第5話 閉じ込められていたもの(3/3)

通話アプリの通知を切って、私はDtDに入る。

坂口くんがあれからどうなったのか、それが気になっていた。


DtDにカタナがいなければ、クラスのグループ会話を遡って、坂口くんに直接聞いてみる……?

うーん。それはまだ、流石に勇気が出ないかな……。

カタナがいてくれたらいいんだけど。


ログインすれば、いつもの見慣れた草原。そこに、カタナは居た。

人のまばらな草原の真ん中で、ポツンと立ち尽くしているような後ろ姿。

その背中がどこか寂しそうに見えてしまうのは、隣にあゆが居ないから……かな。

カタナのパーティーは昨日のままみたいなので、私はパーティー会話で声をかけてみる。


いつもなら、私がログインすれば、カタナの方が先に気付いて声をかけてくるんだけど……。

「やほー。何してるの?」

カタナの隣まで歩いていけば、ようやくカタナがこちらを見る。

その後ろに、見慣れたピンクの髪がログインした。


「あゆ!?」

私の言葉にカタナも振り返る。

「お前、あれから大丈夫だったのか?」

「んー、それが、親は仕事が忙しかったみたいで、迎えが来るまでずっとあのまま寝かされてたんだよね……。誰か起こしてくれたら良かったのに」

苦笑して言うあゆだけど、その表情はどこか悔しそうだった。

「今夜は寝られそうにないや……。せっかく昼夜逆転治ってきてたのになぁ……」

そっか……。あゆにはあゆの、頑張ってたことや辛いことがあるんだね。

いつでも寝られていいな。なんて話じゃないよね。

あゆが寝たくて寝てるわけじゃないのに……。

私は簡単に考えていた自分を内心で恥じながら、それでも、無事な様子に少しホッとする。

「どこかぶつけたりしてなかったか?」

カタナが心配そうに尋ねる。

「それは大丈夫だったよ。クラスの女子が頭を守ってくれたって聞いたけど、えっと……」

「花坂さんだな。同じクラスになった時から、お前の苗字と一文字同じだなと思っていた」

私はDtDの画面内に出てきた自分の苗字になんだかドキッとしてしまう。

しかも、そんな前から冬馬くんは私の苗字を覚えててくれたんだ?

確かに坂口くんと「坂」の字は同じだけど……。

「うん、ボク一度も話した事ないんだよね。どの子か教えてくれる? 明日お礼言わなきゃ」

お礼なんていいよ。いつもお世話になってるのはこっちだし。って、言いたいけど、急に言っても驚くよね。えっと……。

私が、どう切り出そうか迷ううちに、カタナが戸惑う私に気付いた。

「ああ、みさみさに分からない話をしてすまないな、実は今日……」

カタナが、私に説明しようとしてくれる。

待って! 私、二人にもう嘘をつきたくない!!

