第7話 無常の市へ 2

「……お前さんがた、本当に行きなさるか」

「ええ」

「もちろんです!」

 話を聞かせてもらい、その小さな家を後にするとき僕たちは口々に答えた。


 老人の生家はさっきの軽食店よりずっと静かなところにあった。

 繰言を2周半ほども聞かされて困ったが、そのぶん大きな収穫があった。

 トーカイチ行きの転送装置を有する『旅の坩堝』は少し歩いた村外れにある。

 そのトーカイチこと「十日市」はかつて『旅の坩堝』を中心に栄え、西都に通じる転送装置が確かに存在した!


「いろいろ話し込んでしもうたが、やっぱりやめたほうがええ。閉鎖されてからどれだけ荒れ果てたかもわからんのに……」


 爺さんはどうやら在りし日の十日市の話を誰かに聞いてほしかったのだ。

 気が済むと、たぶん村人に共通していたのだろう、村外れの『旅の坩堝』を再び使うのは無理がある……という見方に立ち帰ってしまった。


 彼の話によると、閉鎖のきっかけは病禍だが、転送装置じたいの安全性を疑う声はもっと以前からあった(それはまあそうだろう!)。

 何十年も昔の流行病が克服され忘れられてなお、多くの『旅の坩堝』が再開されないのは結局その疑問を解決しきれなかったからだ。いちど閉鎖されると儲けがなくなり管理が難しくなることも逆風となった。

 西部地方の端から西都まで、2回の転送で行けるような長距離のものは尚のこと……。

 やがて、より安全な現代式の転送装置が開発されるころには、このダスクガウの村も十日市もすっかり取り残されてしまった。

 それもさっき聞いた話だ。


「ロムさんのお知り合いのところの転送装置ってぇ、すごい物だったんですねぇ」

「あいつは装置の使用料のほかにも収入があるから……距離にたいして割安な装置のおかげでいろんな地域から素材やら道具やらが手に入る。旅の坩堝と工房とで相乗効果が生まれてるんです」

「そういうのもあるんですねぇ。帰ったらサリアちゃんにお話ししてみましょうっと」


 水路の脇の道に来た。僕たちは下流に向かって歩いている。老人は橋のたもとまで案内してくれた。

「この橋を渡って、もう少し下流にいくと、壁画のある建物がある。そこが旧式の『旅の坩堝』じゃ」

「わかった。ここまでありがとうな」

「お爺さんもぉ、気をつけて帰ってくださいね〜」


 橋の向こうは全く雰囲気が違う。陽を浴びてなお寂しげな廃村だ。

 村の衰退とともに、人の住むところが中心部へと狭まってきたのだろう。こんな光景を見たことがあるような気がする。

 老人に見送られ、僕たちは橋を渡った。


  *  *  *


 大雨にやられたのかもっと以前から荒れていたのか分からない畑。

 もはや泥棒も来そうにない空き家。

 崖と畑のきわで、作物の末裔なのか自生し始めたのか不明な植物の根を猪が掘り返している。

 僕たちはひっそりと通り過ぎた。


「あれじゃないか」

 ラケルが指差すほうを向いただけでは、伸びすぎた植込みの枝葉に隠れてよく見えない。近づくと建物の全貌が見えてきた。


 壁画のある建物とは、これだ。

 金貨の袋を担いだ貫禄ある商人。

 質素な身なりに杖と貝殻を持つ巡礼者。

 剣を携えた若き戦士と冒険の仲間たち。

 つまり、さまざまな旅人の絵姿。

 それらはすべて長年の風雨に晒されて色褪せているが、これが十日市に行ける「旅の坩堝」。


 入口を開くと、内部から埃のまうさまが日光に白く照らし出された。中は思ったほど暗くない。崩れかけた屋根や壁の隙間から光が差しこむからだ。


 向こうの部屋で光のかたまりが2つ、奥と手前に並んで床にぼんやりと渦を巻いている。まわりに崩れた天井らしき木材が散乱しているが、床を隠すほどではない。


「あれは『時の泉』……旧式の転送装置ですぅ! 初めて実物を見ましたぁ」

 ラケルと僕の間から部屋の中をみて、シンディは興奮気味に言った。

「扉も囲いもない、むきだしの魔力結界に飛び込めと? 分かっていても抵抗あるなあ」

 最年長で西部出身のロム氏がそう思うなら、ずいぶん古式ゆかしいものなのだろう。

「昔、これと同じようなもので避難した民衆がいたのか……」

 ラケルの言う意味がよく分からないが、北部の歴史上の話だろうか。

 

