第四話 違和感の真相

「こっちに来る前……最後に、旭さんの部屋に遊びに行ったときね、旭さんのパソコン、借りたの」


 少し躊躇いがちに語り出した柚葉ちゃん。その出だしに、なんとも不穏なものを感じた。

 俺の……パソコン……だと?


「いつでも勝手に使っていいから、て前に言われてたから、旭さんがトイレに行っているとき、借りたんだけど……そのとき、開きっぱなしになってて……」


 『開きっぱなしになってて』……? え……何が――!?

 さあっと血の気が引き、どっと背中に嫌な汗が噴き出し始めていた。

 もうすでに恐ろしい確信の種が俺の中で芽生えていたが……どうしても、信じたくなくて……いや、無い無い無い! ――と心の中で必死に抗うように繰り返していた。

 だって、嘘でしょ。ちょ、待って……いや、ほんと、それだけは、勘弁……! まさか……まさか、そんなこと、あり得るはずが……!? だって、いつも、ちゃんと閉じてたよね? 事が済んで、そのまま、放ったらかしになんて……。


「TATSUYAの……ネットレンタルのサイトで、『清純だった義妹いもうとが、突然、ノーパン淫乱ご奉仕』が……ちょうど、お風呂でしてるとこで停まってて――」

「ちょをおおああああ!?」


 思わず、がばっと顔を上げて、奇声を発していた。

 『清純だった義妹が、突然、ノーパン淫乱ご奉仕』――哀しいかな、そのどストレートなタイトルに、があった。記憶とアソコにしっかりと刻み込まれている。ずっと清純ぶっていた義妹が、ある日、なぜか持っていたローションを零して足を滑らせ、主人公おにーちゃんにノーパンだとバレるや、別人のように豹変してお家のあちこちであの手この手を使って四六時中ご奉仕の限りを尽くす、という大変見応えのある良作だった。

 しかし……いくら良作とはいえ、大衆の涙腺に響く名作映画とは訳が違う。一部の変態の性癖に突き刺さる映像作品だ。あくまで独りで楽しむものであり、それをカノジョに見られるというのは、武士なら(たぶん)腹を切るレベルの辱めである。


「柚葉ちゃん、それは違……あの、借りて無――いや、借りた……けども……そういうんじゃ……!」


 あたふたとする俺を、真っ白なTシャツワンピを身に纏った柚葉ちゃんは、まさに聖女と呼ぶにふさわしい穏やかな笑みで見つめ、


「旭さんはこういうの好きなんだな、て思ったの」


 やめてぇえええ!!

 ドカン、と頭が爆発したようだった。

 なに、この新手の拷問……? これもいわゆる羞恥プレイ? 全然、興奮しないんだけど。ただただ、居た堪れないだけなんだけど……!?

 サウナかな、てくらいにダラダラとあらゆるところから汗がにじみ出てくる。「あの、柚葉ちゃん……それは、その……」と呻くようにもごもご言って、視線を泳がせていると、


「だから、ちゃんと勉強しよう、て思ったんだ」


 勉強――?

 思わぬ単語に、はたりとする。

 それはかつて、俺たち二人を繋げていたもので。『ご奉仕』なんかよりも、ずっと柚葉ちゃんらしい――その清らかな声にしっくりと馴染む高潔な響き。しかし、なぜ、今、このタイミングで、そんな健全極まりない単語が……?

 おずおずと柚葉ちゃんに視線を戻せば、柚葉ちゃんは俯いていた。さっきまでとは違い、思いつめた表情で……。そして、「卒業式の日……ね」とぽつりと語り出す。


「私から旭さんの部屋に行って、誘ったくせに……ベッドの上で、私、何したらいいか、全然分からなくて……。

 旭さんがずっと我慢してくれてたの、分かってたのに。だから、高校卒業したら、その日に、絶対! て決めてたのに。ちゃんと……覚悟して行ったつもりだったのに。私、旭さんに任せっきりで……旭さんに何もしてあげられなかった。びっくりしてばっかりで、結局、最後までできなくて……」


 せっせとご奉仕してくれてたときとは、まるで別人のような――、しゅんと身体を縮め、か細い声でそんなことを言う柚葉ちゃんは、頼りなく自信無げで……。

 そんな姿に、ああ、そうだった――と、呼び起こされる記憶があった。

 も、柚葉ちゃんはこんなふうに落ち込んでたんだ。

 乱れたベッドの上にちょこんと座り、一糸纏わぬその華奢な体にブランケットを羽織り……こうして俯いていた。上気した顔に、羞恥と戸惑いの色を残したまま……。

 柚葉ちゃんが高校を卒業した日――一線を越え損ねた日だった。


「旭さんの期待に応えられなくて、旭さんのこと、がっかりさせた……て思って、つらくて……」


 今にも泣き出すんじゃないか、という震えた声で言って、柚葉ちゃんは急にばっと顔を上げ、「だから――」と必死な形相で俺を見つめてきた。


「今度は、絶対、旭さんの期待に応えようと思って……旭さんに喜んでもらいたくて……旭さんのパソコンであのビデオを見つけたとき、これだ! て思ったの。傾向と対策が大事だ、ていつも旭さんも言ってたし……十八歳になったら、これを見て勉強するんだ、て決めたの! 私、旭さんの義妹にはなれないけど……旭さん好みの淫乱にはなれると思って!」

「んな……!?」と、変な声が飛び出していた。


 何を言い出してんのー!? 

 確かに、傾向と対策が大事だ、て柚葉ちゃんに口を酸っぱく言ってたけども。覚えていてくれて、先生、すごく嬉しいけども。

 ――それ、共通テストの話ね!?

 大学生になるための方法を伝授してたのであって、淫乱になる方法を教えてたわけでは決してないぞ!?

 あああああああ……と声にならない悲鳴を上げ、俺は愕然として固まってしまった。

 つまり……そういうこと? 全部、そういうことだったの!? だから、ノーパンだったの? だから、突然、『ご奉仕』なんてしてきたの? だから、アソコを咥えながら『きもちいいですかひもちいいでふか?』とかあざといほどの上目遣いで言ってきたの? 全部、俺の『性癖対策』!?


「誕生日に、私も早速TATSUYAに登録して……同じビデオを探して観たの。初めて観たときは、理解できないことばかりだったけど……そういうときは反復だ、て旭さんが言ってたの思い出して、一ヶ月間、何度も観たの」

「何度も観たの!?」

「特に、最初のほう――」とまるで力説するように熱のこもった声で、柚葉ちゃんは捲し立てるように続ける。「まだ、たどたどしかった義妹に『おにーちゃん』が優しく教えてあげてるとこ、『おにーちゃん』の説明がすごく情緒豊かで丁寧で分かりやすくて、メモ取りながらセリフ覚えるくらい観たの!」


 ああ、そうそう。丁寧っていうか、ちょっとうるさいくらいだったよね、『おにーちゃん』の言葉責め――なんて、もはや現実逃避で俺も振り返りながら、不意にハッとする。

 メモ取りながら……セリフ覚えるくらい観た? あの……調を?

 その瞬間、鋭い確信が雷の如く背筋を走った。

 全てが繋がってしまった――。

 ノーパンから始まった違和感の数々。柚葉ちゃんの変貌ぶり。急に濃厚になったキス。思い出すだけでぞわっと腹の底が疼くような巧みな舌使い。まるで職人の如き、タイミングもツボもしっかり押さえた無駄のない手捌き。あれ全部――柚葉ちゃんに仕込んだの、『おにーちゃん』じゃねぇか!


*終わる終わる詐欺してすみません。結局、一話で収まりませんでした。あと少し、続きます。

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