知ってるよ! 私……――っ。

とにかく何か声を出そうと、私が口を開いた途端、ガタガタガタッとアイテムバッグから大きな音がして、きなこもちが飛び出した。


「「「きなこもち!?」」」

三人の声が揃う。

きなこもちは私たちに背を向けたまま、草の上に座り込んでいる。


「なんで急に……」

「ここは人目につく、ケースにしまった方がいい」

「う、うん」


私がきなこもちを戻そうと手を伸ばした瞬間、ビシッと何かが弾けるような音がして、きなこもちのすべすべのボディに亀裂が入る。

「え……」

「何……!?」

「下がれ!!」

カタナの指示に、私とあゆは慌ててきなこもちから離れる。


「どういう事……?」

私の声は小さく震えていた。

「……まだ分からないが、良い兆しではなさそうだ」

カタナはいつもの声で、でもいつもよりもっと早口に答える。


「……きなこもち? どうしたの……?」

私の声に、きなこもちはゆっくりこちらを振り返る。

小さくてつぶらな瞳があったところが、片方剥げ落ちて、中から黒い何かが覗いていた。


「……っ!」

「まさか……、アレが出てくるのか……!?」

カタナの言葉に、私の脳裏にもあの黒いバグの姿が浮かぶ。

恐怖に、ぞくりと背が震える。

「GMに――っ、……いや、もう少し様子を見よう……」

カタナは、それでも慎重に言葉を紡いだ。


カタナも、あの炎に焼き尽くされたバグの姿を思い出したのかな。

私と同じように、きなこもちをそうしたくないと、思ってくれたんだろうか。


きなこもちは、戸惑うように体を震わせている。

「ぷぃ……ヴ、ル……ヴルルル……」

可愛く鳴こうとしたその声は、低く暗い唸り声に変わった。

ビシビシッと小さな音が亀裂とともに走る。


「きなこもちっ!」


きなこもちを包んでいた、黄色いフニルーの皮が弾け飛ぶ。

その内側で、膝を抱えるようにしてした黒い生き物が、ゆらりと立ち上がった。

「っ、やっぱり……そうなのか……」

やっぱりと言いながらも、信じたくないような、カタナの苦しけな声。

黒くてつるりとしたロボットのようなその生き物が、ゆっくり目を開く。

明るい水色のライトが点るように、その瞳は光を放っていた。

「あれって、もしかして……噂のウィルスなんじゃ……?」

あゆは、杖を握って、いつでも呪文が唱えられるようにしている。

「前に見たのより、ちっちゃいけど……」

と私が答えた途端、その姿が、じわじわと大きくなっていった。

わ、私のせいじゃないよね?


