第26話
そして、
私の体を悪寒が走る。
《薄汚い身で神たる余に歯向かう心意気は認めよう。しかし、神に対する信仰が足りぬ。経緯が足りぬ。恐れが足りぬ。余へ牙をむいたこと。せいぜい後悔するがよい!》
耳に入ってくる蓮の声を認識することができない。
体が、本能が、蓮という存在の認識を拒む。
蓮の声は認識できず、蓮の姿を見まいと体が意思に反して動き蓮から目をそらしてしまう。
認識できない。
視認できない。
理解できない。
本能が危険だと叫ぶ。
それは私だけではないようで、他のみんなも同様に蓮を見ることがないように下を向いている。
あぁ。
だが、それではだめだ。
私だけはだめなのだ。
汚れきった私を受け入れてくれるのは蓮しかいない。
私には蓮しかいないのだ。
私が蓮から逃げるなどありえない。
震える体を、危険を叫ぶ本能を、意思の力でねじ伏せ、ゆっくりと顔を上げる。
その瞬間、私の体に電流が走った。
目が、意思が、本能が、私のすべてを蓮に奪われる。
私の目に写った蓮は、
美しかった。
きれいだった。
かっこよかった。
神々しかった。
見るも恐れ多い。
そう私に意識させた。
だが、もう蓮から目を離すことはできない。
すでにどうしようもないほどに私という存在が蓮に魅了されてしまったのだ。
蓮はアメジストの炎を纏い、自身に群がる小蝿を焼き払っていた。
小蝿たちはアメジストの炎に近づくだけで燃え尽き、蓮の方に近寄ることができない。
「っ!」
一瞬後ろを振り返った蓮と私の目と目があう。
今まで私が見たどんなものよりも、いや。比べることすらおこがましいほどきれいに美しく光り輝く蓮のアメジストの瞳が驚愕の色を浮かべる。
蓮の目を見た瞬間、再び雷に打たれたかのような激しい衝撃に襲われる。
私は感極まり涙すら流した。
だが、すぐさま視線を私から世界の割れ目に戻す。
《開け》
世界の割れ目が蓮の一言で崩壊する。
世界の割れ目が崩壊し、漆黒だけがそこに残った。
そして、漆黒を押しのけて一匹の巨大な蝿が姿を見せる。
その巨大な蝿は人ほどの大きさを誇り、見るものすべてに悍ましさを植え付けさせる。
《ふむ。やはりか》
あれはベルゼブブだろうか。
いや、違うわ。
なぜかはわからないが私ははっきりと違うと断言することができた。
あれはベルゼブブなんかではないわ。
本能がそう教えてくれた。
《……せっかくだ。お前も起きろ》
蓮の影が急激に伸びる。
そして、影が蠢き一匹の巨大な化け物が姿を現す。
髑髏が飾られた羽を持ち、頭に黄金の冠が輝く巨大な青蠅の姿。
いくつもある手のうちの一本が髑髏の杖を握っている。
その姿は蝿の王というにふさわしかった。
あぁ。あれだ。あれこそがベルゼブブだ。
あれが王。
あれが『気高き王』『高き館の主』。
我らが神。
嵐と慈悲の神!
「お久しぶりでございます。我が王」
ベルゼブブはしゃがれた声で蓮に恭しく頭を下げる。
「どうやら我の落とし物が迷惑をかけたようで申し訳ありません」
《気にするな。それよりいいから早うあれを倒せ》
「御意に」
巨大な蝿が漆黒を纏いて、蓮たちの方に突っ込んでいく。
だが、漆黒は更に巨大な漆黒に飲み込まれる。
「小さいな。いや、落とし物にしてはかなりの大きさと量か。よく頑張ったと褒めたほうが良いかもしれぬな」
ベルゼブブが召喚した巨大な漆黒、深き深淵が、ベルゼブブの群れが、巨大な蝿の群れを蝕む。
巨大な蝿の群れは一瞬でベルゼブブの群れに敗北する。
巨大な蝿の群れはベルゼブブの群れに呆気なくすべて喰われてしまったのだ。
そして、そのまま巨大な蝿にベルゼブブの群れが襲いかかる。
「縺ゅ?∫李縺?≠縺√?繧捺ー玲戟縺。縺?>繧ゅ▲縺ィ縺峨?」
巨大な蝿は人間には決して理解できない叫び声を上げる。
それは怒りの声か。
それとも悲痛の叫びか。
巨大な蝿の腕に、足に、腹に、頭に、その体全てに蝿が群がり肉を貪り喰らう。
「縺?>?√>縺?o?∵怙鬮倥h縺会シ∵ー玲戟縺。縺?>?√?縺√?縺√b縺」縺ィ繧ゅ▲縺ィ?√b縺」縺ィ蛻コ豼?繧抵シ」
あとには何も残らない。
何も残さない。
巨大な漆黒は、深き深淵は、ベルゼブブの群れはすべてを喰らい、すべてを無へと還す。
ベルゼブブの群れは霧散し、その場に蓮と蝿の王だけが残される。
「はぁー」
蓮のため息とともに蓮の何かが変化したことを感じる。
それと同時に私の体を支配していた多幸感も収まっていた。
だが、私は二度と忘れることはできないだろう。
あの衝撃を。あの歓喜を。あのすべてを。
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