第15話 わるい夢は黄金色

 胸のなかが重苦しい。

 寒い季節はとうに過ぎたのに、冷えびえとした空気が肌に痛いほどだ。

 気温の問題ではない。視線を感じるが観衆の誰一人として味方ではない、そういう冷たさだ。


 ローラがいる。

 こちらに背を向けて椅子に腰掛け、長く艶やかな黒髪を首の横に流して……。

 白いうなじが見える。

 そこに目を引かれて重大なことに気づくのが後になったが、ローラは両腕両脚を拘束されている。


 僕の両手には、重く冷たい長剣。

 その剣は異様なことにきっさきのない造りで、首のない死体を連想させた。

 ……何故こんなものを持たされている?


 僕はその答えを知っているのかもしれない。ただ……思い出せない。そうするのが恐ろしいのか……?


「ローラ……あなたに会えて……禁忌を犯しても生きてほしいと望んでくれたことを、幸せに思います……」


 震える声で「僕」は語る。


「僕もすぐ追いつきます……それまで、しばらくの……」


 しばらくの何なのか、知りたくない……。

 否、知っている。たぶん知っているが。

 思い出すのは……。



「……嫌だあああああ!!!」



  *  *  *

 


 目が覚めたら、ラケルが呆れ顔で見下ろしていた。金髪の毛先が僕の目に入りそうだ。


「なんつー声だよ。じゃあ元気そうだな。行くぞ」


 元気なもんか、と言いたいが否定する理由が身体的には見当たらない。真下から見上げれば、ラケルのきれいな顔も鼻の穴ばかり目立ってブサイクなものだ。さっきの悪夢のような緊迫感は全くない。

 ともかく僕は起き、こっそりと口の中の魔晶石を新しいのに換えた。事情を知るラケルにだけは見られても大丈夫だ。


「僕、何か変なこと言ってました?」

「言ってたら舌を切ってでも黙らせるさ。安心しな」


 同じテントのロムさんとシンディも出発のしたくの最中だ。

 あとから合流してきたパーティーはもういない。ゆうべのうちに、出したばかりだったテントを畳んで行ってしまったのだ。

 

 昨日、酒場で過ごした彼らとロムさんは荷物番の分まで料理を持ち帰ってくれた。そのとき食べながら耳に挟んだ話によると、彼らは酒場で金脈の噂をきいて居ても立ってもいられなくなったとか。


「兄さんとの賭けはどうしたんだよ?」

 ラケルが刺青の男に、もっともな質問をした。彼は賭けに負けたら帰郷して家業を手伝うことになっていた。男は答えた。

「あんたの兄さんは約束を守る人なんだろうが、うちは違うんだ。もしジェイクに会えて、その話をしたところで……きんより雄弁なものはねえ」


 経済力を示すのも家族を納得させる方法のうちだ。あの公園でジェイクの仲間を待ちぼうけていた彼らは体力が有り余っていたのだろう。

 それに、ロムさんとジェイクに音沙汰がないのを知られていたら、ジェイクに会うつてには頼りないと思われたのかもしれない。

 しかし無謀だ。止めても聞かなかった。

 それが昨日のことだ。


 僕たちはテントを畳み、泊めてくれた家族の母家の戸口に金貨を埋めて、出発した。



 朝の山道は涼しい。

 早起きの小鳥たちが木の実どろぼうを始めたころだ。

 歩くのも楽しく思えたかもしれない。あんな夢さえ見なければ。

 

 「油断は禁物だよ。ドラゴンが倒されたということは、その次くらいに強い獣や魔物を中心に、野生のなわばり争いの勢力図が大きく動くってことだ」

 と、ラケルは語る。

 金鉱の噂も広まっている。強欲な人間だって怖いものだ。

 ただひとり土地勘のあるロムさんも知らないような、思わぬ強敵に遭遇するかもしれない。

 

「だんだん道が険しくなりますねぇ。あの人たちぃ、こんな山道を夜中に歩いていけたんでしょうかぁ」


 一方は崖、もう一方は林の、狭い道だ。

 そういえばシンディの望遠鏡で星を見ていたあの少年魔術師は名残惜しそうだったな。急きたてられて気の毒だった。 


「無茶なやつらだぜ。けど、村に着けなければ適当に野宿するくらいでないと……」


「しっ」


 僕がラケルを黙らせたのは、何かの足音が聞こえたからだ。人か。それだけではないような……。

 

