9
ルスラーンの問いかけに、タラスはクッと喉の奥を鳴らすような笑いを以て答えた。今まで聞いたことのない笑い方だ。ルスラーンの記憶の中にいるタラスは、このような陰湿な笑いをこぼす人ではなかった。
「……アルマトに例の奇病を流行らせたのもお前ってことかよ」
それ以上何も言わずに銃口を押し付けてくるタラスに、ルスラーンは挑むような口振りで再度問いを投げ掛ける。
振り返られるような状況ではないため、タラスの表情はわからない。だが、次いで発せられた声の調子から、笑い続けているのだろうということは察せられた。
「奇病など流行らせてはいないさ。あれは病じゃない」
君にも馴染み深いものだよ、とタラスは続けた。
アルマトの住人が目覚めないのは、疾病によるものではなかった。そしてそれはルスラーンにとって馴染み深いものだという。
(青白い顔の連中がいなかったから、ただの病気じゃないとは思ってたが……まさかこいつ、怪異を使ったのか?)
タラスに怪異は見えないはずだ。──いや、見えないふりをしていたのかもしれないが、今は置いておこう。
しかし、怪異の力を借りるのは容易なことではない。少なくとも、アルマトの周囲にいる怪異たちは気紛れで、基本的に人間に対しての興味が希薄だ。だからこそ、ルスラーンのようなイレギュラーを気に入ったのだろう。
ルスラーンの知る限り森や川といった自然の中に棲む怪異たちは、人を殺すことはあっても仮死状態にするといった器用な真似は出来ない。彼らのほとんどは自然の持ち得る脅威のようなもの。生かすか殺すかのどちらかなのだ。動けない状態にしておく意味がわからないし、そのような中途半端な状態にするくらいなら一思いに殺してしまった方が良いのでは、と思う者が多いと思う。怪異たちは、興味のないことに対してはとことん面倒臭がりなのである。
それに、アルマト周辺の怪異たちは暇人ならぬ暇怪異ということだけあって情報伝達がやたらと速い。自分たちの中で人間に助力する者がいると知れば、噂になることは間違いない。ルスラーンにもその旨が伝えられるはずだ。
(こいつ……何を使った?)
ふと、小屋に入ったアンジェリカのことが気にかかった。小屋はそう大きくも広くもないはずなのに、彼女からの反応はない。ルスラーンとタラスの声が聞こえている可能性も高いというのに。
漠然とした不安感が、ルスラーンの胸を駆け巡る。
「……お前、小屋の中に何を隠してる?」
からからに渇いた喉から声を振り絞る。自分の死よりも、小屋の中に何が潜んでいるかの方が気にかかって仕方がない。
背後に立つタラスの息が、先程よりも少し上がった。それは息苦しさからではなく、気分の高揚によるものだった。
「は、はは。はははははは、はあっ、はっ、は──」
寒さからか歯を鳴らしながら、タラスは哄笑する。この上なく嬉しそうな声だった。風が吹いているはずなのに、彼の笑い声だけはやけに耳にこびりついた。
「ああ、聞かなければ良かったのにね、ルスラーン。何も知らないまま死ねたなら、君はまだ幸せだったものを」
タラスが何を言いたいのか、ルスラーンにはさっぱりわからない。
どうやら自分は命の危機に晒されているらしい。それでも気がかりなのは、自分の身の安全ではなくアンジェリカの安否だった。
「本当は君を餌にするつもりだったのだけれど──まあ、誰であろうと構わない。あの女も君と似たようなものだろう。あれに食わせるには丁度良い」
「餌……? タラス、お前は何を……」
「はは、せっかくの機会だ。君にも教えておいてやるよ、ルスラーン。どうせ近々始末されるのだからね」
「俺は悪霊を飼っている。何もかも食らう悪食だ。そいつはそこの小屋に置いてあるんだが、生憎と今腹を空かせていてね。だが、村にやって来る死神やら、家にいるとかいうドモヴォーイはもういないらしいんだ。悪霊の奴、片っ端から食っていったんだろうね」
「お前……怪異を食わせてたのか? そんなことが……」
「出来るんだよルスラーン。俺が命令せずとも、あれが勝手に食らうのだから。アルマトの連中は、自然に昇天することも出来ない生き汚い奴等だ。死神を食わせたところで死にはしない」
「……何がしたいんだよ、お前は。生かさず殺さず、昏睡状態じゃお荷物も同然じゃねえか。それに、お前の親父だって……。何だってこんな、中途半端な……」
「黙れよ」
さらに銃口を押し当てられて、ルスラーンは口をつぐんだ。下手に喋れば、それだけタイムリミットが近付くということか。
苛立っているらしいタラスは、ふぅぅぅ、と細く息を吐き出した。そして、ルスラーンではない相手に向けて声を上げる。
「おい、出てこい! 新しい餌を用意している。邪視の力を持つ人間だ、きっと先の女よりも美味いだろうさ」
小屋の中から僅かに物音が聞こえる。何者かが身動きしたのだろう。
タラスは本気で自分を食わせるつもりなのか。伝承の中でしか語られぬ悪霊に。
(シェールィ……!)
