蓼食う人魚 五頁目

「ふっ、はは、どうした。お前が、殺した妻の頭を掘り起こして貪ったことの、何がおかしいのだ」

 病人の身を弁えず笑い転げた末に声をひっくり返して咽るユーリに笑いかける。「魚神様」としてはあってはならないことではあるが、この人間に明確な愛情や親しみの念が私の声には宿っていた。私と同じく人間を嬲ったユーリに対して、愛しい人間の一人であるユーリに対して、好感を抱きつつあったのである。

「のう、脳が何か、はっはは、ご存じ、しって、しっているでしょう、ね」

「記憶を司る器官らしいな」

 首尾よく答えてやると、お気に召したのやら癪に障ったのやら、ユーリはもったいぶるように咳き込んでから衣擦れの音が気になるまで黙りこくると、なぜだか悲し気に言葉を漏らした。目は私の向こうの何かを見つめているようだった。

「お、おれは、私はあなたとは違う、のです。あ、ああ、あなたのような、ひ、人魚などとは、違う。私はしんに、真に愛すべき、ものを知っているの、です。私は、信じ、あ、愛しています。ずっと、いっしょに、共にありたいと、思っている。まるで、よ、横恋慕ですね。ひ、え、あの子、たちは、私より、ずっとあなたのような、化け物を愛しているのに。お、私は、殺して食い破り、たいくらい大好き、なのですよ。ずっと、ずっとずっと共に、居たい、ぁのに、居れないから、記憶と、き、もちだけは、せめてずっと、腹の中で、一緒に、ずっといっしょに、しなないで、いっしょに」

 やはり私の予想通り、魚神様の伝承はこの里の周辺の一部地域に伝えられているもので、ユーリの元いた北の大地のような離れた土地では見る影もない存在であるようだ。しかし、ならばなおさら滑稽でないか、この男は私がただの人外だと知りながら神事と贄の売買を長として済ました顔でとり仕切ってきたというのだから。今更健全に泣きわめいたところで誰がおまえの涙を信じるというのだ。まったくもってこの男は滑稽で素晴らしい。

「にしてはすぐに殺したな。四人とも十年もたたずに殺しおって、人望のあるお前が望めば子供も贄にならずに済んだだろうに」

 ユーリは茫洋と、土で固めた天井を眺めながら呻きもせずに口と瞼を開閉している。とうとう死ぬかなと思うと寝台に海老ぞりになるように細かに震える体を叩きつけ、弾けるように笑う。

「あっははは、同じだ! あなと、あなたと同じ、だはは! はっ、老いて、病に侵された肉、なんて、食いたく、は、なかっ、たんだ、あっははっは!」

「あははは、傑作だよおまえは! 若い人間の脳をすすりたいがために、神ではないと解っている私に子供をささげたのか」

 ユーリは額を脂で濡らしながら、ふうふう息を吸って吐く。人間は衰えるとしゃべり続けるのにもひと苦労らしい。いささかくたびれた様子で、けれども意志を込めてユーリは続けた。

「脳だけ、では、あ、ありません。最初こそ、手間取りましたが、慣れると、肉をもっと、もっととれるよう、になりました。け、獣に襲われ、ように、崖、から落ちた風に、見せれば、肉が欠けていても、不審、でない。テムルのたるんだふくらはぎも、リトウラの小さい掌も、ラスムの薄い尻も、皆、甘美で、愛おしかった。今度は、天国で、互いに脳を舐ってすすり合いたい。もっと愛し合いたい。もっと、共に、ありたかっ、ありたい」

「ふむ。しかし、子供の肉はどうやって食った? 確かに贄を売った時奴隷商から受け取った金を持ってきただろう」

「内臓、ぅ、や性器を切り取って、売りました。じじつ、呪術、や神事に子供の身体を、神、や、ああ、悪魔の媒体にする、地も、あるで、お、私が、切ったのです。ドガ、も、メジンもパルイも、ユコウもトルチもキンダも、ぜ、全員。そ、商人の言われるまま、生きたまま、切り、ました。かね、値が付かないと言、われて、生きたまま、に、切りました。切り取った後に、すぐさまく、頸を、切って、息を、止めさせて。鳴き声も、けけけ、痙攣もしなくな、なったあの、あの子たちを、おれ、私は。頭を、かちわって。脳をすすって、すすって、肉を、残った肉は、小山の、堂の、近くの小屋に干して、少し、づつ、食べ、ました」

 なるほど、頻繁に小山の辺りをうろついていたのはそのためか。まさか個人的な慈悲でも長としての義務感でもなく、子供の肉を食べに来ていただなんて、あの巫女にいい土産話を得られて大変満足だった。明日は巫女へたり込んでみっともなく泣きながら奴隷にあたる姿を観て楽しもう。

 あれこれと考えを巡らせているうちに、ユーリは「ああ」だの「うう」だの唸っていたが、病人などそんなものだろうと放っておくと、いつのまにやら形を成さなかった声が、だんだん「ごめんなさい」だとか「すまない」「許してくれ」といった謝罪の言葉の体を成すようになっていた。

 あまりにも不可解で、ユーリを伺うと、ユーリは今まで戒められていたものが解き放たれたかのように、体をこれまでにない程に震わせており、土気色のこけた頬には水滴がさまよっていた。

 

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