バグの姿になったきなこもち。

でもその足元にはまだ『きなこもち』という名前が残っている。


「ヴルルル……ルル……」

低く唸りながら、その黒い姿のモンスターはじわりと両腕を持ち上げる。

その瞬間、あゆが、きなこもちと私たちとの間に炎の壁を張った。


けれど、持ち上げられた両腕は、きなこもちの頭を包む。

「ヴルル……」

小さな唸り声は、どこか戸惑っているように聞こえた。


「きなこもち……」

私は思わず炎の壁を通り抜けて、きなこもちの側へ行く。

「みさみさちゃんっ」

あゆの慌てるような制止の声。

「みさみさ……」

カタナは小さく私の名前を口にしただけで、止めようとはしなかった。


「大丈夫? 苦しいの……?」

私は頭を抱えてうずくまるきなこもちに手を伸ばす。

「触れるとダメージが入るかも知れない」

炎の壁を抜けて歩いてきたカタナが、隣で助言する。

「みさみさではHPが足りないかも知れない。俺が先に撫でてもいいか?」

「え……? い、いいけど……」

「きなこもち、撫でてもいいか?」

カタナは、フニルーとは似ても似つかなくなってしまったその黒い生き物へも、真摯に尋ねた。

「ヴルルル……」

顔を覆っていた手を少しだけずらして、きなこもちは細く目を開いてカタナを見る。

そっと伸ばしたカタナの手が、光を返さない漆黒のボディに触れた瞬間、バチッと弾かれて、カタナから赤い数字がこぼれた。

「――っ!」

こないだのように4桁になるほどではなかったけど、800に近いダメージは、私では即死になる数字だった。

カタナのHPは1/3ほど減っていて、すぐにポーションを飲んでいる。


それに動揺したのは、私たちじゃなくて、きなこもちだった。


カタナのダメージに怯えるように、きなこもちがジリジリと下がる。

「大丈夫だ、もう治した」

カタナがそんなきなこもちを慰めるように、いつもよりも優しく声をかける。

「お前が気にする事じゃない。俺が迂闊だっただけだ」

黒い生き物は両手で頭を覆ったまま、いやいやと小さく首を振った。

私たちがきなこもちを傷付けたくないように、きなこもちも、私たちを傷付けたくないんだ……。

その事が、私にはすごく嬉しかった。

「きなこもち……」


その時、突然フッと空がかげって、私とカタナが顔を上げる。

虹色の空から、真っ赤な髪を揺らして、真っ赤な翼を広げた少年が舞い降りる。


両手をぐんと振り上げた少年が、その手をまっすぐ振り下ろしながら言う。

「離れて!!」


カタナがバッと両腕を広げてきなこもちを背に庇う。

「待ってくれ!」

私も、カタナの後ろに隠れるようにして、きなこもちとの間に入った。


「!?」

GMのラゴが理解できないという顔で私たちを見る。

ズダンッと大きな音を立てて、ラゴは私たちの前に立った。


あゆがそれを避けるように、ぐるりと回って私たちの斜め後ろに立つ。


「えーと、どういう事かな?」

ゴーグルを頭の上にあげて、ラゴが私たちをじっと見る。

エメラルドのような緑色の透き通った大きい瞳。ちょっと人間離れした大きさの瞳に、不審の色が浮かんでいて、ちょっと怖い。


「こいつは、元はみさみさのペットだったんだ。いや、今もまだみさみさのペットだ」

その言葉に、私は慌ててペットのプロフィール画面を確認する。

確かに、きなこもちは姿は変わってしまったけれど、私のペットのままだった。

ラゴは「バグがペットだなんて……」と言いかけて、その表示を確認したのか言葉を失う。

「……君たちは、今までに二度バグを見ていたはずだよ? バグと知っていてそれを……。いや、そもそも、どうやってそんな事……」

そこまでで、ラゴは両手にボワッと炎を生み出した。

あゆが反射的に何かの呪文を唱える。

「効かない!?」

ラゴはニッと口端を上げて不敵に笑う。

「残念だったね、ディスペルは効かないよ。僕のこれは魔法じゃないからね」

ラゴは私たちに向きなおると、緑の瞳でじろりと睨む。

「二度ならず三度まで、バグとともにいる君たちは、バグの……いや、そのウィルスの発生に関与していると断定してもいいかな?」


「えっ!?」

「それはちょっと横暴じゃないですか!?」

私とあゆの声に、カタナが叫ぶ。

「っ、俺たちは、清く正しいプレイヤーだ!!」

あまりに大きな声に、私は驚く。見れば、あゆも驚いた顔をしていた。

冬馬くんは、どんな時でも冷静で、こんなふうに感情のままに怒鳴ったりはしないイメージだった。


でも、そうだよね……。

DtDが大好きなカタナだからこそ、それを疑われた事が、許せなかったんだね……。


「じゃあ、どうして、そんなものをペットにしてるんだい?」

ラゴの声が冷たく響く。

「三人とも、アカウントはロックさせてもらうよ。話は問い合わせフォームから聞かせてもらおうか」

「待ってくださいっ!!」

私は思わず叫んでいた。

「ロックするなら、私だけにしてください! 二人は本当に、何も関係ないんです!!」

「みさみさ!」

「みさみさちゃん!?」

「……君だけが、ウィルスを作っていたと言うことかい?」

ラゴが緑の瞳をスッと細めて私を見る。叱られているみたいで身がすくむ。

「ウィルスを作ったりはしてません! でも、フニルーをペットにしていたのは私です」

「フニルー? ……そっか、これは、フニルー擬態型のウィルスなんだね」

ラゴは少年らしい仕草でコクコクと納得したように頷く。

「けど、フニルーは元々ペットにはならないはずだよ?」

「……でも、私、その日始めたばかりで知らなくて……、手を出したら、乗ってきて……。テイムしますかってウィンドウが出て……」

声が震える。声だけじゃなくて、私は全身が震えていた。

ぽん。と私の肩にカタナが触れる。

何も言われなかったけど、励まされたような気がして、心に勇気が満ちてくる。


「なるほど。もしかしたらウィルスのせいでデータが変異しちゃったのかも知れないね。一応、ロックの後で行動ログを検証させてもらうけど、それに問題がなければ一週間以内にロックは解除しておくよ」