せめて、アンジェリカだけでも無事であって欲しい。彼女はアルマトと無関係だ。何を目的にタラスが悪霊を飼っているのかはわからないが、少なくともアンジェリカが食われる筋合いはない。
かつん、と何かを殴打するような音が聞こえた。その後に、やや湿った音と共に何かが転がる気配がする。
「──は?」
タラスの絶句する声が聞こえた。彼の望む光景ではなかったのだろうか。
途端、ぐらりと地面が揺れる。目眩ではなく、ルスラーンの立つ大地が震動していた。
タラスがバランスを崩し銃口の位置がずれたのを、ルスラーンは見逃さなかった。身を屈めて拘束の内側から脱し、その勢いのままタラスの脚に自分のそれを引っ掻ける。突然の震動に対応しきれていないタラスは、すぐに姿勢を大きく崩した。
その隙をルスラーンは見逃さない。自分も倒れそうなところをどうにか踏ん張り、タラスの手首に手刀を叩き込む。そうして彼が取り落とした銃を拾おう──としたがうまく体勢を整えられず、そのまま地面に叩き付けられた。
「ルスラーン君!」
揺れは既に収まっていたが、ルスラーンの視界は未だぐらついて定まらなかった。どうにか起き上がろうともがいていると、ぐっと腕を引かれる。
見上げれば、特に目立った外傷もなくしっかりと二本の足で立っているアンジェリカがいた。
「大丈夫ですか。立てますか」
「あ、ああ」
大丈夫かと聞きたいのはこちらだったが、まずは体勢を整えるのが先決だ。ルスラーンはぎこちなくうなずいてから、自分よりも小柄な少女に体重を預けることに申し訳ない気持ちを覚えつつ、彼女の手を借りて立ち上がった。
アンジェリカはそれを確認すると、ぱっと手を離してある方向に駆け出す。彼女は向かった先に転がっているもの──先程ルスラーンが取り落としたタラスの銃だ──を足で蹴飛ばし、こちらを睨み付けるタラスに向き合う。
「何故だ──何故生きている? あの小屋には悪霊がいたはずだ、お前ごとき食らうのは造作もないはずなのに──!」
目を見開き憎々しげな眼差しを向けるタラスを前にしても、アンジェリカは動じない。いつの間に手にしたのかわからない──小屋には工具があった記憶があるから、恐らく其処から拝借したのだろう──長めのバールを構えて、タラスに対して迎撃態勢を取る。
「ああ、あの肉塊ですか。あなたにとっては恐るべき怪異だったのでしょうが、所詮は人の手が加えられた粗悪品。少し聖水を振りかけただけでたちどころにあの様です。どれだけの費用をかけたのか私は存じ上げませんが、この程度で縮んではとんだぼったくりです。訴訟を起こしても良いと思います」
「そ──んな、はずは」
「実際、
コートのポケットから小瓶らしきものを取り出したアンジェリカは、相変わらず淡々とした口調で言葉を連ねた。
ルスラーンは、そっと視線を移ろわせる。先程、アンジェリカよりも先に小屋から飛び出してきた何か。それが、タラスの言う悪霊なのだろう。
悪霊とは、一般的に堕落した御使いのことを指す。また、何らかの未練や悪意を持った霊魂も定義には含まれるという。
そのため、ルスラーンは少なからず人の形をしたものと想像していたのだが──地面の上でぴくぴくと痙攣するそれは、ねばりけのある粘液を滴らせる、薄桃色と赤が入り雑じったような色合いをした拳大の肉塊でしかなかった。アンジェリカいわく聖水で縮んだというから、もともとはもっと大きかったのかもしれないが。
タラスは無表情のアンジェリカに対する敵意を隠すことなく、普段の彼からは想像出来ない獰猛な歯軋りをした。己を取り繕う余裕すらないのだろう。劣勢は明らかだった。
アンジェリカはバールを構えたまま、やはり抑揚のない声で続ける。
