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 わかりきっていたことではあるが、アンジェリカの調査に協力しようという村人は皆無だった。彼女は遠慮なく戸口を叩き、こんにちは、などと声をかけているが、昨日の有り様からも察せられるように出てくる者は今のところ一人もいない。誰もが扉や窓を閉めきって、居留守を決め込んでいる。


「訪問は困難のようですね。皆さん家に引き込もっていらっしゃる。引きこもり問題、深刻です」

「そりゃ、昨日の様子じゃ皆怖がって出てこないだろ。ただでさえ、余所者を遠ざける風潮のある村なんだ。かつ、村一番の嫌われものがいっしょとなれば怖くて堪らないんじゃないのか」

「呪われるから──ですか? 面白い冗談ジョークですね」


 口ではそう言うが、面白がる素振りは見受けられない。そもそも、アンジェリカにとって面白いものとは一体何なのだろうか。

 淡々と皮肉を口にする辺り、彼女はイギリスの出身なのかもしれない──ルスラーンは取り留めもなく思う。イギリス人の全てが皮肉屋と言いたい訳ではないしそもそもイギリスの土を踏んだこともないが、何となくそういった印象があるのだ。何でも一括りにするな、と各所から怒られそうなので口にはしないでおく。

──それはさておき。


「あんた、オカルトとか扱っているんじゃなかったか? 何で呪いが面白い冗談になるんだよ」


 怪異が見えるだけで呪いだの何だのといったものに関して触れたことがない──と自負している──ルスラーンとしては、完全に『ない』とは言い切れない。セラや死神はたしかに見たことがあるのだから、呪いと呼ばれる現象もあるにはあるのではないか。

 訝しげに見下ろすルスラーンに、小さな調査員は簡単なことですよ、と切り出す。本人にそのつもりはないのだろうが、頭の悪い子供に言い含めるような言い方なので、彼の口はへの字になる。


「良いですかルスラーン君、呪いというものはかける者とかけられる者があって初めて成立します。対象は人間……いえ、生物とは限りませんが、だとしても呪物や呪術者が存在しなければ成り立たないのですよ。アルマトにおいてはスラブ神話に基づいた民間信仰が流布していますが、その中の精霊たちは物理的に人間を傷付けることはあっても遠方から呪う、といった事例はほとんど見受けられません。バーバ・ヤーガのような魔女であれば可能なのでしょうが──今のところ、それらしい存在はいないようですからね。我々は魔女扱いされましたけど」

「……もしかして、昨日のことを根に持ってるのか?」

「いえ、まさか。私は大人ですので、小さなことは気にしません」


 どう見ても根に持っている。顔には出ないものの、全身から漂うオーラが不満を訴えている。よっぽど不快だったのだろう。

 案外わかりやすい人なのかもしれない──ルスラーンは謎多き相方の人間らしさ、その一端を垣間見て独り安心感を抱いた。


「……話を戻しましょう。とにもかくにも、単なる呪いの可能性は低いかと。まず危篤のまま止め置く意味がわかりませんし、アルマトの何を狙いにしているのかも不明です。単に村人を苦しませようとしているのなら、むしろ悪手と言えましょう。彼らは原因不明の奇病よりも、外部に干渉することを避けたがるような方々です。本気でアルマトを潰したいなら、ただ死の淵に置いておくよりも効果的な方法があると思います。結果的に何を得られるのか?と問われれば、何とも言い難いものですが」


 民家が立ち並ぶ道であろうとも、アンジェリカは遠慮なく推論を並べ立てる。誰かに聞かれていたら──というか、聞かれている前提で話しているのかもしれない。


「加えて、対象を危篤状態のまま死なせないという事例は明らかに異常です。──ルスラーン君、何故だかわかりますか」


 つい、と目線のみを上げて、アンジェリカは問いかけた。何を、まではわからないが、どうやら期待されているようだ。

 ルスラーンは村長宅の光景を想起する。危篤の村長、沈痛な面持ちのタラス、変わらず暖を与える暖炉ペチカ──。其処に死の影はなく、ただ村長が意識を失っているだけのように見えた。加えて、死人が出る直前の、何とも言えぬ薄ら寒さや死の臭いは全くと言って良い程感じ取れなかった。

