁッ!!?」


 素っ頓狂な叫び声を上げて、アタシはノートを取り落とした。

 パサリと背で床を打ったノートは、自重に任せるまま、ぱらぱらぱら……と開き、その記述を教室に向けて露わにする。

 どくどくと心臓が波立つ。息を吸う。吐く。甘ったるいコーラの臭気が鼻をつく。

 床に落ちたノートが開きっぱなしになっているのが、何だかとてもに思えて、アタシは慌ててノートを拾う。

 その中身は、真っ黒だった。

 隅から隅まで、ひとつの単語で埋め尽くされている。

 『死ね』。

 何ページも、何ページも、欄内、欄外、あらゆる空白を塗り潰すように、丁寧に、乱雑に、しかしはっきりと。

 アタシは胸が張り裂けそうになりながら、それを確認する。分からない。どうして確認してるんだアタシは。そもそもこれは一体何なん


「ねえ」


 不意に声が聞こえた。


「ヒッ……!?」


 背筋が凍る。

 今度はロクな悲鳴も発せずに、反射的に振り向く。

 すぐそこに立っていたのは、美月だった。

 アタシを見下ろしている。

 いつの間にか、アタシは床に這いつくばっていたからだ。


「何してるの」


 冷淡に問われる。

 美月の表情はちょうど、窓枠で影になっていて、窺うことができない。

 ただ、引き伸ばされて巨大になった影だけが、アタシの視線の向こうで揺らめいている。


「こ、これ、何だよ……!」


 アタシは震える声と腕で、ノートを指して問う。


「私のノート」


 美月は答える。


「書いてるの。いつも。死んでくれないかなって」

「だ、誰が……」

「みんな」


 目の前の女は、淡々と、何でもないことのように答えていく。

 それが不気味でたまらない。

  

「そ、そんなこと、起こるわけない! バカなことしてんじゃねーよ……だからお前はイジメられんだよ! そうだ、お前が死んじまえばいい……お前が死ねばいいんだ、このゴミが――」

「そうね」

「――え」


 顔色ひとつ変えずに、アタシの喚きを肯定し。


「そろそろ死のうと思って。でも、どうせなら、一緒にみんな死んでくれないかなって。願えば叶うかなって」


 すらすらと、おおよそ正気とは思えない言葉を吐き散らす。

 ここは教室の筈なのに。

 こいつは美月の筈なのに。


「な……に、訳の分からないこと言ってんだッ! こんな、こんなもの!」


 アタシはノートを拾い上げると、力任せにノートを引っ張る。

 表紙を裂き、綴じられた紙を解いて、宙へ舞う呪いの文言。

 それを半狂乱になって掴んでは、バラバラに破っていく。

 破って、破って、破って、踏みつけて、叩きつけて……

 気が付けば、拳から紅いものが零れていた。

 眼前には、無残な姿になったノートと、教室中に散った紙の残骸。

 そして、美月。


「これで……これで、終わりだ! 残念だったな、お前の拠り所はだ! かっ、勝手に死んでろよ、このっ!」

「そう」


 変わらない態度。

 何でだ。

 今日に限って、どうして全く折れてくれない。

 早く、いつも通り降参してくれ、従ってくれよ。

 美月は真紅のランドセルに指を滑らせると、その蓋を開く。

 腕を入れて、美月がゆっくりと取り出したのは――“表題のないノート”。

 それで十分だった。


「あ……あああぁぁッ!!!」


 アタシは叫びながら美月を殴ると、そのノートを奪い取り、中身も見ずにビリビリと破き……床に転がった美月を、何度も何度も蹴り飛ばす。壁際に追い詰められた美月の腹部に何度目かの蹴りを入れると、壁と爪先とに挟まれ潰される形になった美月は、鈍い呻き声を上げて、そのまま動かなくなった。

 

「はぁっ……はぁっ……!」


 直接的暴力の行使。

 それはアタシにとって、最後の手段だった。格の違いを――どちらが上かを、理解わからせるための。

 果たして美月は動けなくなった。暴力に屈したのだ。アタシの勝ちだ。

 だというのに、手足の震えが止まらない。

 動悸が一向に治まらない。

 美月へ抱く“恐怖”が――なくならない。

 ふと、教室を見渡す。

 ほとんど沈みかけた夕日が映す、倒れて動かない美月。

 床一面に敷かれた、黒塗りのページ。

 甘い香りに混じる、せいぶつの匂い。刺すような冷え込み。

 鈍く締めつけるような全身の痛み。定まらない呼吸の音。鼓動の色。

 それらが、刻々と。心臓が一回脈打つごとに、鮮やかに。激しく。濃く。鋭く。変質していく。深くなっていく。

 その中で、太陽の光だけが、徐々に色を失ってしまう。

 美月は、動かない。代わりに、あいつの言葉が、頭の中でリフレインする。



 どうせなら一緒にみんな



 死死んんででくくれれなないいかかななっってて


 


「うわああぁぁぁぁぁぁああああぁぁっっっ!!」


 教室を飛び出す。


「いっ……いいか!? 誰にも言うなよ!? 誰にも言うな!! 誰にも……ッ!!」


 虚空に向かって意味のない言葉を叫び散らして、アタシは墜ちる太陽から逃げ出した。

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