5.逃走

できる事なら、耳を塞いでしまいたい。

そんな思いに駆られるほどに、恩田は追いつめられていた。

切々と訴える一之瀬の声は、心地よい程に胸に染み渡り、同時に胸元を締め上げていく。


(あかん、一之瀬さん、それ以上は言わんといて・・・・)


傷つきたくない、傷つけられたくない。

弱い心が顔を覗かせる。

終わりのない愛など、存在しない。

本気の想いが終わりを告げたとき、人はどうなる?

傷つき、誰かに縋って慰めを求める。

今までに、嫌という程そんな姿を見てきた。

ならば、何故誰もが本気の想いにそうも安易に自らを委ねるのか。

くだらない。

そんな思いをするくらいなら、恋は恋のままで終わらせる方がいい。

誰も傷つけず、誰にも傷つけられず。

刹那の恋愛を楽しむことができれば、それでいい。


だが。


愛したい、愛されたい。


押し込め続けた欲望が動き出す。


本気で相手を求め、本気で相手に求められ。

その場限りではない、本物の想い。

相手の全てを求めるのは、どんな気分だろう?

自分の全てを求められるのは、どんな気分だろう?

時に相手の心を縛り上げ、奪うように貪り合い。

時に自分の持てる全てのモノを投げ出すように、自らを捧げ合う。


本当は、とっくに気づいていたのだ。

自分が求めて止まないもの。

欲して止まないもの。

だが、気づいてなお、恩田はそれら全てから目を反らしていた。

気づいてなお、気づかない振りをして、自分自身を騙していた。

自分を、守る為に。

自分が、傷つかない為に。

想いに破れ、傷ついた者達を見るたびに、心を守る鎧は次第に強固なものとなり、欲望はより深くへと押し込められていた。


「恩田」


頬に掛けられた一之瀬の指先。

そこから伝わる温もりは、泣きたくなる程に温かく優しくて。


「・・・・恩田、お前・・・・?」


指先に湿りを感じ、ハッとして一之瀬は手を引く。

温もりが離れた瞬間、頬に感じた冷たさに、恩田は初めて自分が涙を流していた事に気づいた。


(なんでやっ・・・・)


「なんで・・・・?くっ!」


とっさに、恩田は一之瀬を突き飛ばすようにして、素早くドアを開けると同時に外へと走り出した。

体が勝手に動いていた。

とにかく、全てから逃げ出したかった。

エレベーターホールまでの長い廊下を無我夢中で走り続け、ちょうど扉の開いていたエレベーターに飛び乗り、震える指先で1Fのボタンを押し、扉を閉める。


「待てっ、恩田っ!」


締まり際、曲がり角から一之瀬の姿がチラリと見えたような気がしたが、祈るような思いで、恩田は閉まる扉を見つめ続けていた。

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