第10話 凍てつく春
「美味いけど喉が渇くんだ、このマンゴーって実は」
ロム氏は独りごちて水筒を傾けた……いや、この匂いは酒だ。こちらに勧めるような仕草を、僕は手で断る。
酒の力か、語り手はさきほどより少しだけ軽やかな調子で言った。
「じゃぁ、始めるとしましょうか」
* * *
故郷のタロン村では春分の日に、16歳の成人となった若者たちを祝うんです。けれど私たちの時は違いました……。
いや、その前に地元の気候の話をしましょう。
いっぱんに西部地方は温暖な地域と言われています。
けれどジェイクや私の生まれた村のある、白竜山脈一帯は別だ。冬の厳しさは、北部地方に勝るとも劣らない。
白竜山の竜とは、つい最近ジェイクが倒した本物の竜のことだけではないのです。
雪だ!
春先になると残雪で、白竜山の斜面には、まるで白い竜が山肌を踏みしめているような模様ができます。これはふつうなら、春分のころ、種蒔きの時期までには解けて消えてしまいます」
春分までに雪が解けるのが普通なら、やっぱり北部ほど寒くないのでは……と言いたくなったが、黙って聞く。
「しかし20年前、西部地方を大寒波が襲った年。春分にはまだ白々と、例年より肥え太ったような竜のしるしがありました。
そんなとき、村では成人の祝いとはべつのことをします。
……籤をひくのです。
16歳になった若者と娘たちが籤を引き、当たったものは、白竜山へ砂金を掘りに行かなくてはなりません。
竜がいまにも冬眠から目覚めようとしている、あるいはとっくに目覚めている、白竜山へ。
砂金を持たずに村に帰ってはならない。
つまり口減らしだ。
その年の当たり籤は5つありました。
当たったのは、この私ロム、スヴェン、ジェイク、エイラ、そしてネリーの5人。
山で何が起ころうと決して口外しないのが、生き延びた者の掟です。破れば山の神に祟られるという……本当かどうか知りません。
案外、禍根を残すような出来事を闇へ葬る処世術かもしれません。
籤に当たったのが女の子なら、山へ行くか西都の娼館へ売られるか、どちらか選ぶことを許されます。売られた場合、ごく一部は親の、あとは村の金です。
……あのときは正直、女の子が羨ましかった。体を売りたかった訳じゃありませんがね。
考えてみれば、選ばせるのは娘や親のためではなく、山行きがどうなろうと村にいくばくかの金を入れるための仕組みでしょうね。
二人の女の子のうち、村一番の器量良しだったエイラは売られました。
ネリーは……顔の痣のせいで、安値しかつかないと言われていました。
彼女は俺たちと山に行きました。周りを温かくする彼女の魔力は有り難かったですよ。
山に入ってからのことは秘密にする掟があると、さっき言いましたね。
でも、このくらいなら話しても構わないでしょう。
村で聞いた話で、私らよりもずっと昔に生きて帰った者の中には、7日間を山で過ごした人がいたそうです。
私は1日目に崖から落ちました。
いちばん早い脱落者です。
運良く命拾いして、そのまま山を降りました。故郷のことを隠して居場所を転々とするうちに、東都にたどり着いたというわけです。
実際、山行きの若者が生き延びる最も確実な方法は、早々に行方をくらまして他所の町に着くことだ……。
……本当はわざとじゃないのかって?
そう思われても仕方ない。じっさいそんな人もいたでしょう。
でも違います。私にはそうするわけにいかない理由がありました。
ジェイクとネリーです。
少なくともあの二人は、本当に砂金を見つけたかったんだ。ジェイクはエイラを自由の身する金が欲しかった。ネリーは、火の悪魔を生んだ女と呼ばれてきた母親を一人、村に置き去りにしたくなかった。
あの二人を支えたかった!
だが、崖の下で目覚めたとき……せっかく取り留めた命だ……広い世界に出たくてたまらなかったんだ!」
ロムさんの叫びが産声のように響く。
その顔が眩しくみえたのは、傾きかけた太陽だけのせいではないだろう。
「二人ともそれぞれ元気にやっていると分かった……それはとても嬉しいです。約束も果たしましょう。けれど……今更どの面下げて会えばいいのか……」
「いいんです、ロムさん! ジェイクさんだって、貴方が元気でいるのを嬉しく思うに決まっています!」
僕は柄にもなく、ロムさんと泣いた。
貸したハンカチで涙を拭う。
しかし、山へ行ったのはもう1人いたような……いや、それより早く気分よく仕事に戻ってもらおう。
「では、もう少しだけ愚痴らせてください。私は故郷を忘れて暮らしてきたし、向こうにも忘れられているくらいで丁度良いと思っていたのに、所長がネリーの自伝を読んだのがきっかけで、今回の命令が下されました。
じつは……魔人狩り更生施設を馘になるところだったんです。先日、脱走者を出した責任を問われてね。
もう一度チャンスをくれる条件に、所長直々に与えられた仕事がこれでした」
……ごめんなさい、それは僕の会いたい人のせいです。
(続く)
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