第86話 最後の一年①

 ぴしゃりっ……と場を打つように低い声が響き、蒼い顔をしていた護衛兵たちがハッと顔を上げる。

「どうした。上官命令が聞けないか。――謀反の意向ありとみなして、解雇と共に家族諸共路頭に迷わせてほしいか?」

 有無を言わせぬ威圧的な声音に、ごくりっ……と護衛兵たちは生唾を飲み込み、恐る恐る剣を納める。

 皇族の護衛兵を務めるほどの腕利きとあれば、全員が何かしらの魔法属性を有しているだろう。上官の命令で剣を納めても警戒だけは緩めず、何があっても魔法で対応できるよう、厳しい顔でロロを見つめた。

 命令を下した男――第六皇子ゴーティスは、苦い顔で椅子の上からロロとミレニアを見下ろした。

「お前も、剣を納めないか。上官命令と言っただろう」

「今は、軍の任に就いていません。今の俺は、正真正銘姫の専属護衛兵――貴方の命令を聞く義務はありません」

 他の護衛兵たちが剣を納めても一向に納剣する気配のないロロは、気の弱い者なら聞くだけで震えあがるであろうゴーティスの威厳ある言葉にも一切怯むことなく、睨み返すようにして見返した。

 フン……と面白くなさそうに鼻を鳴らした後、トン、トン、とこめかみを叩きながら、ゴーティスはゆっくりと口を開く。

「お前は、戦場ではそれなりに賢く動くわりに、こういう場面では頭の巡りが悪いと見える。……今、ここで実力行使でミレニアを連れ出したとして、どうする?」

「…………」

「皇帝どころか、ここにいる皇位継承権を持つ皇族たちと属国の代表者まで、一人残らず皆殺しにした、過去に類を見ない重罪人になるだけだ。歴史に残るとんだテロリストの誕生だな。当然、今ここにいない皇族は、全力でお前を血の果てまで追いかけ、一族の恨みを晴らそうとするだろう。――俺が率いていた軍隊を動かすことすら、たやすい」

 やや含みのある言い方をするのは、ここにザナドがいないことを暗に示しているのだろう。ロロがこの場を逃れたところで、ザナドが生きている以上、元帥として軍を指揮することはたやすい。元々、非情に優秀で頭が切れるザナドだ。そこに、双子の片割れを殺された恨みが付随すれば、冷酷無比な復讐の鬼となるのは想像に難くなかった。

「お前も、ミレニアも、この国では酷く目立つ外見をしている。――その、奴隷の証が刻まれた頬で、禍々しい血の色をした瞳で、いったいどこへ逃げるつもりだ?異民族の血を象徴する、白い肌と翠の瞳を持った女を連れて」

「――――……」

「何とか皇城を抜け出せたとしても、帝都を抜けることは不可能だろう。事前に根回しをしていたならともかく、この突発的な行動で、お前に協力してくれる者がどれだけいる?どう考えても、国家最大の凶悪犯罪を犯した男だぞ。それを匿い、助けるなどという馬鹿はいない」

「…………」

「お前が、至上の主だと言ったその女を、壮絶な逃亡劇に巻き込み、二度と表の世界を歩けぬ日陰者にするつもりか?言っておくが、そいつに運動の才能は皆無だ。軍人に見つかった瞬間に捕まるだろう。……まして、腐っても皇城で蝶よ花よと育てられてきた女だ。食べ物一つ、飲み水一つ確保するのに苦労するような逃亡生活に、耐えられるとは思えんがな」

 淡々と重ねられるゴーティスの正論に、ぐっ……とロロの頬が苦く歪む。

「だが――だが、それでは、姫を大人しく<贄>として死地に送り込めと、魔物の餌にしろと、そうおっしゃるつもりですか――!?」

 ギリリと奥歯を噛みしめて反論するロロに、ゴーティスは小さく嘆息してから口を開いた。

「……正直、俺も、よくわからん。俺も事前に水鏡を確認したが、仕掛けらしいものは何も見つからなかった。仕掛けがないなら、光りはしないだろうと思っていたが、実際は光ったわけだ。陛下も、そこの胡散臭い狐男も、こんな訳の分からん儀式の結果に国防を任せようなどと、正気の沙汰とは思えんが――まぁ、結果が出ている以上、仕方がない。ミレニアを魔物に食わせる。それは、既に決定事項だ」

「ですがっ――!」

「落ち着け。先ほどの、そこの男の言葉を思い出せ。――ミレニアが東に送られるのは、あと一年後だ」

「――――……」

 くい、と顎で示された先は、クルサール。

 ロロは、怪訝な顔でゴーティスを見返した。

「今は、この前送った<贄>の効力があるおかげで、魔物の侵攻はない。効果が切れたとわかり、ミレニアが東に送られるのは、再び帝都が魔物の侵攻に侵されたとき――そうだったな?」

