第5話 閉じ込められていたもの(2/3)
月曜の学校は、いつも通りだった。
みんなちょっとだけ眠そうで、やる気の無いどんよりした空気が、朝の新鮮な空気と混ざって、いつもと変わらぬ月曜の朝。
坂口くんは今日は珍しく、午前中一度も寝ていないようだった。
別に見張ってるわけじゃないけど、私は坂口くんの斜め後ろの席なので、自然と目に入る。
昼休みには、また冬馬くんの席に坂口くんが向かい合うように立っていた。
相変わらずDtDの話をしてるみたいで、思わず聞き耳を立ててしまう。
「ウィルス……? バグじゃなくて?」
「うん、そのウィルスはフニルーに擬態してるらしいって、昨日ギルドの人が話してて……」
「フニルーに……。そうか。無関係な話ならいいんだが……」
フニルー?
私は、思わずみんなで集まっていたアイカの席を「ちょっとトイレ」と離れた。
冬馬くんの席は廊下側の一番前、出入り口付近だから、教室から出るふりをすればすぐそばまで行ける。
「でも、昨日はみさみさちゃん喜んでくれてよかったね」
――え!?
坂口くんの言葉に足が止まりそうになるのを、ゆっくりでも進める。
「そうだな」
答える冬馬くんの声は、やっぱりどこかで聞いたことがある気がする。
い、いやいや、そんな、珍しい名前じゃないし……。
聞き間違いかも、だし……。
「ボクが思うに、みさみさちゃんはリアル女子だと思うんだよねぇ……」
「……だったら何だ?」
「うーん。ボクは叶多(かなた)のそういうとこ嫌いじゃないんだけどさ、もうちょっと……」
二人の話が気になりすぎて、私は廊下に出てしまった後も、そのまま扉の向こう側から動けない。
「本人が男だと言ったのに、疑う必要なんかないだろう」
「それは叶多がそういう流れにしちゃったからだよ」
「……俺が、嘘をつかせた……、と……?」
「多分ね。まあ、叶多に悪気がないのはわかってるんだけど、それでもね」
「……よく分からないが、歩(あゆむ)が言うならそうなんだろうな……」
え。えええと、冬馬くんって叶多って名前だったっけ?
確かにグループ会話でそんなフルネームだった気がするけど、なんか、名前の響きがカタナに似てない??
それで、坂口くんは下の名前、歩って言うんだ???
なんか、それって……、それって……。
心臓がバクバクいってる。
私は、今すぐ二人の姿が見たくなって、扉の向こうで教室を振り返る。
「今度、ボクがなんか話しやすい雰囲気作って、本当のとこ聞いてみるよ」
銀色の大きな丸い眼鏡の向こうに、ふわりと柔らかな笑顔。
「すまないな、迷惑をかけて……」
ちょっと目を逸らして、でも申し訳なさそうに謝る真っ直ぐな言葉。
そのどちらもが、私の知ってる二人にピッタリと重なった。
「このくらいの事、いいよ、気にしない……で……」
私が、ドキドキに息が詰まりそうになった時、突然、坂口くんの体がぐらりと傾ぐ。
「ぁ……やば……眠気……が……」
「歩っ!!」
冬馬くんは慌てて席を立とうとする。けど間に合わない。
私は駆け出していた。
両手を精一杯伸ばして、今にも地面に叩きつけられそうだった坂口くんの頭を何とかギリギリ受け止める。
カシャンっと音がして、眼鏡だけが床に落ちた。
とほぼ同時に、ガタンッと大きな音がしたのは、冬馬くんの倒した椅子の音だ。
その音に、教室の視線が集まり、ざわりと大きく騒めく。
冬馬くんが一歩遅れてこちらに回ると、眼鏡を机の上に拾い上げてから、坂口くんの隣に膝をつく。
「ありがとう、助かった……」
冬馬くんが坂口くんに手を伸ばすので、私は必死で受け止めた頭をそっと渡す。
冬馬くんの指は、震えていた。
お、思わず受け止めちゃったけど……。
私は周りを見ようとして、やめる。自分たちが今教室中の注目を集めている事くらい、見回さなくても分かった。
冬馬くんの胸元に抱き寄せられた坂口くんは、目を閉じている。
今まで喋ってた人が、立ったまま寝てしまうなんて、そんなことがあるんだろうか。
「……保健室か……」
冬馬くんが小さく呟く。
「――あ、俺、先生呼んでくるっ!」
男子の声。青木くんかな。
「き、救急車呼ぶ?」
スマホを取り出す子。
あ。シャッター音! 写真を撮ってる子がいる!?
