6

 同好会サークルの者たちが早めに警察に連絡を入れてくれたことと、彼らに顔の利く同業者がいたことはたしかに利点だったのだろうが、少女の引渡しが終わった後もあれこれと手続きをしなければならなかったため、仙女と陽はその日付近の宿で一泊した。宿代は割り勘で払ったが、後々依頼人に請求するつもりでいる。不老不死でありながら面倒事を厭い、仙女と陽に任せっきりにした彼に原因があるも同然なので、責められる謂われはないだろう。


中華うちの仙人が悪かったな、小陽。ああいった面倒な手合いばかりではないから、どうか押し並べて嫌うのはやめてくれ」


 翌日、フライトは夕方だという陽は西安での食べ歩きを所望した。仙女としては特段困ることでもなかったため、快諾した──のだが、朝から食べる量とは思えない陽の健啖ぶりには畏れ入った。

 西安は内陸部であるため、小麦を使用した料理が多い。加えてシルクロードの出発点だったこともあり、国際色豊かな食文化が息づいている。八大菜系と比較すると見劣りしがちだが、数多くの香油や香辛料による味付けはこの地域ならではのものと言えるだろう。


「凰姐姐、どのお店も大変美味しいお料理でした。餃子や小龍包も、北京とはまた違った味で興味深いですし、特に羊肉を使った品は絶品でした。特に涼皮リャンピーはスパイスが効いていて良いですね。かの始皇帝が気に入ったという話にもうなずけます。あと街中に包子パオズーのお店がたくさんあるのも嬉しいですね。箸休めに色々な包子を食べられるのは楽しいです。お肉を包んだものも定番スタンダードで美味しいですが、カスタード入りのものはスイーツのような味わいで食後にはぴったりかと。以前日本のコンビニエンスストアの肉まんを制覇したことがあるのですが、やはり国によって違うものですね。勉強になります」


 十軒以上の店を回ったというのに、箸休めと称して十数種類の包子を頬張っている陽に、仙女は苦笑いしながらそれは良かった、と返した。

 普段はそれほど口数の多くない陽ではあるものの、食べ物のことになると非常に饒舌である。そして機嫌も良好だ。現に陽は公園のベンチで足をぶらぶらとさせており、容姿も相まって幼げに見える。

 平日の昼下がりということもあり、現在二人が休憩している公園にいる人は少ない。高齢者が散歩に寄るか、子連れの親子がいるくらいである。都市部は人が多くごみごみしている印象があるが、こういった閑静な憩いの場も時として生まれるものだ。


「のう小陽。余計なお世話やもしれんが、それほど食べてその……健康上の問題はないのか? いや、今のお前が太っている風に見える訳ではないぞ。むしろ華奢で、小柄で──まるで童子のようだ。私には、それが不思議でならぬのだが」


 胡麻餡の入った包子を食べ終えた時機タイミングを見計らって、仙女は普段よりも幾分か控えめに問いかけてみる。

 初日も思ったことだが、陽は健啖家な割には小柄である。本人の言葉が真実ならば、この見目で成人していることにもなる。

 痩せている、というのが問題なのではない。陽には成長の兆しが見受けられない。ある時期を起点に、成長が止まっている──仙女自身と同様の体質なのではないかと、陽と付き合ううちに思い至りつつあった。