「はい」

 クルサールは、仮面をつけたままこくり、としっかり頷く。

 フッ……とゴーティスは鼻で嗤うと、ロロを見下ろして言葉を続ける。

「その言葉が本当なら――あと一年。それが、お前に与えられた最後の時間だ」

「何……?」

「――軍属になれ。そうすれば、お前が心酔するミレニアを助けることが出来る」

「!」

 ロロの瞳が大きく見開かれる。頼りなさげにマントを掴んでいたミレニアも、ハッと背後で息を飲んだのが分かった。

「軍属になり、東の森の魔物をせん滅しろ。少なくとも、半年前の大規模侵攻を指揮したと思しき上級の魔物を討伐出来れば、通常の防衛部隊を配備するだけで、帝都はしばらく安泰だ。――帝都に再び魔物が入って来なければ、ミレニアが東に送られることはない」

「――!」

「構わんだろう。どうせ、放っておけば一年後には死ぬ女だ。紅玉宮に放置しておいても、その命を狙うような酔狂な奴はいない。むしろ、皇帝に歯向かえばどうなるか、を貴族や群衆に見せつけるためには、生かしておく方が何百倍も効果的だ」

 ふっ、と嘲笑に近い笑みを浮かべてカルディアス公爵を見る。狐顔の男は、その視線を無言で受け流したが、小さな笑みが口元に彩られていたことを思えば、ゴーティスの予想は当たっていると言うことだろう。

「ミレニアに危険は及ばない。ならば、お前は心置きなく軍の任務に参加できるはずだ。一年で東の魔物を殲滅することを思えば、余計なことをしている暇はないだろう。……お前の身柄は第六皇子ゴーティスが預かる。以前提示した条件は、全てそのまま適応してやろう。高い給金も、特別な階級も、戸籍も、自由も、何もかもを手に出来る。その代わり――誇り高きイラグエナム帝国軍に命を捧げ、身命を賭して国家を守れ。それが、結果として、ミレニアを救うことにもつながる」

 紅の瞳が、大きく揺れた。そのまま、小さくうつむき、唇を嚙む。

 それは、確かに、残された唯一の方法に思えた。

(姫を失うことだけは、出来ない――)

 ならば、ゴーティスの言うことを受け入れるべきなのだろうか。

 ミレニアの命を失うことに比べれば、誰を主と頂くかなど、些細な問題なのかもしれない。それを許容したくないのは、ロロの勝手な我儘だ。

 ミレニアの元を離れることが、結果的に、ミレニアの命を救うことにつながるのなら――

「俺は――……」

 観念するように剣を降ろして、開いた口から洩れた声は、覚悟が足りないせいか、少し、揺れていた。

 それでも、断腸の思いで、続く言葉を口にしようと――

「――ぁ――……」

 小さな。

 ――小さな声が、聞こえた。

 ドクンッ……と心臓が鳴る。

 めったに聞かない、少女の声。

 震えて、怯えて――泣きそうなときの、声。

 受け止めきれないほどの絶望を前にしたときに、いつもは”女帝”の顔の裏に隠している”少女”の顔を、幻のように一瞬だけのぞかせるときの、声だ。

「ひ――」

 振り返ろうとしたとき。

 ふっ……と、マントから小さな手が離れていく気配がした。


 ざわっ……

 

 それは、三日前に感じた感覚に似ていた。

 胸の奥底を、ザラザラとした何かで絶えず擦られるような、形容しがたい強烈な不快感。

(姫が――――!)

 理由は、わからない。クルサールの時も、わからなかった。

 それでも、強烈な不快感の奥底で、魂が大きな声で叫ぶ。

 ――――傍を、決して、離れるな。

「俺は、決して軍属にはならない。俺が姫の傍を離れることは、未来永劫、絶対にない」

 反射的に口をついて出た声は、微塵も揺らいでいなかった。

「――!?」

 驚く気配は、背後から。

 長い付き合いで、ミレニアは、ロロがゴーティスの申し出を受け入れようとしていたことを察していたのだろう。それを、一瞬で覆したことに、酷く驚愕しているようだ。

「貴様――!」

「――何を勘違いしているか、知らないが」

 カチャリ、と再び剣を持ちあげて隙なく構えながら、ロロは冷ややかな目でゴーティスを見つめ返す。

 チリッ……と小さな音が走った途端、ゴォッとミレニアとロロを取り囲むようにして、炎の障壁が立ち上った。

 二人を外敵から守るように――ミレニアがこれ以上、己から離れていかないように。

 紅の瞳の青年の、主への執着を象徴するかのような炎が、メラメラと燃え盛る。

「うわぁ!!!」「な、なんだ!?」

 狼狽える兵士たちの声を聴きながら、炎の壁の中からゴーティスを見据える。

「俺の主は第六皇女ミレニア以外にあり得ない」

 ハッとミレニアが驚いたように後ろで息を飲んだ。

「国も、皇族も、民も、俺にとってはどうでもいい。過去、散々理不尽な扱いをしてくれた上流階級の連中の言いなりになるなんざ、心の底から御免被る。――お前たちは本来、等しく俺の復讐対象だということを忘れていないか」