 青ざめた顔の者──死神すら見当たらない、日常の中に放り込まれた異物。誰も死んでいない、その状況が前提として受け入れられない──いや、受け入れたくないとさえ思う環境。


「……死が間近に迫っているはずなのに、そもそも生気が何処にも見当たらなかった。村長が死んでないことが違和感というか……悪い、不謹慎かな」


 恨みのあるなしに関わらず、ルスラーンには村長がに見えたのだ。こんこんと眠り続けながらも心臓を動かしている、その状況に違和感を抱かずにはいられなかった。

 上手く表現出来ず尻すぼみになるルスラーンを、質問したアンジェリカは咎めなかった。むしろ致し方ありません、とフォローを入れてくれる。


「君はいわゆる霊感が強い人ですから、他者の寿命をうっすらと感じ取れるのでしょう。それをまとまった形で口にするのは難しいことです、多少荒くとも私は咎めません」

「そうかい。で、理由としては合ってるのか間違ってるのか、どっちなんだよ」

「九割九分正解と言って良いでしょう。私の推測と一致しただけなので、実際はどうだかまだわかりませんが……。何はともあれ、村長の寿命はとっくに過ぎている。君が抱いた違和感は、彼が寿命を過ぎてからも生き続けていることにあるのでしょう」


 単純な生命活動が続いているだけですが、とアンジェリカは硬く言う。


「以前も説明しましたが、死神とは己が使命に真面目なものがほとんどです。各地でそれぞれ特徴はありますが、根本的な理由としては死者の魂を放置しておけば多かれ少なかれ弊害があるからです。私は死神として働いたことがないので多少憶測は入りますが、人間とは一部の例外を除いて寿命が定められています。割とあっさり書き換えられることもあるそうですが、基本は初めに定められた寿命を全うするケースがほとんどです。番狂わせや第三者の介入でもない限り、人間は定められた通りに死に、そして死神によって魂の処理を施されます。この場合は、一神教における天使も死神の括りに含みます。魂の処理はいわばシステムであり、手順通りに運ばない場合はバグと認識するのが妥当です」

「じゃあ、アルマトはそのバグに見舞われている……ってことか?」

「はい。そもそも、アルマトには今のところ死神の気配がありません。皆無です。瀕死の人間が複数いるのに来ないなんて……まだ生きているから良いようなものですが、スラブ神話を根底に置いているとすれば、死体になってから大変なことになるでしょうに」

「ああ、生ける屍になるんだっけ。昔、年寄りどもが騒いでたな」

「東欧で語られる吸血鬼伝承も、死体の扱いに関する事例が多いですからね。『連れていけない』状況が彼らを生む一因なのでしょう。吸血鬼に関しては色々と枝分かれしていますから、一概にそうとは言えませんが──おや、あの方は」


 つらつらと流れるように言の葉を紡いでいたアンジェリカは、ふと視線を移ろわせた。

 彼女が話の途中で口を閉ざすとは珍しい。そう思ったルスラーンも同様に目線を動かし──一人、此方をおずおずと見つめる人間を視認する。


(──あいつは)