 包子の入った紙袋に手を突っ込もうとしていた陽は、はたとその動きを止めた。気だるげなまぶたは見開かれ、黒々とした目は不安げに揺れている。

 やはりか、と仙女は目をすがめた。やはりこの少女は、常人とは異なる体質を有している。


「何、話したくないのならそのままで構わんよ。私の単なるお節介だ。お前の生活に支障がないならそれで良い」


 仙女とて、陽を追い詰めたい訳ではない。それゆえに、やんわりと区切りを付け──ようとしたのだ。


「……いえ。尤もな疑問です。それに……私は、私のことを己の中だけに留め置きたくはないのです。どうか聞いてください」


 しかし、陽は黙りを決め込む選択をしなかった。膝に置かれた手は固く握りしめられ、所々は白く変色している。

 これは尋常ならざる理由がありそうだ、と仙女は推測した。この様子だと、陽は長らく思い悩んできたに違いない。仙女は沈黙で先を促した。


「……私はある怪異に呪いをかけられたことで、その当時の肉体年齢から成長することが出来なくなりました。ちょうど、五年前のことだったと思います。あれから私はずっと当時の姿のまま。一人だけ、時間の流れから置き去りにされてしまった」

「呪い──か」

「その呪いを解くために、私は怪異を追っています。あれは一ヶ所に留まる気質ではない──人を魅了し媒介させることで世界を渡り歩く、物質化した魔術とも言える存在です。統一した呼び名はありませんが……私はあれを、グリモワールの悪魔と呼びます」


 そう語る陽の口振りは、顔を見ずともわかる程の嫌悪感を帯びていた。平素の淡々とした抑揚のない声色とは異なる、地の底から響くようなおどろおどろしい声だ。

 異郷の響きを纏った怪異。仙女はその名を聞いたことはない。しかし、厄介な性質を持つ怪異なのだろうと予想することは出来た。


「だが、小陽。何故その怪異はお前に不老の呪いをかけた? 呪いというからには、死や不幸に繋がるものが一般的なように思えるが」


 足を組み、仙女は前を向いたまま指摘する。

 人を貶めようとする呪術の類いは古代から存在した。武帝時代の巫蠱ふこの獄が良い例である。あの事件は疑惑が独り歩きしたきらいが否めないが──それだけ、呪いとは人を動かすものだった。そういったものに対して耐性を持つ仙女としては、何を恐れることがあるのだろうと首をかしげざるを得ないが。

 問いを投げ掛けられた陽はというと、ぎり、と鈍い歯軋りで応答した。その後に、感情を無理矢理に押し込めた、何処と無く潰れたような声で続ける。


「あれいわく──私は、英雄の器だそうです」

「英雄? お前が?」

「私でもどうかしていると思います。……が、あいつは怪異と近しい私ならば英雄として死ねると言う。英雄らしい華々しい死に様が見たいというただそれだけの理由で、あれは私から老いを奪いました。何でも、若く瑞々しい姿が最も英雄に相応しいのだそうです。おかしいですよね、こんなの」


 でもあれは私を英雄たらしめんとしている、と陽は呟く。そのために老いを奪い、彼女が英雄らしく死ぬことを望んでいるのだと。

 仙女は陽を再度一瞥した。

 英雄というにはあどけなく華奢な、ただの少女だ。たしかに芯は強く周りに流されない意思、そして怪異に対する気丈さも持ち合わせているのだろうが、仙女からしてみれば彼女は危険に身を投じることや、命のやり取りに向いているとは思えない。どちらかと言えば静かな日常の中に溶け込んでいる方が似合うと仙女は思う。

 何より、本人が納得していないのに一方的に他者の願いを押し付けられているという点には、怒りを通り越して乾いた笑いしか出てこなかった。陽とその怪異の間に何があったのか定かではないが、一人の少女に背負わせるには荷が重い。


「──事情はわかった」


 深掘りするようなことを言って悪かった、とまず仙女は謝罪する。


「私も探そう。お前に呪いをかけた、その怪異を」


 次いで発した言葉に、陽はえ、と短い疑問の吐息をこぼして瞠目した。

 常に無表情なのでわかりにくかったが、この少女は並よりも綺麗な顔をしている──と仙女は気付いた。勿論、土地によって美醜の基準は異なるが、少なくとも仙女は陽の感情の起伏が表情に乗って現れた瞬間を美しいと思った。


