第84話 “神”に選ばれし<贄>⑨

「ミレニア。お前の拒否に意味はない」

 その場を凍り付かせるような威圧的な声が、謁見の間に響いた。

 声の主に視線を投げると――そこには、ロロを束の間臣下として貸し出していた、ゴーティスが椅子に腰かけて嫌悪に満ちた顔をしていた。

「その男の規格外な暴れっぷりは、俺もよく聞いている。俺は、この場にいる誰よりも正しく、その男の危険性を理解している。――だからこそ言う。そいつに、枷を嵌めないという手はない」

「ですがっ――!」

「ふん……己が主と認めていない人間に、気安く名前を呼ばれたと言って魔力を暴発させるような沸点の低さだぞ。その男の何を信じろと言うんだ」

 おそらく、ザナドから聞いたのだろう話を持ち出し、鼻で嗤い飛ばされる。

「そいつが、感情のままに魔力を発動すれば、この場にいる全員が焼け死ぬ。俺たちは、ほとんどが水の魔法使いだが、そいつの前では、何の役にも立たないだろう」

 魔法属性は、遺伝によって決まる。父親であるギュンターが優秀な水の魔法使いだったのだ。ここにいる兄たちの中に、水の魔法使いが多いのも当然だった。

「お前が儀式を受けることは、月初の皇族会議で決議された正当な結論だ。その結論の出され方に不審な点は一つもなく、きちんと正式な手法に則って下されたと、証明しよう」

「っ……」

 妙に強調された言葉に、ゴーティスの言いたいことを察し、ミレニアは言葉を飲み込む。

 ミレニアに関することについて”中立”を表明しているザナドもまた、その決議は正当なものだったと認めている、と伝えたいに違いない。

「儀式の結果は、公爵の言う通り、俺たちにもわからん。だが、正式に下された結論だ。もしも”神”とやらに選ばれれば、国家のために、皇族らしく、誇り高く死んでいけ。――<贄>とやらに選ばれなかった時は、好きに生きろ。紅玉宮の予算がどうなるかは知らんがな」

 ふん、と鼻を鳴らして言うゴーティスは、荒い言葉遣いでミレニアへの嫌悪をにじませながらも、冷静に妹を諭していく。

「この決定事項に反するイレギュラーな要素は排除する。その筆頭が、その厄介な男だ。――お前が問答無用で死地に送られるなんぞという決定が下されれば、この謁見の間を業火で飲み込み、一瞬で国家の主要人物を全員殺しかねない」

「――――……」

 すぃっとロロが視線を左下へと伏せる。……それは、限りなく正しい未来予測だろう。

「だから、枷を嵌めさせろ。どうしても枷を嵌めさせたくない、と喚くなら、そいつを今すぐ退室させる。――どちらにせよ、地下牢にでも繋いでおくだけだがな」

「な――!」

「当然だろう。……紅玉宮に下がらせたところで、お前が死地に送られることになれば、結果は同じだ。今度は、謁見の間ではなく、皇城全体が丸焼きになるだけだ。そんな危険人物を、放置しておくわけがない。どちらにせよ、魔封石が付いた枷を嵌めて地下牢へ転がす。――だから、言っている。お前の拒否に、意味はない」

 ひゅ……とミレニアは小さく息を飲んだ。

 いつも苛烈に怒鳴り散らすことが多い兄は、トントンとこめかみを叩きながら冷静にミレニアを追い詰める。ザナドと同じく、彼が本来とても優秀であることを思い出させた。

「枷を嵌めるだけで終わらせるのか――鉄格子の中にまで閉じ込めるのか。その差でしかない。好きな方を選べ」

 冷ややかな声は、ミレニアに絶望だけを連れてきた。

(もう……逃げ場が、ない……)

 覚悟はしていた。敵陣のど真ん中に乗り込むつもりだったのだ。処刑を言い渡される可能性も、頭の片隅で考えていた。

 だが――ロロに枷が嵌められるという事態は、想像していなかった。

「っ……」

 狡猾なカルディアスが、抜け目ない戦略を練ったのだろう。

 舌戦は、交渉の席に着く前にほとんどが決まる。――ここまで周到に、あらゆる理論武装をされては、ミレニアに反撃の糸口などなかった。

(枷を……嵌める……牢に……繋ぐ……?)