 名前を思い出そうとしている間に、アンジェリカはつかつかとその人物に近付いていく。淀みない足取りだった。


「こんにちは。タマラ・ヤクーニナさんですね。我々に何かご用でしょうか」

「……!」


 家屋に隠れるようにして此方の様子を窺っていた女性──タマラは、突如接近してきたアンジェリカに息を飲んだ。

 彼女は昨日、一番に二人を発見した村人だ。ゴスロリに慣れていなかった彼女はルスラーンを見て魔女だと勘違いし、腰を抜かしてしまっていた。いわば騒ぎの元凶である。


「な、なんでお前、あたしの名前を……」

「此処に来る前、帳簿を確認したので。アルマトにお住まいの方の名前と顔は、全て暗記しておりますよ。失礼があってはいけませんから」


 それはさておき我々に何かご用ですか、とアンジェリカは再度問うた。一切の抑揚や揺らぎのない、人間みに欠けた物言いだった。

 そんな彼女を、タマラは少なからず不気味に思ったのだろう。ますます顔をひきつらせたが、逃げようとはしなかった。弱々しい仕草ながらも、アンジェリカの問いに首肯する。


「その……お前──じゃない、あんたは調査員とやらなんだろう? 今、忙しいかい」

「いえ、特には。お伺いすることは可能です」

「そ、そうなのかい。だったらさ、うちの主人を看て欲しいんだ。二月くらい前から、倒れたっきり目を覚まさなくて……」


 小声で頼むタマラは、人目を気にしているようだった。幸いにして、周囲に三人以外の人影はない。皆、外部からの人間とアルマトの異変に怯えて家に閉じ籠っているのだろう。

 アンジェリカは無表情のまま、そっと目配せしてきた。私はこの方に付いていきますが君はどうしますか、と問われているのだとルスラーンは察した。


「俺はあんたに付いていくよ。その人が嫌だって言うなら、外で待っているがね」


 決して嫌みを言った訳ではなかったが、タマラはとんでもない、と慌てて顔を上げた。


「あ、あんただけのけ者には出来ないよ。何かあったらいけないし……。それに、調査のお手伝いをしているんだろう? だったらお上がりよ、大したもてなしは出来ないけれど……」

「決まりですね。行きましょうルスラーン君」


 昔は散々のけ者にしていた癖に今更かよ──と言い返したい気持ちはないでもなかったが、見透かすかのようにアンジェリカが先んじて促した。

 うなずいた後に断る理由もないため、ルスラーンはおとなしく二人の後に続く。かつてアルマトで暮らしていた頃は村人の家に入ったことなど一度もなかったため、見慣れた造りの家であってもいざ上がるとなれば緊張する。


「……なんでお前が」


 ぼそり。こぼした呟きが聞かれていなければ良い、とルスラーンは思った。

 通された部屋には、暖炉ペチカの上に寝かされている男と、木製の椅子に腰かけた老人がいた。横たえられている男は目を閉じたままぴくりと動かないが、老人の方はぎろりと鋭い眼光を向けた。


「儂がいては悪いか、小僧。先に招かれたのは儂だ。文句ならタマラに言えば良い」

「……そういう訳じゃないけどよ。赤の他人が我が物顔で居座ってたら、普通に疑問持つだろ」


 先客の老人──クジマは、ふんと鼻を鳴らす。銃を持っていないだけましだが、どちらにせよいっしょにいて気の休まる相手ではない。

 大方、一人で接待することに抵抗を持つタマラが護衛を頼んだのだろう。彼女はルスラーンたちに酷く怯えていたし、クジマは村一番の狩人と名高い。彼に用心棒を依頼するのは妥当な対応だ。

 顔には出さなかったものの内心では多少驚いたルスラーンを、クジマはじろりと睨む。何かを見定めているような眼差しだ。良い気分にはならない。

 その視線はアンジェリカにも向けられたが、彼女は動じなかった。むしろ挑むかの如く真っ向から見つめ返し、彼女は相変わらず凪いだ声で、タマラにした時と同様にこんにちは、と挨拶した。それだけだった。


「此方がヤクーニナさんの旦那様ですね。寝台は別にあるのでしょうか」

「あ、ああ。暖炉の上に寝かせておいた方が、暖かいと思ってね。体を冷やしたらいけないし、暖炉はあたしたちにとって女神様みたいなものだ。この人も起きていたらこっちの方が良いと言うはずだから、こうしたのさ」


 厳寒の地に住まう人々にとって、暖炉とは命綱のようなものだ。暖炉や、その奥で燃える炎や火種が信仰されるのは自然なことである。

 アンジェリカはなるほど、と返してから、背伸びをしてタマラの夫を観察した。かけられている毛布をめくったり、顔色を窺ったりしていたが、物言わぬ彼から得られる状況は少なかったらしくすぐに向き直る。


「旦那様はいつからこの調子なのですか?」

「つい最近のことだよ。一ヶ月は前だろうけど──でも、うちの人は寝込んだ者の中じゃ一番新しいはずだ」

「意識を失われる前、変わったことはありましたか?」

「いや、特には……。疲れた疲れたとは言っていたけど、人手が足りなくなって色々駆り出されてたから、単に働き詰めなんだろうし……。いつも通りに寝て、朝には起きなくなっていたんだよ。それからずっと、この調子で……ねえ、クジマさん」