 ぞくりっ……

 凄みのある紅い瞳に睨まれ、冷たいものが背筋を滑り降りた。

「俺に命令出来るのは、世界でただ一人だけ――姫だけが、特別なんだ。……姫が、お前たちを家族だと言うから。姫が、国を、民を守りたいと言うから。――だから、大人しくしているだけだ。姫がいなければ、枷を外されている今、お前たちの顔色を窺って、お前たちに従う謂れなんぞ、欠片もない」

「な――」

「一度アンタと契約を交わし、軍属になれば、東の魔物を殲滅し終えたとしても、アンタは俺を軍だの国だのに縛り付けて、手放そうとしないだろう。――生涯、二度と姫の元に戻れないそんな契約、するはずがない」

「っ……!」

 あえて明言しなかった痛いところを衝かれ、ゴーティスはぐっと息を飲む。

 やはり、この男は、どうやら馬鹿ではないらしい。

 すぅっと剣を片方持ち上げ、一直線にゴーティスに向け、ロロははっきりと言い放つ。

「立場が違う。――逆だ。お前たちが、乞え」

「!」

「俺はいつでも、お前たちを視線一つ、意思一つで焼き殺せる。――追手がかかろうが、関係ない。帝都ごと炎で焼き尽くせばいいだけだ。何度も言うが、俺は、姫を助けられるなら、国も民も、逆賊の汚名も、何もかもがどうでもいい」

「っ――!」

「だが、姫はお優しいから、きっと俺に、東の魔物を殲滅しろと言うだろう。そのお気持ちに応えるため、軍の仕事を手伝ってやってもいい。アンタが言うように、慣れない逃亡生活で姫に不自由を強いたいわけじゃないからな。この茶番に乗った上で、それをひっくり返す正攻法があるなら、それを姫が望むなら、努力してやってもいい。だが――あくまで、俺は、姫の護衛兵だ。一年が過ぎ、東の魔物を殲滅出来れば、俺は、すぐに専属護衛の任務に戻り、二度と軍の任務には出ない」

 めらめらと燃え盛る炎は、一向に衰える気配がない。持続時間と威力の相関を考えれば、ロロにとってこの程度の障壁は、息をするようにたやすく発生させられるということだ。

「今すぐ焼き殺されたくないなら、頭を下げてお前たちが乞え。東の魔物を殲滅する手伝いをしてくれと、頼み込め。――姫の安全を約束した上で、な」

「ロロ……」

 少女が、再び戸惑った様な声を上げて、そっとマントを掴む気配がする。

 今、傍にいてくれることに心から安堵する自分がいる。――彼女の元を離れずに済むことを、安心している自分がいる。

「<贄>だのなんだの、くだらない。姫が、ここにいる全員を家族だと言って尊重しようとするから――政とその決定を尊重しようとするから――酷く馬鹿げていると思うが、仕方ない。お前たちの主張には乗ってやろう。……一年。その一年で、東の魔物を殲滅する。姫を<贄>候補としたまま、過ごしてやる」

「…………」

「だが、憶えておけ。――俺がいる限り、何人たりとも皇女ミレニアの命を脅かすことは出来ない。もしも魔物が殲滅出来ず、<贄>として送られる日が来たら――その日がそのまま、お前たちの命日になる。立ちはだかる全員をぶっ殺して姫を救う」

 久しく、彼が冷静なままに、こんなにも完全に素の口調に戻った時があっただろうか。

 皇族への不敬を考えて、上品に過ごしていた四年間が嘘のように、胸糞の悪さと共に一つ唾を吐き捨て、行儀悪く皇族たちをぐるりと見回した。

 全員が蒼い顔で、言葉を紡げずにいるのを確認してから、ロロはふっ……と威嚇のために造りだしていた炎をかき消す。その後、キン、と音を立てて双剣を腰へと納めた。

 しん……と不自然なまでの静寂が場を支配する。

「……姫。……お手を」

「えっ!?え、えぇ」

 炎の熱気に当てられたせいか、ほんのり上気した頬のまま、驚いた声で返事をしたミレニアは、つい言われるがままに手を差し出してしまう。

「……失礼します」

 先ほどまでの粗野で乱暴な剣闘奴隷の影は一瞬で鳴りを潜め、いつもの寡黙で従順な、自己肯定感がどこまでも低い護衛兵になったロロは、その手を取ることすら躊躇するようにしてそっと恭しく包み込み、ゆっくりと手を引いてエスコートするようにして歩き出す。

 堂々と緋色の絨毯を歩んで退室していく二人を、止めようとするものは、もう誰もいなかった――

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