有村蛍の恋と顛末⑤
「あ、すみません暑かったですよね」
エアコンをつけると素早く冷涼な風が吹く。つくづく科学文明には敬服だ。肺の隅まで温い空気を詰めて、ゆっくりと吐き出す。
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません、その、お宅までわざわざ……」
皆原先生は少し落ち着いたのか、ベットに座るような体制になっていたが、背は重たげに壁に寄りかかり、声にはいつものような明瞭さがなかった。僕らの仲じゃないですか、と冗談交じりにペットボトルを差し出すと、また例の嘲笑じみた笑顔が帰ってくる。顔色が悪い分いつもより一層ひどくて、僕はついつい愛おしいような哀しいような気分になるのだ。
「それにしても、よくここまで私を運べましたね……」
ペットボトルから口を離して皆原先生がそっとつぶやく。なんとなく濡れた唇からはそっと目をそらした。
「中学校から大学まで剣道部だったので、今でもジョギングとかしてますし」
「結構鍛えてますよね。死体を埋めるのにも苦労しなさそうだ」
皆原先生は少しというか結構、冗談の趣味が悪い。
僕は真面目な皆原先生がこうした死臭の漂ってきそうな趣味の悪い冗談を、いかにも悪そうな薄笑いで投げて来るのが好きだった。ギャップというか、気安い仲だと思ってくれてるんだな、とか、冗談のセンスが斜め上なのが皆原先生らしくて可愛いなと思っていた。
「僕はそんな、後ろ暗いことなんてしませんよ。皆原先生はどうなのかはわかりませんけどね」
とっさに零れた切実な問いをけむに巻くように肩をすくめると、皆原先生が眉を顰める。
「気分が悪い」
「えっ大丈夫……」
僕がとっさにごみ袋を差し出そうとするのを押さえつけるように、皆原先生がのそりと立ち上がって鋭く僕を見下す。その眼光の奥にある明らかな苛立ちの色に僕は膝をついた姿勢のまま呆然とするほかなかった。
「……有村、蛍」
「なん、ですか、急にフルネームで……」
頼りなくふらつきながら力のこもらない声で僕の名を呼ぶ皆原先生に、なんとも言えない気迫のような、ここからすべてが崩れ落ちて行ってしまう予兆のようなものを感じて、僕はとにかく軌道をそらしたくて道化のごとくへらりと皆原先生に笑いかける。
しかし、皆原先生はそれすらも不愉快だと言わんばかりに一層苛立ちを露わにして踏みつけるように重々しく衝動的に言葉を連ねていく。まるで石が坂道を転げ落ちていくように、事態が悪化していくのに僕はただ打ちひしがれるばかりだった。
「……本性を隠しているのはお前の方だ。腹の底でおぞましいものを飼っているくせに、いつも、いつも、いつもすました顔で、平気で日の当たるところでのさばっているのを誰もが見逃してくれるとでも? はっお気楽なことだな」
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