7.求めていたもの

(朝、か・・・・)


小さな物音で目を覚ます。


隣にいるはずの恩田の姿はそこに無く、聞こえてくる水音で、奴の居場所がどこかが分かる。


『稔ってね、いっつも私より後に寝るクセに、私より絶対早く起きちゃうのよね。だから私、彼の寝顔って、見たこと無いのよ』


ふいに、そんな言葉が思い出された。

先日、肌を合わせた女の言葉。

特に女を抱きたかった訳ではなかった。

ただ、偶然その女がこのマンションから奴と一緒に出てくるのを見てしまった。それだけの事。

そう、ただそれだけの事で、俺は無性にその女の事が気になった。

たまたま行きつけのバーでその女の姿を見かけ、無理を承知で口説いてみたのだが、意外にも、驚くほどあっさりと乗ってきた。


(恩田の恋人、という訳では無かったのか・・・・?)


複雑な思いで女との一夜を過ごし、寝際に何とはなしに恩田の事を尋ねたところ、返ってきたのが、あの言葉。


『あぁ、それ以上は聞かないで。私も実はあんまり知らないの、稔の事って。別に、知る必要も無いし。一緒にいる間だけ、思いっきり甘やかして優しくしてくれればいいんだ。彼もそれを望んでいるのよ。そういう人よ、稔って』


(本当に、そうなのか?)


彼女が嘘を言っているようには見えなかったが、全てを納得した訳でも無い。

確かに、プロジェクトの第2段階に入った今、仕事上のパートナーとは言え、奴とは後腐れのない、体だけの関係だ。

それに、俺の他にも関係を持っているのは、何人もいるのだろう。

だが。


(本当に、そうなのか?一緒にいる間だけ、本当にそれだけの事なのか?だったら、その刹那の為だけに、何故お前はあんなにも優しくなれるんだ・・・・?)


恩田と体を重ねる度に、俺は例えようもない安堵感に包まれた。

それは、回数を重ねる毎に強くなり、今の俺はその安堵感に縋っている始末。

会社での報われない想い、あの人を目にする度に抱える傷を、奴との時間で癒している。

俺にとって、恩田との時間は、もはや無くてはならないもの。


『一緒にいる間だけ、思いっきり甘やかして優しくしてくれればいいんだ。彼もそれを望んでいるのよ』


(一緒にいる間だけ・・・・本当にそうなのか、恩田・・・・?)


漠然とした不安が、俺の心を占領し始める。


(だとしたら、俺は一体・・・・)


「あ・・・・起こしてしもた?」


ふいに掛けられた声に、ハッと我に返る。


「いや、さっきから起きていた」

「そか。先、シャワー使わせてもろたで」

「あぁ」


恩田は、いつもと変わらぬ調子で、にこやかな笑顔を見せる。


(それも、その笑顔も・・・・一緒にいる間だけの、上辺だけのものだと言うのか?)


「どないしたん?」

「えっ?」


再び、奴の声に我に返る。

気づかぬ内に、自分の思いに没頭していたらしい。


「いや、ボーっとしとるみたいやから」

「・・・・何でもない」


何とはなしに居心地の悪さを感じ、俺は目も合わせず、バスローブを手に取ると、奴の視線から逃げるようにシャワールームへと向かった。


(お前もそれを望んでいる、か・・・・)


胸の内で、彼女の言葉を反芻してみる。 

頭からシャワーを浴び、熱さが全身に染み込むのを感じながら、俺はふと気づいた。


(だったら、俺は今、奴に一体何を望んでいるんだ・・・・?)


半ば強引に、奴との関係を始めた時、俺が奴に望んでいたもの。

それは、あの夜俺に触れてくれた、優しさと温もり。

ただ、それだけだったはず。

そして、奴はその両方を俺に与えてくれた。

今も、変わらずに与え続けてくれている。

俺が望む時には、いつでも。


(ならば、この苛つきは、何なんだ・・・・?)


頭に靄のかかったような、もどかしい感じ。

この靄の奥に、きっと答えがある。

シャワールームから部屋に戻り、靄の奥にある答えを探りながら、上の空で身支度を整える。

と、背後からかけられた奴の言葉。


「なぁ、一之瀬さん。この間、あの子と寝たやろ?あの子が俺と関係を持ってる事、知っとるうえで」

「・・・・っ!」


とたんに思考は中断し、振り返ることも出来ずに俺はその場に立ちすくむ。

隠しておくつもりは無かった。

彼女の事だろう、きっと俺の事を奴に言うに違いない。

そうは思っていたが、まさか奴自身から聞かれるなどとは、思ってもいなかった。


「何でそないな事するん?別に、あの子と寝た事を怒ってる訳や無いんや。あんたもあの子も、お互い合意の上で楽しめればそれでええと思うし。けど、あんたあの子に俺の事色々聞いたんやろ?何でや?」


お前と一緒にここから出てきたのを見かけて、気になったからだ。

そう答えれば済む事だった。

実際、これは紛れもない事実。

それ以上でも、それ以下でもない。

だが、何故か口にするのが躊躇われた。

気まずい空気が漂い始める中、俺は奴に背を向けたまま、玄関へと向かった。


「なぁ、答えられへんの?なら、俺が言ったろか」


自信たっぷりな、恩田の言葉。

お前に俺の何が分かるんだ?

言い返そうとしたとたん。


「あんた、あの子に嫉妬したんとちゃう?」


(・・・・・・・・っ?!)


脳天を叩き割られたような感じがした。

頭の靄が瞬時に晴れ、そこにあったのは、正に俺の探していた答え。


(嘘、だろ・・・・?!)


思わず振り返り、奴の顔を睨み付ける。


(まさか・・・・っ!)


震える手でノブを回し、奴の部屋から逃げ出して、叩きつけるように閉じた扉に背を預けて目を閉じた。


(俺が・・・・奴、を?)


あらゆる理屈を並べ立て、目の前の答えを否定した。

それでも、早まる鼓動が、何よりも明確に答えを示している事を、俺はイヤでも認めざるを得なかった。


(俺は、奴を・・・・)



Continue to 【EXIT】

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