「あなたがアルマトに何を思っていらっしゃるか、少なくとも私が知ることはないでしょう。ですがあなたの犯した罪は、行政によって既に捕捉されています。どのような罪状になるかはわかりませんが、この後すぐに今まで通りの生活に戻ることは難しいでしょうね」
「……警察に連行するとでも? 確たる証拠も押さえられないだろうに」
「証拠なら既に入手しています。先程、小屋の中でそちらの悪霊──一部分だけですが──をサンプルとして回収しました。だいぶ弱体化してはいますが、生きているうちに回収したので参考資料としては十分でしょう。何処まで逃げようとも、あなたに照準を定めることはそれほど難しくはないのですよ、ラジモフさん」
逃げ道はほとんど塞ぎました、と無機質な声が告げる。
タラスは瞠目した。わなわなと唇を震わせて、何か言葉を発しようとしたようだが──彼はその前に、行動を起こしていた。
「あいつ──!」
タラスが向かった先は、先程アンジェリカに蹴飛ばされた銃のもと。そう大きくない自動拳銃に、タラスは
だが、あれを取り戻されてはこちらの立場が危うい。二対一とはいえ、銃火器を持ち出されては圧倒的に不利だ。
タラスを止めるためか、アンジェリカが無表情のまま彼を追いかけようとする。低く構えたバールで殴打でもするつもりだったのだろうか。
しかし、ルスラーンは彼女を止めた。揺れるマフラーを掴み、声を張り上げる。
「レーシー! 奴を止めてくれ!」
瞬間、周辺一帯に轟、と唸るような音が反響する。
ルスラーンはアンジェリカのマフラーを掴んだまま、もう片方の手を目元に
それとほぼ同時に上がったのは、ひきつったタラスの悲鳴。しかし彼は先程いた場所には立っておらず、視線を上に向けなければ見えない位置にいた。
『 もっと早く呼んでくれても良かったのに 』
タラスの体は何者かにつまみ上げられ、両足はぶらりと垂れ下がっている。必死にもがく彼の顔は見えないが、恐らく恐怖に染め上げられていることだろう。
足元だけでもパニック状態とわかるタラスをつまみ上げている張本人は、か細い悲鳴を上げ続ける彼には目もくれずにルスラーンを見下ろしていた。長く真っ白な髪の毛によって顔の全容は見えないが、髪の隙間から見える瞳は夜闇でもわかる程爛々とした光を放っている。
「さっき地面を揺らしたのはお前だな? あの時点じゃ誰が来るかわからなかったからびっくりしたよ」
『 だって、仕方がないでしょう。ルーシャってば、あの白いふわふわに言伝てしておいて、助けのひとつも求めやしないのだもの 』
心配だったんだよ、と森の主は頬を膨らませる。
此処だけ切り取って見ると、図体ばかり大きな子供のようにも見えるが──レーシーはれっきとした怪異。人の想像を遥かに超える、超自然的な存在だ。人を殺すことなど造作もなく、その気になればアルマトを潰すことも出来る。本来なら、畏怖され忌避の対象になるはずである。
そんなレーシーに好かれたのは、ルスラーンにとって幸運と言えた。困らされることも少なくはなかったが、それ以上にレーシーはルスラーンを助けてくれた。
アンジェリカの提案でセラを先に遣わせたのが幸いしたのだろう。ルスラーンの危機を見たレーシーは、彼らのもとに駆けつけた。しかしルスラーンが助けを求めないため、いてもたってもいられず足踏みをしてタラスの拘束から逃がそうとしたらしい。結果としてルスラーンも体勢を崩してしまったが、今となっては些細な問題だ。根に持つことではない。
『 それよりさあ 』
口元に弧を描いたレーシーは、持ち上げたタラスをぷらぷらと揺らした。あどけない面持ちに、一種の残酷さが浮かぶ。
『 これ、どうしようか? なんか最近臭いと思ってたけど、これが変なのを飼ってたからだったんだね。それに、ルーシャのこともいじめてたし……潰しちゃう? それともここから落としちゃう? 人間って小さいから、ぼくにはそれくらいしか出来ないんだよねえ。他にいい考えがあるなら教えてよ、人間で遊ぶのって久しぶりだから 』