冬馬くんが、いつもの静かな声で、けれどはっきりと言う。
「救急車を呼ぶ必要はない。坂口は薬のせいで眠ってるだけだ。大事にしなくていい」
冬馬くんはそこで一回言葉を切ると、顔を上げて、写真を撮っている子の顔を順に見てから言った。
「……写真を撮るのはやめてくれ。ネットにあげたりも、しないでほしい。もし自分が坂口の立場なら、どう感じるか、想像してみてもらえないか……」
ざわついていた教室が、しん。と静まり返る。
冬馬くんは坂口くんを横抱きにしたまま持ち上げようとする。
けれど、冬馬くんの腕力では難しいようだ。
悔しそうに眉を寄せる姿に、私は思わず尋ねる。
「……と、冬馬くん、何か私にできることある?」
「ああ……、助かる。保健室から担架を借りてきてくれないか」
その声は、確かに夢で聞いたカタナの声だった。
「分かった、行ってくるねっ」
私は、教室を飛び出した。
二重のドキドキで、胸が激しく鳴っている。
私は叱られない程度の小走りで保健室に向かいながら、胸をギュッと押さえる。
倒れてしまった坂口くん。
冬馬くんの言うように、寝ちゃったんだとは思うけど、あまりに不自然な寝方で、心配ではある。
頭は打たずに済んだけど、ガクンってなっちゃったし、首、痛めたりしてないかな……。
なんともないといいんだけど……。
胸のドキドキは一向に収まる気配がない。
……あの二人が、あの二人だったなんて。
同じ学校どころか、同じクラスだったなんて。
すごい!
信じられない!!
嬉しい!!!
……でも、なんだか恥ずかしい。
これに気付いてるのって、私だけなんだよね……。
どうしよう。
内緒にしとく方が……いいのかな……。
保健室を危うく通り過ぎそうになって、二歩戻る。
事情を話すと、ふくよかな保健のおばちゃん先生が担架を持って一緒に小走りで来てくれた。
教室に戻ると、担任の先生も来ている。
先生が私を見てちょっとだけ不思議そうな顔をした。
そうだよね。
私は、学校で冬馬くん達と関わりもなければ、保健委員でもないし……。
坂口くんは、保健の先生と担任の先生に担架に乗せられて、保健室へ向かった。
冬馬くんもそれに付き添って教室を出て行く。
それを見送ると、ようやく、教室にいつもの昼休みのざわめきが戻ってきた。
「みさき、すごいね!」
遥に声をかけられる。
「ほんと、よくキャッチできたねー?」
遥と違って、アイカの言葉はどこか蔑むような響きだった。
「あたしだったら届いても触んないなー」
ひまりの言葉に『やっぱり』と思う。
「何言ってんの。あのまま頭打ってたら死ぬかも知れないとこだよ! みさきはよくやったよ」
玲菜に言われて、アイカとひまりが不服そうな顔をする。
玲菜が、賞賛を込めてポンと背中を叩いてくれる。
「あはは、ありがと……」
私は苦笑してそれを受け取った。
同じ出来事を見ても、こんなに感想が違うなんて。
正直、こんなにバラバラなメンバーが、よく半年も一緒にいたなと思う。
結局その日、坂口くんは教室に戻って来なかった。
***
学校から帰ると、やはりクラスのグループ会話に通知が来ていた。
『びっくりしたよねー』
『うんうん(←スタンプ)』
『衝撃!(←スタンプ)』
『!?(←スタンプ)』
『あれって立ったまま寝ちゃったってこと?』
昼休み、クラスに居なかった子もちらほら居たので、会話の初めはほんの少し混乱していた。
一部始終を見ていた子が説明すると、皆が立ったまま寝ることの異常さを口にする。
