第5話 守るべき浮いてる彼女
浮遊感がおさまり、転移装置から出てみると、そこはこじんまりとした部屋。扉が一つだけある。部屋を出る前に地図を確認しているところ。
「地図を見てくださーい! ここが現在地。次の『旅の坩堝』はぁ、すぐそこです!」
シンディが機嫌よく朗報を告げた。水晶板と地図を並べて見せながら。
「ただ、少し高低差がありますね」
ロムさんがつけ加えた。
「ふうん、山の中なんだな。道理で蒸し暑くない」
ラケル氏は地図を僕の頭越しに見ている。
「外の様子を見てみます」
僕が告げると、ラケル氏に促されてもう二人も扉の陰になるところへ移動した。転移装置のある場所に管理が行き届いているとは限らない、というシンディの話を覚えているのだ。
扉を開け、辺りを見渡す。
ラケル氏の予想どおり山の中だ。
眼下は崖。崖の下に集落があり、人がまばらに行き来している。その村のどこかが次の目的地か。
あいにく下におりる道が見当たらない。獣道や崖下りでも構わないなら話は別だが、他の皆は僕のように不死身ではないのだ。
屋内に戻ろうとすると、素っ頓狂な声が背後から響いた。
「あらまあ、びっくりしたー!」
驚いたのはこっちだ。振り返ると山菜を山ほど積んだ籠があり、その下から声の主がこちらを見上げていた。地元の老女だ。
「もしかしておまえさん、東都から来たんじゃろ。下りる道はいま塞っとるんよ。このあいだ土砂崩れが起きての」
この老婆も転移装置を使いに来たそうだ。何ら怪しいところは見当たらないが、こう尋ねないでいられなかった。
「あなたはどうやってここへ?」
「山の上から来たんよ。こうなっては下の集落より東都のほうが近いでの」
指差すほうを見ると、ほとんど草木に隠れた上り坂がある。婆さんは肩を揺すって籠を背負いなおした。
「わしは穿月塔の道具屋にも薬草を卸しとる。下の村には無沙汰するが、山の中には道を直す人手もなかなか来んから仕様ない」
僕は薬草採りの婆さんと小屋に戻り、外の様子を一行に話した。
ふと思いついた。
「あの、シンディ、僕たちみんなを浮かせることは出来ます? それで崖下に降りられたらいいな」
「ああ……気づいちゃいましたぁ?」
シンディは困惑しながら、たまに魔法で体を浮かせていることを皆に打ち明けた。
「ただの靴擦れ対策だったのにぃ……」
僕はラケル氏に睨まれてしまった。
「お前なぁ、魔法ってのは見た目ほど楽じゃねぇんだよ。自分1人浮く能力があるからって全員浮かせるなんて……どれだけ負担が違うか考えて言えよ」
考えてみれば、皆の体重と荷物の重さを合わせたらシンディ5人分は下らないだろう。魔術にも通じているラケル氏がキレ気味に難色を示すのも道理だ。
そこに当のシンディが声を上げた。
「あ、でも、詠唱すればぁ……何とか」
魔術師のなかには、とくに使い慣れた魔法や小規模な術なら呪文を唱えなくとも発動できる人がいるそうだ。シンディの場合は空中浮遊術がそれなのだとか。
同じようなことを、呪文を詠唱すればもっと大規模にできる。この場合は、浮く力を増し、浮かせる人数を増やすことができる。
「落下速度をゆっくりにしてぇ、衝撃を和らげるんですぅ」
「ふうん、すげえな」
ラケル氏に感心されても今度は浮かれないシンディだった。
「けどぉ、低い所から高い所には昇れないんですよぉ。下に着いたところで、もしも旅の坩堝が壊れてたりして使えなかったら……お手上げですぅ」
「そうか……。じゃあ穿月塔に戻って、君の知っている1階の転移装置から出直すほうが良いのかな……」
僕もそう思う。
さっき地下3階で、帰りにツケを倍返しなどと発言したロムさんには気の毒だが、仕方ない。
「あんた方、魔法で下の集落に行くのかえ」
と、婆さんが言ったように聞こえた。この人は転移装置に入る前に、荷物の紐の緩みを直していたのでまだここにいた。