どうやらレーシーはタラスに報復──とはとてもではないが言えない程度の暴力──を加えようとしているようだ。表面上はにこにことした笑顔だが、よく見ると目が笑っていない。レーシーは好ましい人間が傷つけられたことに対して怒っているのだろう。人間に危害を加えるレーシーではあるが、
ルスラーンは宙吊りのタラスに視線を向けた。彼は気絶しているのか、既に悲鳴すら上げていなかった。
「俺のために怒ってくれたことには感謝するけど……そいつは人間だ。罪を犯したのなら、まずは人間や人間の法によって裁かれるべきだ。此処で殺すのは望まない」
だから下ろしてやってくれ、とルスラーンは求めた。タラスがどのようなことを仕出かしたのだとしても、殺そうとまでは思わない。そもそもルスラーンは血なまぐさいものが好きではないし、一時の感情で間接的ではあるが人殺しになれる程短絡的でもなかった。
レーシーはそう、と短く呟いてから、そろりとタラスを地面に下ろそう──として、ぴたりと動きを止めた。
『 ルーシャは優しいね。でも、そこに漬け込む奴がいるのは許さないよ。人間でも、お化けでもね 』
今回は止められちゃったけど、と付け加えて、今度こそレーシーはタラスを解放した。案の定タラスは気を失っており、その表情は恐怖に支配されていた。
ルスラーンはタラスに近付く前に、もう一人の同行者の方を見る。レーシーの言及は間違いなく彼女に関するものだろう。
「ゴルフボールになるだけでは物足りなかったようですね。狂犬の真似事だなんて、怖いもの知らずにも程があります」
アンジェリカは足下に転がっている肉塊こと悪霊──移動したのだろう──に冷ややかな眼差しを向けていた。彼女の持つバールの先端は、悪霊の口らしき部分に差し込まれている。ぐり、と動かす度に水っぽい音がして、お世辞にも快い聞き心地とは言えなかった。
大方、この悪霊は隙を見てルスラーンに噛みつこうとしたのだろう。レーシーはそれに気付いていた。あの動きから見るに、タラスを悪霊にぶつけようとでもしていたのだろうか。アンジェリカの介入によって踏みとどまってくれたのは幸いだった。最悪、肉塊が増えていたところだ。
加えて、先程悪霊が転がり出てきたのはアンジェリカによって打ち出されたことが明らかになった。バールがパター代わりだったのだろう。あまり想像したくない光景である。
何はともあれ今度こそルスラーンはタラスに近付き、彼の心音や脈が安定していることを確認する。
彼はまだ生きている。治療が必要な状態にも見えない。
「シェールィ、これからどうする? 俺はこいつを運んでくつもりだけど……」
抉るのには飽きたのかバールで殴る方向に移行していたアンジェリカは、そうですね、と言いながら顔を上げた。笑顔で殺意をちらつかせるのもどうかと思うが、それと同程度に無表情も気味が悪い。
「サンプルは採取出来たので、この悪霊はもう用済みです。これだけ弱っているのですから、残りの聖水をかければ消滅するでしょう」
「その……
「それなりの形を持っている悪霊ならその必要がありますが、そもそもこれは改悪に改悪を重ねた粗悪品です。安価で売るために色々切り取られたり、混ぜ物をされたりしたのでしょう。昔の牛乳や酒のようにね。ですから、祓魔の儀式がなくとも問題ありません。消えるだけでしょうし、この程度の存在に呪われる程私は
言いつつ、アンジェリカはだいぶ平べったくなった悪霊に小瓶の中身を振りかけた。じゅわあ、という蒸発する時にも似た音が鳴り、肉塊は溶けて地面に染み込んだ。特に攻撃された様子もなし、ほとんど抵抗出来ない状態だったのだろう。
さて、と呟いてアンジェリカはルスラーンに向き直る。色白の顔には汗ひとつ浮かんでいない。ただ、頬や鼻先はほんのりと赤かった。
