第9話 暑さの午後
大きな見えない手で地面に置かれるような……転送先に着いた瞬間の、毎度の感覚。
自分の身体の重みを感じる。動ける。
ちゃんと着いた。
ただこれだけのことが有難い。
いや、有難がっている場合ではない。
ロムさんはどこへ逃げた!?
やけに明るい場所に着いた。
潮の匂い。ざわめくのは波の音か。
ここは「時の泉」が一つだけある部屋で、壁はレンガ造りだ。
その壁や天井が崩れているせいで日光が直にジリジリ差し込むし、ロムさんは部屋の中にいない。
不死者だからといって陽を浴びてすぐ弱りしはないが、避けるに越したことはない。
だが、探さなくては。
レンガの隙間から見えるのはローラと見たいような夏空。……彼女といれば魔力供給に困らないので日差しを浴びても大丈夫だが、もっと情緒的な意味だ。
しかし、空の青さがいまは僕を嘲笑っているみたいだ。
部屋から出ると、遠くに砂浜と海、そして水平線に島影が見えた。内陸側を見ると、人里もあるようだ。
木の上で作業している人たちがいる。取り付けられていた大きな看板のような物にロープをかけて下ろすところだ。
看板に絵が描かれていた。一組の若い男女。女は銀髪で青い目。結婚を祝う文。もしかしてリデル姫とお相手か。
異母姉のローラと僕のせいで破談になった……。仲の良かった兄のラケルが一緒でなくて良かったのかもしれない。
ガサッ、と近くで音がした。行ってみると南国らしい甘い香り漂う果実の木。呆れたことにロムさんが登っていた。あの太鼓腹でよくも。
「おお、来ましたか。一緒に食べましょう」
ロムさんの片手に、楕円形の果実が収まっている。
「受け取ってくださーい」
僕が返事する間もなく、こちらにむかって赤と黄色の混じった実が空中に弧を描く。
「ふあッ?!」
反射的に両手を伸ばしたが片目だし眩しいし、指先で弾きそうになったのをどうにか腕の中に収めた。
だから! こういうのはローラと二人がいいのに、なんでこんなおじさんと!
「これで機嫌をとったつもりですか!」
ガッ、と木の幹を蹴飛ばすと思ったより揺れて、樹上の男が「うおーわー」と喚いた。
僕は少し後悔した。ロムさんが降りてくるのを遅らせてしまったからだ。崩れた壁の中の日陰に移動して待つ。
果物の表面は柔らかい。たやすく皮をナイフで剥いて食べられそうだが、借りを作りたくないので手をつけない。
木から降りたロムさんが隣に来た。
「大きな迷惑をかけてしまいましたが……、西都に着く前に、せめて貴方に聞いてほしい事があるのです。どうぞ食べながら」
ロムさんは服の中にしまっていた果物とナイフを取り出し、皮をむきはじめた。芳香が食欲を誘う……。このままではやっぱり借りができる流れになってしまう。
その前にこう言わなくては気が済まない。
「ラケルやシンディとはぐれてまで、ですか? 竜殺しに顔がきくのは貴方しかいないんですよ!」
ロムさんは手近な瓦礫の平らなところに、果物の皮を並べてゆく。それを皿の代わりにして黄色い果肉をのせる。
「西都にいれば、あの二人に少なくとも命の危険はないでしょう。話し合いと契約を重んじる商人の街ですから、治安は悪くない」
それは敢えて別行動した理由の説明になっていない。はぐらかされた。
「信用第一ってわけですね」
これはロムさんへの皮肉だ。
「いつかバレてしまうことですが……ジェイクの友達だと、貴方がたに思われたままでいるのが辛かったのです。私の気持ちなど一時脇へ置けばいいと思っていたはずが……旅の進み具合が前倒しになるうちに、耐えきれなくなった……」
気づくと、果物のまだ切っていないぶんを置いてロムさんの手が止まっている。
この人が何を言いたいのかよく分からないが、とにかくまた逃げられるような事態があってはならない。もっと遠くへ行かれたら、炎天下を探し回るのはムリだ。
僕は、いただきます、と小声で言って一切れ口に入れた。
甘く溶けるような感覚。ローラと食べたかった。でもいまはロムさんにかける言葉を考えなくては。
そして余計に喉が渇いたので水筒の水を飲んだ。
「ロムさんの気持ちについて考えが足りなかったこと、申し訳なく思います。幼馴染のことを儲け話につなげようとする僕たちが鬱陶しかったでしょう」
ロムさんの目元と口元が苦しげに歪む。
「そうじゃない……そうじゃないんだ。儲け話のために変わってしまうのを怖れるほどの友情なんて、もとからなかったんだ。
だってそうでしょう。ジェイクは竜を倒した。ネリーは西都で慈善活動をして自伝も売れている。私には何もない……」
そういうこともあるだろう。賭博場では金を減らす人のほうが多いのと同じくらい、ありふれた話だ。
賭けてみると言ったじゃないか、とか、そう決めつけなくてもいいのでは……とか、言えなかった。
相手がロムさんをどう思っているか、考えても分からない。それに本人が勇気を持てなければ、僕が何を言おうと意味はない。
ところで、いま気づいたのだが。
「ネリーってまさか、あの『熾火のネリー』ですか!? 言ってくだされば良かったのに。じゃあ、あの本に出てきたロムって……ジェイクも……。いや、でも、本には村の名前も書いていなかったのに!」
僕の驚きに、ロムさんは何を今さらという顔で答えた。
「熾火のネリーも竜殺しのジェイクも、白竜山の麓のタロン村に生まれた私と同い年の幼友達でしたよ。ネリーの自伝を読んだなら知ってるものだと……私は読んでいませんがね」
「何故そう思ったんです?!」
「あの本を資料室の机に置きっぱなしにしたでしょう。新入りのきみが一番やりそうな事です。あの本は、サリアとシンディがお金を出し合って買ったものです。勧められて読んだものの、どこに戻せばいいのか分からなくなったんでしょう」
その通りだった……。でもそれなら話は早い。
「ネリーの自伝のなかの貴方は良き友達でしたよ。辛い子供時代の場面に、貴方が登場すると心が暖まるようでした。ネリーは貴方に深く感謝しているはずです。ジェイクもきっと、再会を喜んでくれますよ」
「果たしてそうでしょうか。ネリーは詳細を省いたようですが……それも16の春で終わりです」
16歳の春に何が?
それを、旅の仲間みんなに話す気になれなくても、誰か一人くらいは聞いてほしくてこんなことをしたのだろうか?
「……お話を聞いた後は、ラケルたちと一緒にジェイクさんに会ってくれますか?」
ロムさんは深く頷いた。
「約束しましょう」
一体16歳の春に何が?
僕はまた黄色い果肉に手を伸ばした。
耳を澄ませて続きを待ちながら。
(続く)
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