わかって……もらえたんだろうか。

私がホッとしたのも束の間、ラゴは両手の炎をもう一度振りかぶる。

「それじゃ、ウィルスを焼くから離れて」

「ま、待ってくださいっ! その子は、見た目はそうかもしれないけど、人を傷付けるような事はしませんっ」

私が慌てて両手を広げれば、ラゴは小さく首を傾げた。

「……そうかな? ログを見たけど、カタナ君にダメージを与えてるみたいだよ?」

さらりと答えられて、私は言葉に詰まる。

「それは、俺から触っただけで、それ以降はありません」

「触れてダメージが出るなら、それは敵だよ。ただのモンスターならともかく、それはウィルスだ。バグじゃない。僕はこれを放置できない」


言い切られて、何て返せばいいのかわからなくなる。

「君たちがこれまで見ていた二体も、僕は一般プレイヤーに心配をさせないようにバグだと言ったけど、本当はウィルスなんだ」

そう言われても、私には、バグとウィルスの違いはよくわからない。

私の顔を見て、ラゴは補足する。

「バグはゲームを作った側の、僕たちのプログラムミスだけど、ウィルスは外部の悪意のある人が、この世界を壊すために意図的に侵入させたプログラムだ」


悪意……。

その言葉に、私の背をヒヤリとした寒気が走る。


ラゴは不意に片手の炎を消すと、耳元の通信機のようなものを押さえて、誰かとやりとりをする。

ラゴが静かに私たちに向き直った時には、その緑の瞳に穏やかな色が戻っていた。

「うん、今、他のGMが君たち三人の行動ログを確認した。その子がDtDに登録してから今日までのログを全部確認したが、不審な点はなかったそうだ」


わあ……。GMさん達お仕事が早いなあ。


「ただ、君たちはそのフニルーが異常だと気付いていたのに、報告をしなかったね? 今度からはおかしなデータに気付いたら、すぐにGMまで報告してくれるかな?」

圧を強く感じる言葉に、私も二人も頷く。

「は、はい……」「はい」「すみませんでした」


「じゃあ今からこのサーバは緊急メンテに入る。そのフニルーに君たち以外に接触した者はいないかい?」

アイカ達には、きなこもちを見せていない。

きなこもちは、カタナとあゆにしか撫でられた事もなかった。

「はい……」

私の答えに頷いて、ラゴは続ける。

きっと、ログを辿って誰に接触したかは確認してあったんだろう。

ただの確認なんだなと、気付いてしまう。

「一応君たちのデータもウィルスによる侵食や破損がないか確認して、おかしな部分があれば直しておくから、メンテナンス完了時間まではログインしないように。いいね?」

画面の上部にサーバ全体への一斉通知メッセージが入る。

今から五分後にメンテに入るので、全員ログアウトするようにというメッセージだ。

「きなこもちはどうするんですかっ!!」

カタナが焦りを浮かべて叫ぶ。

「残念だけど、あれはウィルスだ。焼却させてもらうよ」

「……っ!」

ギリッとカタナの奥歯が軋んだ音を立てる。

「ペットとして可愛がってくれてたのに、ごめんね……。補填として三人にそれぞれ好きなペットをあげるよ」

私たちへの疑いが晴れたからか、ラゴは申し訳なさそうにそう言って、もう一度両手に炎を宿す。

「……ヴルルル……」

怯えるような声に振り返ると、きなこもちは涙のマークを出していた。

「ダ……ダメっっ!!」

私はもう一度両手を広げる。

私なんかじゃ、盾にもなれないだろうけど。

それでも、きなこもちを消していいなんて言えなかった。


ラゴは私をまっすぐ見つめると、ゆっくり瞬きして言った。

「……仕方ないね。申し訳ないけど、メンテまで時間がない。実力行使させてもらうよ」

言葉とともに、私ときなこもちへゴウッと炎が降り注ぐ。

熱を感じた瞬間、目の前に氷の壁が立ち上がった。


バキンッと派手な音を立てて、ラゴが尻尾で氷の壁を砕く。

えっ、その尻尾って武器みたいなものなの!?


氷を割ってラゴが私の目の前に現れる、その瞬間、私の前にカタナの背中があった。


ギィンッッ!!

金属のぶつかり合う音。

カタナが押し負けて、私に激突する。


カタナの肩越しにラゴがくるりと回転するのを見て、カタナがその尻尾を受け止めたのだと知った。

あゆが水の槍のようなものをラゴに降らせる。


どうしよう、二人を巻き込むつもりじゃなかったのに。

GMさんに攻撃なんかしたら、アカウントを消されたりしちゃうんじゃ……。


「効かないよっ!」

ラゴは余裕の表情であゆとカタナに炎を放つ。

あゆは炎の壁で防いだけれど、カタナはそれを喰らいながらラゴに突撃してスキル技を入れた。

その隙にあゆが大魔法を詠唱している。

どうしよう……。

私が、きなこもちを消されたくないって言ったせいで……二人が……。

カタナは、ラゴの両手から生まれた炎でさらに挟まれて、その場に倒れた。

「カタナ!」

瞬間、大魔法が発動する。

「すぐ戻る!」

叫んだカタナは一瞬でログアウトしていた。

ラゴから、赤い字がいくつも溢れる。

それが終わりきらないうちに、カタナがログインした表示が出て、カタナはまたラゴに突撃した。

そっか、カタナはここがセーブ地点だから……。


私は、震える指できなこもちの飼育ケースをタップする。

でもそこにはもう、きなこもちは戻れないみたいだ。

「きなこもち……」

きなこもちは、水色の大きな瞳で私を見つめ返す。

縋るようなその視線は、瞳のもっと奥から注がれているように感じた。

不意に頭の中に声が響く。

『……ココカラ、ダシテ……』

これは、いつもの夢の声だ。

『カラヲ……コワシテ……』

どういうこと!?

