第35話
あれから3日。
あの日以来私と蓮は距離を置くようになった。
私は朝、飯縄神社にも行かなくなり、オカルト部にも顔を出さなくなった。
蓮は蓮でクラスメートやオカルト部のみんなとの交流を深めていっていている。蓮は毎日『笑顔』で過ごしている。
快楽殺人者である私なんかもう必要ないだろう。
それに、もはや私は限界だった。
だから、私はとある場所の前に来ていた。
私と蓮が始めて出会った場所に。
私の最後の場所にここが最もふさわしいだろう。
「わりぃな。嬢ちゃん。ボスの指示なんだわ」
「え?」
突如闇から姿を表した男たちの手によって捕まれ、鼻になにか布のようなものを押し付けられる。
私は何もわからないまますぐに意識を手放した。
■■■■■
「う、うーん。こ、ここは?」
私は意識を取り戻し、あたりを見渡す。
周りの様子から見てここはおそらくビルの屋上だろう。
ヒューヒュー吹きつける夜の風が容赦なく私の体から体温を奪っていく。
空では月が輝き、地上でも街の光が輝いていて、私の目にはとても眩しく映った。
「あ、起きた?」
ビルの屋上に設置されたフェンスが壊れ、フェンスが張られていないビルの屋上の端に座っていた男の子、蓮が私の方に振り返ってくる。
私の中の渇きが疼きだし、本能が叫ぶ。
殺せと。
「う、うん」
内心を押し殺し、なんとか答える。
「ふふふ、ようやく話せたね?」
蓮が嬉しそうに笑う。
『心の底からの笑顔』が月の光に照らせれ、私の目に美しく映る。
私はしばらくの間蓮の笑顔に魅了され、渇きを忘れることができた。
「君と会ったあの日、僕はここから飛び降りたんだ」
姿勢をもとに戻し、私の方に背を向けた蓮が一人話し始める。
「そこで君と出会った。君のおかげですべてが変わった。変わることができた。前を向けた」
蓮の独白は続く。
私のおかげなんかじゃ……。
「ねぇ、君は何か変われた?」
蓮はまた私の方に振り返り、笑いかける。
「私は……私は……」
私は、何も変われてない。ただ眺めていただけだ。変わりゆく彼を。何もせず、ただ眺めていただけだ。
ずっと後ろを向いている。
私は……!
「あはは。ねぇ、無責任だと思わない?前を向けって。なんで、僕たちがくだらない、実に単調でつまらない大人たちの道を前として向かないといけないのか。なんで、僕たちの前を大人に決められないといけないのか」
「ははは、何子供みたいなこと言っているのかしら?もう何歳になるのよ?あなたは世界で最も年をとっているの人間なのよ」
私は蓮の言葉に苦笑で返す。蓮の言葉から逃げるように。
そうでもしないと、私は……。
「……僕は、子供だよ。理解できない、大人を。あの日から、初めて死んだ日からなんにも変わっちゃいない。人は簡単には変われない」
蓮はまた、私に背を向ける。
「僕にとっての前はこっちだ」
人の命など容易く飲み込む闇を見ながら、こっちこそが前なのだと。
そう、話す。
「僕はもうすでに死んでいるんだよ。死ぬことを望んでいる」
蓮は今どんな顔をしているんだろうか。私にはわからない。
ただ、笑ってはないだろう。
「明けない夜はない。でも、僕にはずっと同じ夜に見える。無限に繰り返される。ちっとも明けてないじゃないか」
明けない夜はない。
確かにそうだ。必ず明ける。
でも、もしかしたら明けていないかも知れない。
夜が明けるよりも早く時が朝まで戻り、また同じ夜が来るかも知れない。
「……私は夜を見る資格すらないよ」
だけど、上を見上げることも、前を向くことも許さない私には夜なんて、どうでもいいことだ。どうせ真っ暗だ。
「許されない、か。弱きを助ける。よく聞くけど、本当に彼らは弱いのだろうか。彼らは大衆に同情を向けられる強者ではなかろうか。本当の弱者は一人では何もできない、だけど誰からも認められず、誰からも許されない僕たちじゃなかろうか。……本当に弱きを助けるというのなら、僕たちを助けてほしいものだのね」
蓮が弱者。
やろうと思えば世界を相手取れる蓮が弱いか。
……だとしたら私は一体何なんなのだ。
「……現実主義者なんじゃなかったかしら?それに、君はもう……」
いいや。何を考えているのだろうか。
私なんかが誰かから助けてもらえるはずがないじゃないか。
だって私は生まれちゃいけない子なのだから。死んで然るべき存在なのだから
でも、蓮は……。
蓮は違う。
蓮はもう普通の男なのだ。
「ふふふ、そうだね……」
蓮は楽しそうに笑う。
その後、蓮は黙り沈黙がこの場を支配する。
「……人はそんな簡単に変われないよ。ダメな奴はずっとだめなまんまだし、できるやつはできるんだよ」
蓮は沈黙の後、そう答える。
そして再び私達の間に沈黙が降りる。
「飢え、満たせてる?」
沈黙を破ったのは蓮だった。
「……満たせてない。これっぽちも」
私ははっきりと答える。全然足りない。いくら動物を殺そうと、すでに人を殺す味を覚えてしまった私は動物ごときじゃ満たされなくなってしまったのだ。
「ねぇ。殺していいよ、僕のこと」
「は、はぁ?何言ってんの!もう、生き返られないんだよ!」
「だから?それが普通でしょ?僕は。死んだだよ。とっくの昔に」
私は何も言えない。
言えるはずもなかった。
殺す側である私が蓮の気持ちを理解してあげることができない。
「僕はすでに死んでいるんだよ。僕は死ぬことをどうしようもないほどに切望しているんだよ。玲香がどうしようもないほどに人を殺すことを切望しているように。所詮世間に受け入れられない考えを持った人間は永遠に自分を押し殺して生きるか、死ぬしかない。死ぬしかないのだ」
「押し殺して、生きる」
それができれば……。
私はきっと。
こんなことにはなっていなかっただろう。
しばらくの間、沈黙が続く。
「……ねぇ、死んだら変われるのかな。どうしようもない自分から。生きるのを、拒む。そんなつまらない自分から。普通じゃない自分から、普通の誰からも愛される自分に」
………。
…………。
「……変われるはずがない、わ。変われるわけがないのよ」
長い長い沈黙の末、ようやく私はたったそれだけの言葉をひねり出す。
所詮バカは死んでも治らない。
たかが死んだくらいで罪がなくなり、あっさりと自分が変われるわけがないではないか。
「そっか」
「でも、願うことはできるはずよ。死んで次があるのなら、もしやり直せるのなら。普通の幸せな人生を……。私にすがれるものはもうそれしかないじゃない」
でも、死以外にすがれるものがないのだ。
もう私には死くらいから残っていないのだ。
閻魔様に許してもらって、変えてもらうことを願う以外が何ができるというのだ。
こんな私に。
ねぇ神様。
願うくらいは人でなしの私でも許してくれるよね。
「……そうだね。じゃあ、僕は願うことにするよ。次の人生に」
「お願い、僕を殺して」
蓮が懐から隠し持っていたナイフを私の足元まで滑らす。
私はそれをゆっくりと掴み、そしてーーー
「ありがと。玲香でよかった」
「また来世でも会いましょう」
この世界の片隅で二輪の真っ赤な華が咲いた。
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