3-12 Ginevra de' Benci



思考が散る。


ハイスピードで動くマキシマの世界では、その一瞬の散漫は命取りだ。


ステアリングが乱れ、その修正のために大振りで回し、さらにそれをのすために反対に大振りする。


インプレッサの制御が失われ、そしてそのコンマ数秒間の戦慄のあと、マキシマの身体を衝撃が襲った。


呼吸ができない。


状況を理解する前に感じたのは呼吸器官の異常だ。


そして理解した。


路肩の並木に激突したらしい。


カーボンモノコックの軽量ステアリングにはエアバッグなど搭載されているわけもなく、慣性のままマキシマはハンドルに胸を叩きつけたのだ。


吸え、空気を。


脳が身体にそれを命じても一向に酸素が届かず、その焦りに心臓だけが高鳴る。


そうだ、周りにはヴィリスもいる。


理解が状況に追いつけば追いつくほど、マキシマは焦燥した。


息を、息を、息を息を息を。


肋骨もやられている。


酸素の前に届いたのは痛覚だ。


何かがいる。


定まらない視界のその真裏に、何かが。


マキシマには自らの背後に何がいるのかを本能で悟った。


“死神”だ。


酸欠で死ぬか、ヴィリスに食われて死ぬか。


そのどちらかすら、選べぬというのだろうか。









《……あっ、こんばんにちは。閲覧300名さま、来てくれてありがとうございます》









「……ァハァッ!!!!」



マキシマの意識が助手席に転がったスマホに向けられた瞬間、文字通り肺が息を吹き返した。


酸素が全身を駆け巡り、網膜の焦点が合って視界が戻る。


思考が、晴れる。


マキシマはクラッチを踏み、キーを回した。


噴き上がるエンジン。


インプレッサのギアをバックに入れ、4本のタイヤが再び回り出す。



《皆さん早いですね。寝起きもいいことでしょう、私も皆さんを見習いたいです》



助手席のスマホから聞こえる声がヒューガのものであると気付くのと同時に、ギアはローへ。


大丈夫だ、この車はまだ走れる。


フロントガラスが蜘蛛の巣状にヒビ割れているが、その隙間からの視界で十分だ。


フロントがどんな状態になっているかは分からないし、考えたくもない。


今はただ、レースに戻るという使命感だけがマキシマとインプレッサを動かしている。



《こんなタイミングで枠を開くのもなんかアレですけど、喋りたいという欲求よりも前に配信開始ボタンを押してしまうのが我々インフルエンサーの生態なんですよ。誠にすみまメン》



まだヴィリスの群れとワイルドウイング戦闘員の混戦の中だ。


抜けねば。


ハンドルはまだきく。


アクセルのレスポンスも劣化していない。


足回りは大丈夫だ。


だが。


カマロは、見えない。



 

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