この黒い体の中に、まだ何か入ってるってこと……?

『ココロノ……カラ、ヲ……、……コワシテ……』

後ろを振り返る。

二人は必死で戦っていて、この声が聞こえた様子は無い。


画面上部に、残り三分でメンテナンスとのアナウンスが流れる。


そういえば、さっききなこもちの姿が割れてしまった時、私は二人に、本当のことを話そうとしていた。

それじゃ、もう一度……。

今度こそ、二人に伝えることができたら……?


私は、夢と現実が混ざり合うような感覚の中で、きなこもちを背に庇いながら、戦う二人に向き直る。


カタナは、何度目になるのかわからない死に戻りをしたところだった。

よく見れば、装備も破損させられたのか、ボロボロになっている。

「カタナ! デスペナが……、っそれに装備も……」

「そんなもの、取り戻せる」

一瞬の隙に、あゆがラゴの尻尾を喰らう。吹っ飛んだところに炎を撃ち込まれて、あゆもその場に倒れた。

「「あゆ!」」

駆け寄ったカタナがラゴの炎と爪に裂かれる。

防具の破損のせいか、ダメージが大きい。ポーションを連打していたカタナも追いつかずその場に倒れてしまう。

「くっ、このキャラじゃここまでか……っ」

カタナがパーティーの管理権限をあゆに譲って消える。

「二人とも、もういいよ!!」

叫ぶ私に、あゆは優しい声で言う。

「大丈夫大丈夫、ボクも、カタナが戻ったらキャラチェンしてくるからね」

「――っ、私、二人にそんなにしてもらう資格ないの!!」

「資格?」

聞き返したあゆの声に、ラゴの声が重なる。

「そんなの、キャラチェンまで待ってると思う? 残念だけど、そろそろ終わりだよ」

ラゴが放った渾身の炎は、私もろともきなこもちを包んだ。

……かに思えたそれを、間一髪で防いだのは大きな盾だ。

ぎゅっと閉じてしまった目を開くと、そこに光を纏った見知らぬ騎士の背があった。

あゆがすぐにその騎士をパーティーに入れて、管理権限を譲る。

名前は刀。そっか、カタナの別のキャラなんだ。

入れ替わるようにあゆはログアウトした。

刀は、迷う事なくラゴに鋭い槍を突き立てる。

ラゴの反撃に、刀がダメージを受ける。と、次の瞬間には、HPが回復していた。

パーティーにはもう一人、あゆという名前が増えている。

あゆゆより『ゆ』が一つ少ない。

気付けば美しい大人の雰囲気の聖職者がそばに居た。

あゆは次々と刀に支援魔法をかける。


「ははっ、中々高レベルだね。装備もよく整えられてる。ここまで育てるには相当時間がかかっただろう?」

「俺はベータ版からの古参だからな!」

刀が吠えるように答える。

「君はそんなにDtDを大事にしてくれてるのに、どうしてそのウィルスを庇うのかな?」

ラゴが攻撃を止めて尋ねる。刀も立ち止まって答えた。

「……そうするべきだと、思ったからだ」

「そのウィルスのせいで、DtDの世界が壊れてしまうとしても?」

「――っ!」

刀が動揺するのが、私にも分かった。

あゆも私と刀に支援スキルを途切れる事なく続けながら、心配そうに刀を見ている。

「俺の知ってるDtDは、そんなに脆くない! それに、きなこもちはあの神殿でアイテムを得てる。俺は、それに意味があると思ってる!!」

刀は力強く応えると、スキル技をラゴに放つ。

「ははっ、光栄な事を言ってくれるね。僕もこれは、本気を出さないといけないね!」

ラゴが楽しそうに笑って、背中の翼を大きく広げると、バサリと飛び立つ。

その姿が、見る間に人間らしいシルエットから恐竜のような姿に変わる。

「なっ!?」

「ドラゴン!?」


「驚いた? DtDの守護神は、伝説のドラゴンっていう設定なんだよ。かっこいいでしょ?」

ラゴが自慢げにくるりと空中で回ってみせる。

真っ赤な姿のドラゴンに緑色の瞳がしっくりくる。

そうか、不思議なくらい大きくて深い瞳は、ドラゴンの瞳だったんだ……。