「皆さん若干引いてますねぇ。むしろ先走らなくて助かりますぅ。この装置はぁ、光の渦の明るさで状態を見定める必要があります。いまは少し光が弱いでぇす。つまりぃ、魔力を補給しないと使うことが出来ません」


 「若干引いてる」の部分は僕に当てはまらなかった。いつかのローラの結界も光に包まれていたし、今更アレが普通の転送装置より怖いとは思わない。

 どんどん行こう。ゆけゆけ有給休暇。

 すべてはローラと再会するため。

「行きましょう。予備の魔晶石なら沢山用意しました」

 女魔術師はニヤリと笑った。

「そう来なくっちゃ! どちらに補給するか、これで決めましょう〜」

「これ」のところで持参の水晶板を指して。


 僕たちは奥の部屋に踏み入る。

 何かが床から飛び上がった。

 蛇だ! 木片と似たような黒褐色の。

 物音に驚いたのか、誰かが踏んでしまったのか、殺気立って向かってくる。


 ラケルがとっさに前に出た。

「くっ!」

 そいつはラケルの腕に噛み付いた。僕は蛇の首あたりをつかみ、引き離す。こっちが巻き付かれそうになった瞬間、ラケルの剣が閃く。

 なおも牙を剥く蛇の上半身を僕はなるべく遠くへ放り投げた。続けて下半身。狙った訳ではないが、どちらも部屋の奥側の「時の泉」の中心に落ち、吸い込まれるように消えてしまった。


「助かったぜ」

「ラケルさん、傷の具合は?!」

 シンディは噛まれた本人以上に泣きそうな顔だ。

「掠り傷だが……たぶんアレ毒蛇だ」

 シンディが鞄から取り出した毒消しを飲ませた。

「ありがてえ。けど、効くまでにしばらくかかる。モロー 、吸い出せるか?」

「え……」

「気味悪いのはお互いさまだろ。消去法でお前しかいないんだ」


 護衛の対象であるロム氏やシンディにはさせられない。うっかり飲み込んだら厄介だ。その点、僕なら少なくとも死ぬことはない。


 僕はラケルの逞しい前腕の傷に口をつけるにあたり、彼はローラの異母弟でリデル様の片割れだと自分にいい聞かせた。黒髪と銀髪の美しい姉妹に励まされる想像をしようとした。

「モローさん、どうかお兄様を助けてくださいませ」

 リデル様の声が優勢なのは、ローラが異母弟をどう思っているか分からないからだ。


 口に流れ込む、汗と毒に混じった血の味に惹かれてしまう自分が憎い。

「ああ、私なら一瞬で解毒しましたのに。お兄様のお側にいられないのは貴方とお姉様のせいですわ! ……どう責任とってくれるんだろうなあ?」

 心の中のリデル様は途中でラケルに変わってしまった。

 本物は意外なほど大人しく傷口を吸わせている。血の塊を吐き捨て、心を無にしてまた口をつけた。

「美味しいかしら? あなた方を庇って蛇に噛まれた弟の血は?」

 ローラの声が頭の中で響いた。

 違う、ローラはそんなこと言わない……とも言い切れない。

 と思いながら二口目を吐き出す。これも狙ったわけではないが、手前の「時の泉」へ飛んでいった。


「痛みが治まってきた。おつかれ、この辺でいいだろう」

 僕はホッと一息ついて「時の泉」を振り返り、奇妙なことに気づいた。

「気のせいかもしれませんが、向こう側の『時の泉』は光が弱まり、こちら側のは強くなっていますね」


「よく気づいたな。魔力の増減じゃないか。向こうのは蛇の死骸を転送するのに魔力を消耗した。こっちのは、俺の血に含まれる魔力を吸収したんだろう」


 なら、魔晶石で足りなければ代わりにラケルの血を注げば良い。彼に限らず、強い魔力を持つ人の血を……。我ながらえげつない考えを、口に出すのはやめておいた。もちろん実際にそんなことをしたい訳ではない。


 両方の「時の泉」が水晶板を使って調べられた。

 蛇の死骸が落ちたほうは、何の反応もない。が機能していないことが考えられる。

 

 ラケルの血が落ちたほうでは、水晶板に地図が映しだされた。

 それは、支給された西部地方の地図には載っていない地形だ。

 十日市が『十日ごとに市の立つところ』なら、同じ地名があちこちにあってもおかしくない。

 ということは……。


「「その十日市は西部地方ではない?!」」


 思いがけず声が揃った。そして沈黙。

 目的地から大きく離れることが、みんな不安なのだ。でも、そこから西都へ一足飛びに行けるなら。


「僕、十日市の様子を見てみます。大丈夫そうなら皆で行きましょう」




(続く)

 

 







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