 頼りなさげに顎を引き、タマラは同意を求める。むっつりと座する老人は黙ってうなずいた。

 タラスの父親と同じような流れだ──ルスラーンは先程村長の家で聞いた話を思い出した。

 タラスによれば、彼の父親も臥せる前に特段変わった様子はなかったという。普段通りに畑仕事や村長としての勤めに励み、床についた。彼にはタラスがいるため、タマラの夫のように言葉に出す程疲れきっていた訳ではなさそうだったが。

 普通こういった聞き取り調査を行う際は備忘録メモでもとるものだろうに、聞き役のアンジェリカは相手を真っ直ぐ見つめるばかり。心理的な優位を得るためなのかわからないが、忘れてしまわないものかとルスラーンはひやひやする。アンジェリカからしてみれば、余計なお世話なのかもしれないけれど。


「ど……どうだい? 一応、知っていることは全部話したけど……これは病気なのかね? それとも……」


 震える声で問いかけるタマラの言わんとするところは、ルスラーンにも何となくわかる。彼女は呪いの線を案じているのだろう。

 また疑われなくてはならないのか。そう思うとうんざりする。いちいち違う、と否定するのは疲れるし、恐れを纏った視線を浴びるのも堪える。いくら気丈に振る舞おうとも、ルスラーンは二十歳にも満たない少年に過ぎないのだ。


「そうですね、たしかにこういった症例は今回初めて目にしました。しかし、呪いと断定するにはまだ早いかと」


 医学に関しては素人ですから、とアンジェリカはにべもなく言い放った。聞いている側としては不安になりそうな程に淡白な言葉尻だ。


「良いですかヤクーニナさん。呪いとは、かける側とかけられる側があって初めて成立するものです。加えてアルマトという集落を対象としているなら、それはそれは大掛かりな呪いになるはず。必然的に、呪者にかかる負担も軽くはありません。詰まるところ、それなりの代償が必要になる訳ですね」

「代償……」

「はい。優れた呪者であろうとも、この段階から鑑みるに生命を奪われたとて足りないでしょうね。其処までして、アルマトを憎む方がいらっしゃるでしょうか? 単に嫌がらせをしたいのなら、他にも手はあるはずです。人間による呪い──という仮定は些か弱いのではないかと、私は考えています」

「──死神がおらんと話していたな」


 立て板に水、といった様子で言葉を連ねていたアンジェリカが、はたと口を止めた。

 彼女はおもむろに視線を移ろわせる。その先には、立ち上がりもせずに己以外を睨み付ける老人がいる。


「先程、貴様らは外で話していただろう。村長のところに死神はいなかった、そもそも死神の気配すらない──と」

「おや、お聞きになっていましたか。その件に関しましてはまだ仮説の段階を抜けませんが──」

「貴様ではない。其処の小僧に聞いているのだ」


 クジマはアンジェリカを煩わしそうに遮った。どっしり構えた印象のある彼にしては、珍しい語調である。

 クジマの五感の鋭さは、村を出る前から評判だった。盗聴に罪悪感とかないのかよ、一歩間違えたら犯罪だぞ──と現在都会暮らしのルスラーンは思うが、アルマトでは特に咎められる様子もない。むしろ頼られているまである。

 先程の会話を盗み聞きされていたことに対する苛立ちと反発心をぐっと飲み込み、ルスラーンはそうだけど、と首肯する。


「さっき村長のところに行ったが、死神──青ざめた顔の奴等はいなかった。中には入っていないけど、同じような症状の人間が住んでる家の周りもさっぱりだ。そもそも、俺はアルマトに来てから一度も死神の姿を見ていない」