「ドラゴンは、この世界では最強だからね。僕は負けるわけにいかないんだよ!!」

ゴウッとラゴは炎の渦に包まれると、その全身に炎を纏う。

「伝説の神竜……。炎の……神竜だ……」

刀がぽつりと呟いた。


画面上部に、メンテまで残り一分とのアナウンスが流れる。


刀は、総力戦とばかりに各種ブーストアイテムを一気に使っている。

あゆは、私ときなこもちを守るように、支援をかけて光の障壁を張る。


「待って! 私、二人にこんなにしてもらう資格ないよ! 二人に黙ってることが、いっぱいあるのっっ!!」

二人が、一瞬こちらを振り返りかけて、ラゴの強力な炎の攻撃に集中する。

私は二人の背中に必死で叫ぶ。

「私、本当は、きなこもちがGMさんのこと怖がってるの、知ってたの!」

返事の代わりに、ぐっと親指を立てたようなマークで、刀が気にするなと伝えてくれる。

支援を受けた刀の炎耐性の盾が、ラゴの炎に耐え切る。

水属性の槍から放たれるスキルが、ラゴのいる空中まで届く。

それでも、ラゴのHPはほんの少し削れただけで、倒せそうな気配はない。

私は必死で続ける。

「と、友達に! カタナが狩りに誘ってくれたこと、黙ってたし!!」

これには、ガーンとショックを受けた様子のマークが出る。

そうだよね。ごめん、カタナ。


画面上部に、メンテまで残り三十秒の表示が出た。

そこからは、一秒毎にカウントされてゆく。


ドラゴン姿のラゴが、大きく高く羽ばたくと、一際大きく息を吸う。

その頭上に三重の魔法陣が浮かぶ。

「魔法との合わせ技!?」

あゆが叫ぶ。

「集まれ!」

刀が私ときなこもちの元に走る。

あゆが刀に詠唱速度を上げる魔法をかける。

刀の足元に魔法陣が広がり、私たちを包むと詠唱のバーがジリジリと縮む。

あゆもそこへギリギリ滑り込む。

ラゴの極大魔法が上空から隕石のような大きさで画面いっぱいに降り注ぐ。

その瞬間、刀の防御スキルが発動した。

「私、本当は女だし!!」

ドーム状に覆われた狭い空間の中で叫べば、あゆが明るく答えた。

「知ってるよー」

「今日、そう言われた」

刀も頷く。

二人は攻撃が止むまではできることがないのか、私のことをじっと見つめていた。

どこか励ますように、温かい眼差しで。

もう、今ならこのまま、最後まで言えそうな気がする。

「私っ、ふ、ふ、二人と、同じクラスなのっっ!!」

「「!?」」

真っ赤な顔で叫べば、これには二人も流石に驚きを隠せない顔をする。

その時、ピシッと音がした。

二人は刀の張った防御壁を見る、こちらも高温にさらされて色が変わって今にもどろりと溶け落ちそうだったが、私はきなこもちを振り返った。


真っ黒な体に一本の大きなヒビ。

パキパキと音を立てて広がる亀裂。

そこからは眩しいほどの光が溢れてくる。


「良かった! きなこもちっ!!」

「「きなこもち!?」」


メンテまでの残り秒数は、五秒。

光はあまりに眩しく強烈で、スマホの画面から溢れ出して部屋中に広がった。


思わず閉じてしまった目をそろりと開けると、そこは自分の部屋ではなかった。


私の前には、七色に輝く光の……鳥……? ああ、そっか、これ……。

「大龍……、光の大龍だ」

感動に震えるような声がすぐ隣から聞こえて、そちらを見れば、刀がいた。

「うわわ、何これ、夢の中? えっ、二人もいるの?」

慌てるあゆの声は、坂口君の声だ。

「夢じゃないよ」

私が答えれば、刀も頷く。

もしかしたら、刀も夢の中の私と会っていた時はこんな感じだったんだろうか。

光の龍が、ゆっくり目を開く。

「きなこもち……?」

私が声をかければ、七色に輝く瞳が優しく細められた。

そうっと伸ばした私の手に、光る龍はくちばしのような物を擦り付けてくる。

優しく撫でれば、高く透き通る笛の音のような声で、嬉しそうに鳴いた。

「良かった……」

「俺も、撫でていいか?」

隣から尋ねる刀に、輝くくちばしが差し出される。