 ぐるぐるとゴーティスの言葉が頭の中でめぐる。

 蒼い顔をしたまま、少女はそっとロロの身体から離れた。

 どうしても、どちらかを選ばなければならないなら――

「……ここ、に……せめて、控えさせて……くだ、さい……」

「姫――……」

 ガタガタと震えながら、絞り出すような声で告げる少女に、ロロは痛ましげに眉根を寄せる。

「ふん……面倒なことだ」

 不機嫌そうにゴーティスが鼻を鳴らすと、枷を手にした兵士たちがロロへと近づいた。

 そのまま、手枷が嵌められていくのを、どうしても見ていられずに、ミレニアはバッと身体ごと顔を背ける。ぎゅぅっと瞳を閉じて、泣きそうになるのを必死で堪えた。

(命じた――私が、命じた――!)

 四年前、自分の手で自ら外した枷を、再びつけるように、命じてしまった。

 自分のせいで、彼が再び、奴隷のように扱われてしまった。

(嫌――!)

 ぎゅぅっと固く瞳を閉じて、ふるふると頭を振る。

 初めて出逢った鉄格子越しの紅玉の瞳を思い出す。瞳を開くことすら億劫だと言いたげなその双眸には、虚ろな光が宿っていた。

 だが、ミレニアが枷を外した瞬間――宝石のような瞳が、キラリと輝き、透き通ったのだ。

 四肢の自由を得て、世界で一番美しい宝石と変わらぬ――それ以上の輝きを宿したのだ。

 あの時の感動を、ミレニアは今も忘れない。

 大好きな瞳を覗き込む度に、もう、初めて見たときの虚ろな光がどこにもないことを見てはほっと安心していた。透き通った紅玉の瞳が、まっすぐ見上げてくるミレニアに戸惑うように揺れるのを見て、その美しさに心を何度も締め付けられた。

 それなのに――自分のせいで、また、あの瞳を曇らせてしまうのか。

「ミレニア姫。儀式を執り行います。……どうぞ、こちらへ」

「――クルサール……殿……」

 そっとかけられた痛ましげな声音は、ミレニアを想う慈愛に満ちているようだった。思わず縋るように顔を上げると、見慣れた青年が見慣れぬ装束に身を包んでいた。

 先ほど、末席に控えていた時の正装の上から、フード付きのローブのようなものを羽織っている。クルサールの肌の色を思わせるような純白に、金糸で繊細な刺繍が施されたそれは、黒を正装の基調とする帝国ではめったに見ない配色だ。

「……その、装いは……」

「あぁ――これは、儀式を取り仕切る者の伝統的な衣装なのです」

 言いながら、懐に手を突っ込み、何かを取り出す。

(……仮面……?)

 白装束の中からぬっとあらわれたのは、顔全体を覆うような、のっぺりとした仮面だった。帝国では、年に一度の戦勝記念祭(カーニバル)の日くらいしか見たことのないその特徴的な仮面を、無言で取り付ける。

 祭りで身に着けられるような華やかな装飾は一切そぎ落とされたその仮面は、清貧を愛するという彼らの信仰に相応しい。新雪のように真っ白で、視界を確保するための目元をぐるりと金色が縁取っている。

「では、儀式を始めましょう。――ミレニア姫。鏡の前にお越しください」

「……えぇ」

 ごくり、とつばを飲み込み、ゆっくりと水鏡の前に立った。

 水面を覗き込めば、一見何の変哲もない普通の水が、ゆらゆらと揺れているだけだ。

 異様な仮面を身に着けたクルサールは、身に着けていた装束のフードを目深に被る。仮面の中で唯一華やかに彩られた目元の金の縁取りすら覆い隠すほどにしっかりと。

「貴女は、魔法適性がない。間違いありませんね?」

「……えぇ。今のところは」

 少しだけ憮然として答える。

 ずっと、父のような水の属性が顕現することを夢見て、あきらめずに努力だけを重ねてきた。……十四になるこの年まで顕現しない以上、もはや無属性以外の何物でもないはずだが、認めるのは癪なのだ。