「そんな──あなたに、其処までの迷惑はかけられません。お話を聞いていただくだけで良かったんです」

「そう畏まるな、困っているのはお前だろう。世界を渡り歩く怪異ならば、いずれ中華に渡ってくることもあり得る。私は中華から出られぬゆえ、国境は越えられぬが──お前一人で世界各地を走り回るよりは良かろう? 私も直近の仕事は今のところないからな。大したことは出来ぬやもしれんが、手伝わせてくれ」

「しかし──」

「独りで大事を成すは荷が重かろう。どうか私を傍観者にさせてくれるな」


 それとも、と仙女は口角を上げる。


「誰も老いない清浄の地──仙境に連れていってくれようか。其処なら、お前も他者との差異に思い悩むことはあるまい」


 つい、と視線を走らせれば、陽は数度瞬きをした。きょとんとした顔は子供のようで、あどけなく──そして何よりも無垢だった。

 暫しの間、二人は黙して見つめ合う。──が、先に沈黙を破ったのは陽だった。


「……凰姐姐」


 そう呼び掛ける少女は、困ったように眉尻を下げている。


「あの……気分を害されたのなら申し訳ないのですが、もしかして他人を脅すのが苦手でいらっしゃる?」

「…………ばれたか」


 いや本気ではあったのだぞ──と仙女はそっぽを向きながら言い訳する。

 数千年を生きる仙女にとって、仙境とは馴染み深いものだ。行き来するだけならどうということはないし、その気になれば常人を連れていくことも不可能ではない。仙女のように帰ってこれるかは別として、不老の呪いを案ずることなく平穏に生きられるという点においては名案だと思ったのだが。


「いや何、今まで私を脅してきた者を真似ただけだからな。失敗するのは当然であろうよ」

「凰姐姐に脅しは効かない……ということでしょうか」

「うん、そういうことにしておいてくれ。お前が私に脅しをかけるとは思えんがな」

「当たり前です。あなたは私の協力者なのですから、これ以上関係を悪化させたくはありません」


 そうか、と仙女は呟く。淡々とした口調が戻ってきている辺り、陽の精神状態も凪ぎつつあるのだろう。

 誘いをかけた身で言うのも何だが──恐らく、陽に仙境は似合わない。時の流れから隔絶された停滞の土地など、時流を泰然自若と渡り歩いていけるだけの力を持つ彼女には不用なものだ。


「とにかく、だ。私も可能な範囲で、お前の言う怪異を探してみるよ。どうせ滅多なことでは死ねない体だ、たまには誰かのために尽くすのも良かろうよ。故に私を止めてくれるな、小陽。時には年長者に甘えるのも手だぞ」


 灰色の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回せば、陽はばつが悪そうな顔をした。唇を尖らせて文句をこぼす姿は、見た目通りのいとけない少女である。


「小さいからと、安易に頭を撫でるのはやめてください。あなたにとっては年下の小娘かもしれませんが、これでも成人しているのですよ」

「そう拗ねるな。私には弟や妹がいないのだ。小さき者を愛でるのは、またとない機会なのだぞ。年寄りを慰めると思って、おとなしく構われることだ」

「ああ言えばこう言う……年寄りって、あなたは姐姐お姉ちゃんではなかったのですか」

「はっはっは。何でも良かろう、決まりきった型のみに嵌まるのは窮屈なのだから」


 に、と歯を見せて笑って見せれば、陽はわざとらしく溜め息を吐いた。

 成長を封じられた少女。中身ばかりが熟して、いつか内側からぐずぐずに腐り落ちてしまうかもしれない危うさを持った、不安定な存在。

 条件は同じだ。仙女も、陽も、時の流れから逸脱し、取り残されている。その期間が四桁か二桁かの違いだ。


(どうか、私のようになってはくれるなよ)


 故に、願わずにはいられない。隣で包子を頬張る少女が、第二の自分にならないことを。

 その内心を決して陽に悟らせまいと思いつつ、仙女は昼下がりの公園を眺める。飽きてしまいそうな程に穏やかな風景が、ひどく愛おしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る