「それを今考えているところで」
答えたのはロムさんだ。西部の出身にくわえて年の功で、訛りの強い老人の話し方でも難なく聞き取れるらしい。
婆さんとロムさんの会話によると、山道が埋まったのは先日の大雨のせいだとか。
北部でもジュゼット家の狩猟小屋のすぐ際を崩した、あの雨だろう。
婆さんはそれ以来、実家の親戚がいる崖下の隣村へ行けずにいる。
「けど、下にある旅の坩堝はまめに手入れされているに違いないそうです。子供のころから村の人たちの大事な足でしたから」
「良かった!」
僕はそう言ってシンディとロムさんのほうを見た。
シンディは小さくガッツポーズして頷いた。
「私が皆さんを浮かせる案で!」
「しっかし、いまは不便な世の中よのう。わしの娘のころはトーカイチやら西都やらへ旅の坩堝が通じておって、親に内緒で遊びに行ったもんじゃ。お上が規制してからすっかり寂れてしまっての」
「規制される遊びとは……?」
婆さんの口調を聞き慣れてきた僕は、つい口を挟んだ。
「違う違う! 疫病が流行ったせいで、距離が制限されたんじゃよ。あの頃いちばん遠くへ行けた装置は、封鎖されちまった」
「へえ……」
「じゃあ、商売があるからの。ご免なすって」
婆さんは「料金箱」のラベルがついた箱に銀貨を数枚入れた。箱の横穴から魔晶石が出て来る。それを拾って装置の中に入り、扉を閉めた。
「さて、私たちも行きましょう!」
崖を見下す小屋の外に出ると、シンディが高らかに告げた。
「3つの注意事項でぇす!
1つ、私の魔力が届くように、皆さんで手を繋いだりして、私のごく近くに纏まっていることぉ!
2つ、無言とは言いませんが、なるべく静かに、怖くなっても騒がないこと! 私の集中力が途切れたら危険です。
3つ……浮遊術は空を飛ぶ術ではありません! 跳び下りる途中で方向を変えたり止めたりはほぼ不可能です」
そして一同を見回した。
「みなさん、大丈夫ですかぁ? ひとつでも納得いただけない点があるなら、東都から出直します」
ふと見るとロム氏の顔が青ざめている。シンディも気づいた。
「もしかしてぇ……高い所苦手です?」
「そ、そんなことは、ないですよ。でも大丈夫なんですか。私みたいな重いのがいて」
「重さだけならなんとか致しますがぁ……誰かが無理をしていてはぁ、私も安心して浮遊術に集中できません。穿月塔のお知り合いに、もう一回分ツケてもらいましょうか」
ロムさんは覚悟を決めたような顔をした。
「……いや、本当に大丈夫です。頼みますよ、シンディ」
下に着くまで誰もシンディから離れないこと、というルールのため、男3人が手を繋いで小さい輪になりシンディを囲む。
「呪文を唱え終わったらぁ、私はロムさんの背負い袋に掴まります」
重さのバランスを取るのだ。そのためロムさんだけシンディを背にして輪の外を向く。
背負い袋の紐を固く結び、手を繋ぎなおした。
「なるべく静かに、バランスを保つことに集中してください。絶っっ対に下に着くまで手を離さないで!」
シンディは呪文を唱え始めた。
「大地の見えざる鎖よ……」
初めのところはそう聞こえたが、いつの間にか全く知らない言語になっていた。
シンディの声が止むと、僕の足元から地面の感触が消えた。
「おっと」
ロムさんがよろけて体勢を立て直した。
面目なさそうにもう3人に軽く頭を下げる。
「皆さぁん、ちゃんと浮けてますねぇ? では、もう少し端に移動して……」
僕たちは皆、地面から少し浮きながら歩いて崖の際に寄った。地面の感覚がないのに足を動かしたほうへ進む。不思議な気分だ。
それを確かめて、シンディは告げた。
「……ここから跳びます! せーのっ!」
「とうっ!」とか「ふんぬっ!」とかそれぞれ気合いを入れて跳ぶ。
ガサッ、と木の枝に脛を叩かれた。バランスを崩したのは僕だった!