「魔力の扱いに関しては学んできましたか?」

「はい。……魔力は顕現するのに、属性が発現しない、と言われました」

「……それを、無属性と、人は呼びますね」

 往生際の悪いぼやきをするミレニアに、仮面の奥でクルサールが苦笑した気配があった。

 人間は、魔力の許容量キャパシティや魔力を扱う得手不得手はあれど、基本的には全員が大なり小なり何かしらの魔力を有していると言われている。魔法を顕現させるために必要な特殊なイメージを練り上げながら、効力を発現したい箇所へと魔力を体内から現実世界へと放出する。

 魔法適性がある者は、己の属性に伴う効力が発揮される。無属性は、そのまま、何の効果も示すことがないままにふわりと空中に放出した魔力が霧散してしまって終わりだ。

 幼い子供が引き起こしやすい魔力暴走は、場合によって周囲に被害を及ぼすこともある。そんな事故を防ぐため、いつか国家の役に立つため、とミレニアは幼いころから熱心に魔力コントロールについて学んできた。――残念ながら、努力が実を結ぶことは十四年間一度もなかったが。

「儀式は簡単です。この水鏡に向かって、習った通りに魔力を練ってください」

「魔力を……?」

「はい。水面に向かって、魔法を放ってください。水が何の反応も示さなければ、それで終わりです。黒衣の護衛兵を連れて、紅玉宮へお戻りください。ただ、もしも水面が光ったら――<贄>に選ばれた証です。今日から、<贄>としての日々を過ごしてもらいます」

「<贄>としての日々?」

「はい。……ひと月前、東へ送られた<贄>の効果はまだ健在です。過去の例を鑑みれば、あの<贄>の光の強さなら、一年ほどは効果が継続するでしょう。……帝都に再び、魔物が襲われたと報が入るまで、貴女には外界との関わりを最小限に絞り、<贄>として神に仕えて過ごしてもらいます」

「ふ……軟禁される、というわけね」

「――見解の相違ですね」

 ミレニアの皮肉に、呻くような声が返ってくる。

 嘆息してから、ミレニアはそっと水鏡に両手を掲げた。

「何でもいいわ。……儀式を始めましょう」

「かしこまりました。――エルム様の、御心のままに」

 クルサールは、朗々とした声で告げるとともに、左手を胸に当てたまま、そっと右手を水鏡へと差し向けた。

 ミレニアはゆっくりと瞳を閉じ、集中した。過去、何度も繰り返された魔法講師の講義を思い出す。

 体内に流れる、不可視の力を思い描く。体中を隅々までめぐっているそれの端を指先に集め、じわじわと手のひらへと集中していくイメージ。

 意図して流れを操られ、無理に掌で溜められていく違和感に、ぽぅ……と不思議な温もりが掌に生まれるような錯覚があった。

(ここまでは成功。この、微かな温もりを――解き、放つ……!)

 カッと目を見開いて、手のひらに溜めていた力を、残っていた体内の力で押し流すようにして現実世界へと解き放つ。

 フッと温もりが手から離れ、放たれた魔力が空間を突き進む気配があった。

 そのまま、揺らめく水面に不可視の力の塊が触れて――


 カッ――!


 水面から放たれた強烈な閃光が、広大な謁見の間を一瞬で焼いていく。

「「――――!!?」」

「キャ――!」

 まるで、目の前で太陽が破裂したかのような莫大な光量を前に、その場にいる全員が咄嗟に視界を覆った。

 純白の色をした爆発による強い光で眩んだ網膜には、意味あるものを映せない。チカチカと瞼の裏で星が瞬くような錯覚の中――

「そんな――……ありえない……」

 誰かの愕然とした声が、ポツリと小さく、響いた。

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