第19話 おそるべきは神か竜か人か
僕たちは村長の館で、因習を廃止するための交渉のテーブルに同席している。
詳しい話は後回しだが、熊が退治されたこと自体は村長たちにひとまず信じてもらえた。
「用が済むまでにせよ、この村に滞在するなら人喰い熊のことで嘘をついても何にもならぬでの」
とのこと。
口減らしの風習をなくしたい気持ちは皆にあり、懸念事項はスヴェン氏の言とだいたい同じだ。
ジェイクの仲間の筋骨逞しい僧侶が、気圧されるような明るい声で言う。
「神罰をおそれるなら、より強大な神にお縋りなされば良かろう。光の神の教会はいつでも歓迎致しますとも。……ところで、あまり話し合いが長引くと、彼女が魔力切れを起こしてしまいます。捕獲した竜の子供に封印を施しておるのですが」
隣に薄絹のローブを羽織った女性の魔術師がいる。
彼女が本当に疲れているのなら危険だ。
それとも僧侶は仲間を気遣うとみせかけて、改宗を迫る……と言わないまでも、こちらの要求を呑まねば竜の子供をけしかけると脅しているのだろうか。
これは神像かと思いそうになるほど微動だにしなかった神官長の老女が、口を開いた。
「改宗なぞせんでも、おぬしらの望みをかなえるのは難しくはないぞえ。
口減らしを禁じたとて、砂金取りの神事をやめたとて、神は人を咎めはせぬ。もともと白竜山の神は生贄を求めるような欲深い存在ではないからの。
しかし、お前たちは本当にそれで良いのか?」
良いに決まっているはずが、村の人も、ジェイクやロムさんも動揺したように見えた。
考えてみれば、神のために辛い仕来りを守ったはずが、人間が勝手に始めたことと言われたも同然だからだろう。
「村が豊かであれば村人は豊かに暮らせる。貧しければ村人を養いきれぬ。それはどのような神をどんなふうにお祀りしようと変わらぬぞ」
老女の言葉に、さっきの僧侶は居心地わるそうに姿勢をなおした。
「あのようなしきたりが生まれたのは、貧しく過酷な環境のなかで、苦労が報われてほしい、大切なものを犠牲にしたからには何か得るものがあってほしい……という人間の悲しい願いじゃ」
人生経験から出た言葉だろうが、まるで老女の体に白竜山の神が乗り移って話しているかのようだ。
「これまで神のせい、仕来りのせいだと思っていれば人を恨まずに済んでいたものを……自分にせよ他の誰かにせよ、この村の誰かのせいだと思わねばならなくなる。それが争いをまねくこともあろう。
おぬしらは、いや、この村に暮らす者の子々孫々は、本当にそれに耐えられるのか?」
籤を引かされた人たちに、恨みや争いが無かったはずがない。老女も本当はそれを分かっているはずだ。
沈黙は迷いではなく、心を宥めるための時間だ。
最初に口を開いたのはジェイク。
「それでも俺は、この村の人々を信じます」
続いてロムさん。
「村長、スヴェン、村のみんなを頼みますよ」
スヴェン氏が深く頷いた。
「ああ、任せてくれ。……これでいいでしょう、村長」
「うむ」
「あい分かった。金輪際、残雪の砂金取りの神事は取りやめじゃ。そのように記録を残し、祠に納めるとしよう」
神官長はお供の巫女に支えられて立ち上がり、ゆっくりと応接室を出てゆく。
そして、村長に促されてグルキューンの熊撃ちの顛末を話した。にこにこと聞き終えると、グルキューンを主として、僕たちにもズシリと重みのある小袋をくれた。
中身は砂金だ。ロムさんの件で右往左往したのを思うと複雑な気分だが……すごく嬉しい。どうやらあの小さな社に奉納された砂金は、村からの特別な出費を贖うために使われるらしい。
もしかしたら、竜の素材を得るための交渉に費やさなくてはならないかもしれない。
この場にいない功労者のテオたちにはスヴェン氏が届け物をすることになった。狭い村だから見つかるだろう。
村長とスヴェン氏は、ごゆっくりと言って応接室を出てゆく。
扉が閉まると魔術師が悪戯っぽく笑った。
「魔力切れのことは方便よ。ゆっくり積もる話をなさって」
やっと、僕らのロムさんの番が来たのだ。
「待たせたな、ロム。いったいどんな頼みごとで会いに来てくれたんだ?
そっちは仕事だろうが、20年ぶりに会えたんだ。用件だけで帰すつもりはないからな」
ジェイクが笑った。
それは少年が親しい友と過ごすときと変わらない、心からの笑顔だ。
(続く)
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