この中でラケル氏に次ぐ身体能力を自負しているが、女魔術師と平凡なオジサンの渾身のジャンプを見くびっていた。
「うう……」
手だけは離さず、なんとか立て直そうとする。一行は僕を引きずりながら着実に崖下へ向かっている。シンディの集中力は大したものだ。
藪に全身を撫でられ続けて痛い。
たまに頬を引っ掻かれる。
ローラに見せられない無様な姿。
眼帯が取れて右眼のあったところを見られるのだけはイヤだな。生きている人間と変わらぬ血色を保っていればまだ良いが、そうでなかったら……。
「楽しいな、これ!」
ラケルのバカヤロー! 何が楽しいだ! 静かにしてろ!
「本当だ。モローくんも見てごらん。見晴らしが良い!」
おっさんまで何だよ! あんなにびびっていたくせに!
ふっ、と身体が軽くなった。
体に当たる枝葉の感触からも解放された。
目を開けると本当に見晴らしが良い。
広い空。
のどかな村。
日に照らされた家々の屋根。
ふと下を見ると。
真下の小屋から人がぞろぞろ出てくる。
二階建てといえど狭さに見合わぬ人数だ。
旅の坩堝はそこか?
転移して来たのか?
「どいてくださーい!」
僕が叫ぶと屋外にいる人たちはサッと離れたが、出口の人の流れが途切れない。
このままでは下の人と衝突しそうだ。方向転換はほぼ無理と言われたばかりだが……。
「シンディ、その人混みを避けられる?」
「なんとか! でも屋根の上しかないよぅ」
シンディは、やってくれた。
僕たちは緩やかな傾斜のついた屋根に足が届くや、繋いだ手を離して転がるように両手両足をつく。
しかし最大の功労者たる彼女は、バランスを崩して屋根の端まで転がり……咄嗟にラケル氏の差し伸べた手に掴まって、宙ぶらりんになった!
這いつくばったラケル氏の金髪も一房、屋根から垂れ下がっている。
僕は屋根から飛び降り、下から声を掛けた。
「シンディ! 僕が受け止めるから!」
やがて、
「頼むぞ!」
とラケル氏の声。
シンディが手を離した。
ふわり。
意外なほど軽やかに柔らかく、亜麻色の髪を揺らして彼女は僕の両腕に舞い降りた。
おお、と観衆がどよめき拍手が起こる。
「ありがと」
シンディはつぶやいて着地した。
背負い袋からとんがり帽子を取り出して被る。
「おーいモロー 、もう一人いけるか?」
ラケル氏が言うのはロムさんのことだ。自力で飛び降られないほう。
「魔法使いの嬢ちゃん、デブ親父を軽くする魔法はないかい?」
シンディは声の主を苛立たしげに一瞥した。その野次馬に、お前の腑を軽くしてやろうかと言わんばかりだ。
べつの人が建物の脇を指差して屋根の上の二人に知らせてくれた。
「心配ないよー。そっちに梯子がある」
「あれか。恩に着る!」
長身の若者が小太りの中年を支えて注意深く梯子のほうへ進んでいく。
「なんでこんなに混んでるんだ! いつ出発できるか分かりゃしない」
冒険者らしき若者が嘆く。
シャベルを担いだ男が答えた。
「俺たちは土砂に埋まった道を片付けに来たんだ。ちったあ有難く思いな! お前らこそ何しに来たんだ」
「知らないのか。白竜……」
「ペラペラ言わない! 情報が広まるとライバルが増えるんだから」
仲間に遮られて聞けなかったが、彼らも竜の素材を求めているらしい。
あんな連中が、いや、もっと強いやつもあちこちにいて同じものを狙っている。それも、竜の身体は切り分けられるが、目玉は一対しかないのだ。
僕たちはその小屋の正面で合流した。
壁に地図が描いてあり、鮮やかな飾り文字でいくつかの地名が記されている。これらの地域に通じる転送装置がそれぞれあるということだろう。
いちばん大きな字で「ダスクガウ」と書いてあるのがこの村の名前。
ロムさんに見せてもらった地図の一部分と同じだ。西部地方に来たんだ!
「疲れましたぁ〜! あとで美味しいもの食べましょうよ〜」
いちばん活躍したシンディと、どうやら他の皆も同じ気分だった。
(続く)
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