私が頭を支えてた話も出てて、ちょっと恥ずかしくなったけど、『すげーな』とか『マジで!?』というスタンプ程度でサラッと流されててホッとする。
会話があらかた落ち着いて、いつものゲームの話題に戻りかけていたところへ、写真が上がる。
冬馬くんが坂口くんを横向きに抱き上げて、心配そうに覗き込んでいるところだ。
冬馬くんは、撮らないでって言ってたのに。
こんな風に、ネットに上げないでって言ってたのに……。
誰が上げたんだろうと名前を見ればひまりで、私は頭を抱えた。
『眠れる森のなんとかみたいなやつ』
『うんうん(←スタンプ)』
『確かに(←スタンプ)』
『おい、冬馬が写真上げんなって言ってたろ』
あ。青木くんいい人。
ズッ友の方にも通知が入る。
玲菜が、ひまりにすぐ写真を消すように言ってるみたいだ。
その間もクラスのグループ会話は続く。
『絵になる』
『完全に冬馬くんが王子様じゃない?』
『素敵(←スタンプ)』
『BLwww』
『これだから萩原は……』
クラス委員の山本くんがひまりを名指しで窘める。
そうすると、途端に会話の流れが変わった。
『最低だな(←スタンプ)』
『酷い……(←スタンプ)』
『冬馬くんが、写真撮らないでって言ってたのにね』
とひまりを非難する声が続く。
どうやら、玲菜の忠告はちょっと遅かったみたいだ。
ひまり、どうするのかな……。
ハラハラしながら見ていると、ひまりが写真を削除した。
『テヘッ☆(←スタンプ)』
うわぁ……。
この反省の薄い感じが、まさにひまりだなぁと思う。
もしかしたらひまりは、自分の非を認めるのがすごく苦手なのかも知れないなぁ……。
それにしても酷いけど。と思いながら、ログを見守る。
『最悪(←スタンプ)』
と、ひとつスタンプが入ったあとは、誰も何も言わなくなった。
ズッ友グループの方では、ひまりが玲菜に叱られていた。
それを「まあまあ」とフォローに入ったアイカが、玲菜に「あんたも友達ならダメな事はダメだって教えてやりなよ」とまとめて叱られている。
『友達なら』かぁ……。
玲菜は、私達の事、ちゃんと友達だと思ってくれてるんだ……。
嬉しいような、どこか申し訳ないような気持ちでその文字を見ていると、新しい言葉が届く。
『遥とみさきも、見てるなら何か言ったら?』
うっ。
玲菜はどうやら怒ってるみたいで、私もしっかり呼ばれてしまった。
なんて言えばいいかな……、なんて考えてるうちに、遥が先に文字を打つ。
『私は……、ひまりが反省してるなら、もういいかなって……』
『このひまりが、反省してるように見える?』
言われて、遥は黙ってしまった。
私はしばらく悩んでから、正直な気持ちをタップしてみる。
『私は……、ひまりのやったことはひどい事だと思うけど、それを玲菜みたいに教えてあげたいと思うほど、ひまりの事が大事じゃないんだと思う……。友達がいがなくて、ごめんね』
文章を三回読み返す。
これは、嘘じゃない、私の本当の気持ちだった。
『みさきは?』
と玲菜から催促の言葉が入る。
これを送信したら、もうこのグループには居られなくなるだろうな、と思う。
でも、それはもう、自分にとってあまり大事なことではなくなっていた。
私は、ほんの少しだけ指先を迷わせてから、送信ボタンを押した。
なんだかすごく、スッキリした気分だった。
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