「そろそろ集落に戻りましょうか。ラジモフさんも背負わなければなりませんからね。行きよりも時間がかかると考えるのが妥当でしょう」
「そうだな。迷わなければ良いが」
「大丈夫、道筋なら記憶しています。私が先導になりますよ。今日は星も出ていますし、寒いことを除けば歩きやすい方です」
言葉を連ねながらアンジェリカは歩き出そうとしたが、ルスラーンは再び彼女のマフラーを掴んで制止した。一度目に弛んでいたそれはほどけ、アンジェリカはぐぇ、と小さな呻き声をこぼす。
「引っ張るのはやめてください。苦しいです」
「わ、悪い、シェールィ。でも、こいつにお礼を言わないと」
見上げた先には、じいっとこちらを見下ろすレーシーがいる。その瞳を見つめ、ルスラーンは口を開く。
「ありがとう、助けてくれて。あと、こいつを生かしてくれたことも」
『 いいんだよ。ぼくとルーシャの仲じゃない。ぼくたちはずっとお友だち。アルマトにぼくたちの望んだ人はいなかったけれど、ルーシャがいたからそれで十分 』
にこ、と微笑んだレーシーはルスラーンから視線を外し、ねえ、と呼び掛ける。
『 シェールィちゃん、だっけ? かわいいお名前だねえ 』
「ありがとうございます」
『 君、都会から来たでしょう。西の方の顔つきだよね。モスクワ? それともペテルブルグ? ぼく、ヴォルガの川に近いところにいたことがあるんだよ。ずっと昔の話だけどね 』
レーシーの口から都市部の名前が出たことに、ルスラーンは少なからず驚いた。彼が西部の出身だということも初耳だが、レーシーの伝承の出所を考えれば不思議な話でもない。
アンジェリカはぱちぱち、と何度か瞬きをしてから、いえ、とやんわりした否定から入った。
「たしかに、私の依頼主はモスクワ在住の方ですが……私自身は、この国の出身ではありません。何度かロシアを訪れたことがあるだけの外国人です」
『 そっかあ。都会の人と話し方が似てたから、もしかしたらと思ったんだけど 』
「そうおっしゃっていただけるならありがたいです。頑張ってお勉強したので」
アンジェリカの語学力なら、
レーシーは満足したのか、それ以上アンジェリカに問いかけることはなかった。再び微笑みを湛えて、それじゃあ、と切り出す。
『 ぼくはもう寝るね。ルーシャたちも、ゆっくりおやすみ。色々大変だったでしょう 』
「そうだな。出来るだけすぐに寝付けると良いが……こいつを送ってかなくちゃだからな。明日は寝不足かも」
『 健やかでいてね、ルーシャ。それがぼくたちの願いだよ。ヴォジャノーイもルサールカも、森の皆も、ルーシャのことが大事だから。自分のこと、粗末にしないでね 』
人に害為す怪異とは思えぬ言葉を残して、レーシーは森の中へ沈むようにして消えていった。それきり、森は静寂に包まれる。
「行きましょう、ルスラーン君。名残惜しい気持ちはわからないでもないですが、此処に留まり続けては体を冷やしてしまいます」
アンジェリカに促され、ぼうっと森の木々を眺めていたルスラーンは首肯する。寝かせたままだったタラスの腕を取り、そのまま背中に背負い込む。
「手伝いましょうか」
「いや、大丈夫だ。あんたには助けられてばかりだし、頼ってばかりもいられないよ」
「気にしなくても良いのに」
くすり、と笑ったアンジェリカの顔に浮かんでいたのは、これまで見た不自然な笑みではなかった。顔立ちよりも大人びた、穏やかな笑いだ。
これが、彼女の本来の表情なのだろうか。
あれこれと考えたい気持ちはあったが、今は村落に戻ることが先決だ。ルスラーンはずしりとのし掛かる重みを背負いつつ、目的地に向けて歩を進めた。
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