第12話 うたかたの夕暮れ

 暮れゆく日差しの下にきらめく水面。

 水は澄み、いまは沈んでいるかつての白亜の四阿を魚が泳いでゆくのが見える。

 ローラと見たかったのに、と嘆きの種がまた増えてしまいそうだ。

 

 僕たちはこれを水中から見ている。息を止めろと警告された意味はこれだった。


 服や荷物に含まれていた空気もキラキラと泡になって綺麗だ。

 水はさほど深くなく、すぐに顔を出せて苦しくはなかった……いや、これは僕が不死者だからか。

 ロムさんは溺れたりしていないだろうか、と思いきや、とっくに水面を泳いで岸へ向かっていた。目指す岸辺には、崩れたり沈んだりしていない現役の四阿がある。急いで追う。

 

 のんきに水中の光景を眺めていたのは僕だけで、さっきまでの彼に文句をつける資格は無くなった。自分ではゆっくりしていたつもりはなかったが……。


 岸に着いたのはほぼ同時だった。

 地面が水に浸かるあたりまで人工的な石の階段になっているところだ。

「水中に通じていたとは驚きましたね。ロムさん、息苦しかったでしょう」

 いちおう気遣いを示しておくつもりで声をかけた。

「ええ。でもじつは私、転送装置に入るときはつい息を止める癖がありまして」

 その癖が幸いしたというわけだ。

 ロムさんは横にいる僕のほうを向いて四阿を指した。

「ここは身分ある人の庭園か何かのようですね。ラケルさんたちが一息つきながら私らを待つとしたら、きっとあの……」

「ロムさん、足元を見て!」

「おっと!」


 水に浸かった石の地面は藻や何かが意外なほど滑るのだ。それに水に濡れた衣服の重みが動きを妨げている。

 しかし小太りの中年でも流石に白竜山からの生還者というべきか、ロムさんは体勢を立て直した。


  *  *  *


 四阿に着いたのは僕が先だった。

 中ではシンディが、眠っているラケルに膝枕をしているのだった。亜麻色の乙女の髪が横たわる青年の金髪に触れている。

 二人とも泳いで来たので濡れた服を窓辺に干して、薄着になっている。

 起きているほうも邪魔者に気づかない。僕も僕で、足音を忍ばせるのが癖だった。


 つい、まだ後から歩いてくる途中のロムさんのほうへ戻る。ぐずぐず躊躇う必要も暇もないと分かっているのだが。

「二人は無事?」

「そのようです。でも居づらくて……」

 声が聞こえてもいいや、と思う程度に僕は性格が悪い。


「いるんでしょう? ロムさんにモロー君」

 シンディの声を合図に僕たちは四阿に入った。

 ラケルは相変わらず膝枕で眠っている。

 テーブルの上にオレンジが二つあるのに今気づいた。

「ラケル様……」

 ロムさんをシンディが制した。

「謝るなら、目を覚ましてからどうぞぉ」


「お二人の傷の具合は?」

 僕はあえて事務的な口調で尋ねた。

「私はもともとかすり傷で済みました。ラケル様のおかげです。ラケル様のことは……」


 シンディの話によると、やはり二人は僕たちを探しに「十日市」の旅の坩堝に戻っていた。ゴーレムと戦ったのだ。かなり敵の数を減らすも傷つき疲弊していた。

 ラケルが一体のゴーレムを扉にぶつけて壊すと、衝撃で扉が開いた。

 動ける敵が近くにいないのを幸いと、いったん退避するつもりで部屋に入った。

 

 扉が一方通行だと閉めてから気づいたが、「時の泉」にこの「シーケット記念公園」の池の底に通じているのがアイテムによって分かった。西都以上に目的地に近い。

 ゴーレムが何かの拍子に部屋に入ってくる可能性をおそれたのもあり、あとは僕に任せて「時の泉」に飛び込んだ。

 泳いでいるうちに応急処置した傷口が開いたり、大変な思いをしてこの四阿にたどり着いた。


「そこへ、シスターの一行が仲間と待ち合わせるために、ここに寄りました。それで私たちに気づき、回復魔法を使ってくれたんです」

「……ん」

 ラケルは目を覚ました。上体を起こし、たった今、自分の状況に気づいたらしい。

「シンディ、世話を焼かせてしまったな。もう全然痛くないや。ありがとう。きみが手当てしてくれたのか」


「私だけではありません」

 シンディはさっきと同じ説明を再びした。

 ラケルは遠くを見ている。

「シスターが……。もしかして……いや、そんな訳がなかった」

 ジュゼット家の双子の片割れである彼が、シスターという以外に共通点のない別人としても誰を思い浮かべているか、僕には分かる。それは多分シンディも、ロムさんも同じだ。やんごとなき人々が城を失うとき、娘の行方といえば相場が決まっている。ましな部類が尼僧院だ。


「そのオレンジもシスターが?」

 ロムさんがシンディに尋ねた。

「はい。尼僧院の敷地に畑があるとか」

「そうか……」

 ラケルは一つを手にとって見つめ、しみじみと呟いた。

「見事なオレンジだ。畑仕事も楽じゃないが、苦労したぶん喜びも大きいだろうな」


 シンディは一同に背けた。

 僕が見ていることに気づくと、聞かないのに「目にゴミが入って」と小声で告げた。


「オレンジも美味しそうですが、先にこれを皆で食べましょう。私どもが見つけたものですが、傷むのが早そうですから」

 ロムさんの上着から、楕円形の果物が人数分出てきた。


 食べながら皆の話していることによると、今いるところは西都と白竜山の間にある高原地帯。豪商の別荘だったところで、今は公園になっているそうだ。

 

 マンゴーという果物があらかた皆の胃袋におさまるころ、ラケルはシンディに尋ねた。

「なあ、俺へんな寝言言わなかったか?」

 シンディは小悪魔のようにニッコリ微笑む。

「言いましたよぉ。バッチリ聞こえちゃいました」

 ラケルは赤面した。

「えっ、何て」

「……本っ当に言っていいんですかぁー?」

「やっぱりやめてくれ」

「どうしようかなー」

 

 恋に破れた乙女の涙がひとまず止んだことに、僕は安堵した。



(続く)














 

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