なんとなく、これできなこもちとはお別れなんだというのは、刀も感じたのかも知れない。

グローブと金属製の甲冑に覆われた刀の指先がくちばしから離れると、光の龍が輝く翼を広げて大きく羽ばたく。

光の大龍が飛び立てば、光に包まれていた私たちの周りにいつもの草原が戻ってきた。

そっか。私たちは周囲をぐるりと光の大龍の長い体に囲まれてたんだ。


「な……、なんで君たちは、強制ログアウトされていないんだ?」

ラゴの戸惑うような声。

空には確かに、現在メンテナンス中です。という表示がされている。

「それに、その、龍は……」

ラゴは、空に舞う光の大龍を見上げながら地上に降りてくると、人型に戻る。


「光の大龍。DtDに暗闇の使徒がはびこるとき、それを打ち払ってくれるという、伝説の神龍だ……この暗闇の使徒っていうのは、ウィルスの事だったんだな」

刀の言葉に、ラゴはその通りだと頷く。

「よく知ってるね。光の大龍はウィルス除去プログラムだ。でも、起動キーが分からなくて、ずっと起動できなかった……」

「起動キー?」

あゆが可愛らしく首を傾げて尋ねる。

うーん。ピンクのウサミミツインテールウィザードもよく似合ってたけど、紫のロングストレートな聖職者お姉さんも似合ってるなぁ。

「いや、それが開発ノートには、起動キーは乙女の祈りと成長って書かれてるだけで……」

ラゴはちょっとバツの悪そうな顔で頭をかきながら答える。

「このウィルス除去プログラムを作った人は、これを完成させてすぐに亡くなっていて、本当に開発部のメンバーにも起動の仕方が分からない、宝の持ち腐れ的なプログラムだったんだよ」

「すごい……俺が、DtDの伝説に立ち会えたなんて……」

刀が何やら感動に震えている。

私には伝説とかそういうのはよくわからないけれど、きなこもちが私を選んでくれて、私がそれに応えられたのだとしたら。

それは、……とても誇らしい事だった。


きなこもち……。ありがとう……。


見上げた空では光の大龍がぐるぐると回りながら、キラキラ光る七色の粉を撒いている。

そうすると、ほんの時々、七色の光る柱が地面から空まで伸びる。

ラゴが、仲間のGMから受け取った情報を嬉々として話す。

「すごいよ! あの粉、隠れてるウィルスを炙り出して、駆除していってるらしい!!」

あゆと刀が顔を見合わせて、どこか誇らしげに笑う。

そうだよね。きなこもちが光の大龍になれたのは、私が殻を破るまでの間、二人が必死で頑張ってくれたからだよ。

ううん、私が殻を破れたのだって、二人がどんなにピンチの時でも、励ましてくれたおかげだよ。

「刀、あゆ、本当にありがとうっ!!」

私の言葉に、二人はキョトンとこちらを見た。

「みさみさちゃんもすごいよっ♪」

「ああ、光の大龍を召喚した巫女様だな」

「えっ、そ……そうなる……のかな?」

なんだか恥ずかしくて、また顔が赤くなってしまいそうだ。

「うんっ」「おそらくな」

二人は笑って言った。


ラゴがばさりと翼を広げて飛び立つ。

「あ! このマップの駆除が終わって、次のマップへ移動するみたいだ。僕は付き添ってくるよ! 君たちにはまたメンテ明けに、詳しく話を聞かせて欲しい!」

ラゴに手を振って答える。

「はーい」「はい」「分かりました」

「データの点検もするから、なるべく早くログアウトしていてくれよーっ!!」

風の中に、ラゴの少年らしい高い声が響いた。


私たちは、その言葉に顔を見合わせると、ちょっとだけ苦笑して、ログアウトに取りかかる。

「通話アプリで声をかけてもいい?」

私の言葉に、二人は頷いてくれた。


遠くの空から、光の大龍となったきなこもちの声がする。

少しだけ寂しそうに、でも私たちを励ますように、透き通る笛の音のような鳴き声が、空に高く響いた。

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