「……そうか、貴様が言うのなら間違いはなさそうだな」


 ふぅぅ、とクジマは長く息を吐き出した。


「たかが呪いで死神が消えるはずがない。しかし今のアルマトに連中がおらぬのならば──とうとう愛想を尽かされたのやもしれんな」

「……? 愛想……?」

「ちょ、ちょっと、やめておくれよクジマさん!」


 ルスラーンは思わず首をかしげたが、タマラには心当たりがあるようだった。焦りをあらわに老翁へと詰め寄る。


「言って良いことと悪いことがあるよッ。そんな訳ないじゃないか、ねえ」

「いや、わからんぞ。可能性も高い。儂らが当事者でなくとも、連中には関係ないものかもしれん。そうなれば、報復程度では済むまい」

「そんな……少なくともあたしたちは何もしてないじゃないか。何たってこんなこと……」

「──あの、よろしいですか」


 顔を覆ってしまったタマラと、神妙な顔で嘆息するクジマ。重苦しい雰囲気が漂う中、余所者の調査員だけは躊躇いなく空気の壁をぶち抜いて発言する。


「先程から何をおっしゃっているのでしょうか。ルスラーン君もよくわからないといった表情をしておりますけれども、それは今回の現象に関して関連性のある出来事ですね? 円滑な調査のため説明いただけますとありがたいのですが……というか説明していただかねば困ります、大いに。ラジモフさんからは特にこれといったお話がなかったもので」


 ずい、とアンジェリカは顔を突き出した。表情はないが、先程よりも早口になっていることから焦燥が窺える。手がかりとなれば、何としてでも手に入れたいのだろう。

 これには泰然自若としていたクジマも身を引いてたじろいだ。僅かに眉を寄せ、不快感を滲ませる。


「余所者に教えることではない。これはアルマトの問題だ」

「しかし、その問題が此度の異変を招いている可能性があるのでしょう? 異変の原因かもしれないという自覚がありながら隠し立てするのはどうかと思います。勿論、我々への協力は任意ですから、無理にとは言いませんが……せめてルスラーン君にはお話ししても良いのでは? 彼は私とは違い、アルマトの者です。呼び寄せておいて尚のけ者にするというのなら、見上げた根性ですが」

「…………」


 クジマは恨めしげに饒舌な少女を睥睨した。睨まれたアンジェリカも臆せず、むしろ挑みかかるかのように見つめ返す。

 ばちばちと、二人の間に見えない火花が散る。一触即発とは、まさにこのような状況をいうのだろう。

 ルスラーンとしてはアンジェリカに加勢したいところだが、かといって状況をさらに悪化させたくはない。アルマトのことを好きにはなれないが、争いを起こそうという魂胆ではないのだ。出来る限り穏便に事が進むなら、それに越したことはない。


「……クジマの爺さん。あんた、この異変を止めたいんだろ。他に家族のいないあんたがわざわざ出張ってるんだ、それだけ深刻に受け止めてるってことは俺にもわかる」


 静かに口を開けば、眼光で争っていた二人は幾分か気勢を削がれたようだった。タマラはびくびくしながら事の成り行きを見守っている。


「俺だって、タラスに呼び出された時はうんざりしたけどさ……。人が死にかけてるのを見て喜ぶなんて出来ないよ。アルマトは本当にどうでも良いが、異変自体は何とかして抑えるべきだと思う。その原因を突き止めれば、少なくともきっかけにはなるはずだ」


 だから頼む、とルスラーンは続ける。


「クジマの爺さん、いや、タマラさんも、心当たりがあるなら話してくれないか。俺のことが嫌いなら嫌いで良いが、それとこれとは話が別だ。このまま何も出来ないでいるのは、いくらアルマトが嫌でも虫の居どころが悪い。やれるだけのことはやらせてくれないか」


 真っ直ぐにクジマを見据えれば、彼は即座に目を伏せた。合わせる気などないということか。

 それなりに嫌われている自覚はあるので、ルスラーンは肩を竦めるのみにとどめた。アンジェリカは何か言いたいのか、無表情のまま此方に視線を送ってきたが、これ以上口出ししても詮なきことと判断して黙っておく。ただのお喋りと雄弁をはき違えてはいない。

 クジマはうつむいたまま、ぐっと拳を握った。後ずさるタマラには一瞥もくれてやらず、彼は重々しく口を開く。


「……アルマトを救おうとしているのなら、それは徒労というものだ。此処は最早救えない。打つ手などありはしない」

「……? どういうことだ?」


 あまりにも後ろ向きな言葉。しかし弱気になっているようには聞こえない。クジマの語調には、単純な諦めのみが淀んでいた。


「アルマトはな、とっくの昔に見捨てられているんだ」


 ルスラーンは返す言葉も見つけられないまま、瞠目する他なかった。

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