「助けてください!」


 噂をすれば影、あの少年魔術師が息を切らして駆けてきた。たぶんあとに続くも。


「仲間が熊にやられて、熊はまだうろついているんです!」 

「言わんこっちゃない! 俺たちはこの人の護衛だよ。ロムさん、どうする?」

「助けましょう! 人間の味を知った熊を放っておいては……」


 ロムさんの即断が不幸中の幸いだ。

 僕は少年魔術師に告げた。


「きみ、追われてるぞ」

 

「なっ……!?」


 

 木々のあいだからは姿を現した。


 僕の頭にあった熊というものの予想図はあっさりとうち破られた。

 身体の大きさはずんぐりした小柄な成人男性ほどながら、頑丈な毛皮に包まれた屈強な筋肉……。それが熊だと思っていた。

 いま眼前にせまる熊は巨人の背丈、それに比例してあらゆる要素が強大な、自然の脅威そのものだ。


 もうじき死ぬ。

 いや、僕は死ねない肉塊と化す。

 同行者を守ろうとする限り、奴にとって僕は障害物だから。

 いっそ僕が逃げて他のみんな死ねば、動く惨殺死体となった姿を見られなくて済む。


 だが一瞬、僕は少年を抱えて跳んだ。

 巨獣の爪は空を切り裂いた。 


「『眠り』よ!」 


 すぐに体勢を立てなおした少年魔術師が杖を突きつけると、光が発せられて熊の頭を包みこんだ。

 熊は眠たげにまばたきをして、二本脚で立つのをやめた。

 魔術師は必ずしも長い呪文を唱えない。杖に魔力をこめておき、必要な時すぐに発動するための合図に、より簡潔な言葉を発したのだ。

 熊はぼんやりとしているが、少しの刺激で凶暴さを取り戻しそうだ。


「だめだ……これで最後だったのに!」


 そこに小さいが凛とした声が響いた。


「幻映す欲望の檻、あの者を捕らえよ」


 シンディの人差し指の指輪から霧が流れだして熊の身体をとりまいた。


「あれは蜂の巣。まわりを蜂がぶんぶん飛び回ってるの。黄金色の蜜はむせかえるほど芳醇な匂い……」


 蜂の巣などない。

 しかし熊は何かに引き寄せられるようにゆっくりと向きを変える。

 人の言葉が熊につうじるのかと首をかしげていると、ラケルが耳打ちした。


「幻影とは魔術師の想像の世界を相手の心に植えつけるものだ。邪魔するな。好機がくるまでは」


 シンディの語りは熊に聞かせるためではなく、想像の世界をより鮮やかにする補助線として、彼女自身が言葉を必要としているということだろうか。

 どうもピンとこないが、いまはそれどころではない。

 

「蜂の巣が転がってゆく。崖のほうへ……」


 熊は崖へとゆるゆる歩いてゆく。

 シンディ、上手いぞ。もう少しだ。

 やがて崖のきわで、獣の巨体の重みで土が崩れた。

 転落する熊。安堵感と地面の脆さにゾッとする感覚がいっぺんに背筋を走った。

 少年魔術師は僕たちを促した。


「ありがとう! 仲間はこっちです。もう少しで村に着くところで」


 しかし……最後尾の僕が見たのは、崖の下から急接近する悪夢だった。爪を掛けることさえできれば、熊は重い体のくせにどんな急な崖でも這い上がるのだ!


「急いで! 熊が! 熊が崖を!」

 僕は叫びながらも、熊のほうが速い、逃げきるのは無理だと悟った。

「ラケル、来てくれ! 僕たちで何とかしよう」

 ラケルはすぐ駆けつけてくれた。きっと僕が呼ぶより先に動いていたんだ。

 しかし、

 

「そこをどけ! 早く!」


 初めて聞く声が響き、僕たちは弾かれるように坂の上へ駆けだした。




 (続く)



 

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