第83話 “神”に選ばれし<贄>⑧

 一瞬、周囲の音が遠くなる。

 何を言われているのか、よく、理解できなかったためかもしれない。

「上申書の中で、偉そうに書いていたな、ミレニア?皇族たるもの、民のためならば、国家のためならば、喜んで持ちうるすべてを擲つべきだと」

「――――……」

「だから、お前に慈悲をやろう。――残念ながら、ここに集う我らには、異民族の血が流れていない。国のために命を擲つ資格がないんだ、ミレニア。だから、お前が持っているものを擲ち、国家を救ってくれ」

 クスクス、と嘲るような笑いが飛ぶ。

 そのまま、ふいっと手で軽く合図をすると、横に控えていた黒衣の護衛兵たちが、呆然と玉座を蒼い顔で眺めるミレニアへと近づいた。ギークの護衛兵たちだろう。

「立ってください」

「ぁ――」

 形ばかりの敬語を使って、威圧的な態度で命令される。

 状況をうまく呑み込めず、翡翠の瞳を揺らした少女に苛立ったように軽く舌打ちし、兵士はその華奢な腕に手を伸ばした。

「立てと言って――」

「――姫に触れるな」

 バシッ……

 兵士の手がミレニアに触れる直前で、何者かに音が出るほどに強く叩き落される。

「ロロ――……」

 見れば、見慣れた黒衣の背中が兵士との間に立ちふさがっていた。

「貴様、何を――」

「姫は、第六皇女。――下賤な輩が、気軽に手を触れていい存在ではない」

「な――下賤だと……!?」

 現皇帝ギークの護衛を務めるからには、位の高い貴族の家系なのだろう。奴隷ごときに己の出自を貶められるような発言をされ、カッと兵士が憤怒に顔色を変える。

 しかし、ロロは冷ややかに兵士を見返し、当然のように口を開いた。

「――まさか、自分が、皇族と対等な出自だとでも?」

「っ……」

 表情筋を一つも動かさないままで告げられる言葉に、ぐっと言葉を飲み込む。皇族を引き合いに出されては、それ以外の全ては下賤だ、と言われても反論の余地はない。

 押し黙ってしまった兵士から視線を外し、ロロは聳え立つ玉座をじっと見上げた。

「……皇帝陛下」

「ふん……なんだ、汚らわしい奴隷」

「俺には、学がないのでわかりません。――姫が、そのような儀式を受ける、正当な理由があるようには、思えないのですが」

「ロロ……!」

 ハッとミレニアは息を飲む。

 まだ、事態を全て呑み込んだわけではないが、目の前に聳える黒衣の背中が、必死にミレニアを守ろうと、不得手な問答を皇帝相手に繰り広げようとしている気配だけは伝わった。

「かの国で儀式を受けるのは、十になった子供だと聞きました。……姫は、今月で十四になります。既に、儀式を受ける資格は失われているのではないでしょうか」

 ぴくり、とギークの眉が不機嫌そうに吊り上がる。

「ロロ……!ロロ、待って……!」

 このままではいけない。皇帝の不興を買えば、ロロの命など、風前の灯火だ。

 ミレニアは立ち上がり、ロロの腕を取って引き留めた。

「姫……」

「待ちなさい……!お前は、後ろに控えていて……!」

「ですが――」

「慣れないことはしなくていいわ……!お前は、いつも私の傍に控えて、この身を守る。それが仕事でしょう……!」

 必死に言い募るミレニアを前に、ぎゅっとロロの眉間に皺が寄る。

 まだ不服そうな様子の護衛兵を無理やり後ろに庇うようにして、ミレニアは前へと歩み出た。

「陛下、ロロの言うことは一理あります。詳細な説明を求めますわ」

「ふん……命乞いか?偉そうなことを言っておいて、その様か。笑えることだ」

「そうではありません。……説明を求める、と言っているだけです」

 ぎゅっと拳を握り締めて、玉座をしっかりと見据える。

(私がしっかりしなくては――ロロの命まで、危険にさらしてしまう……!)

 呆然として、運命に翻弄されている場合ではない。

 口下手なロロが、不興を買ってでも、必死にミレニアを庇おうとしている。拙い言葉で、主を救おうとしている。

 その後ろに隠れて、ただ震えているような、無力な少女ではいられない。

「何もおかしなことなどない。儀式を受けるのは、十を過ぎても魔法属性が顕現しない、無属性の子供だという。十歳を過ぎた無属性の者なら、誰でも<贄>の候補となるのだろう?クルサール」

「……はい。おっしゃる通りです」

 ギークの言葉に、末席に控えていたクルサールが軽く頭を下げて静かに認める。ミレニアは微かに頬を歪めて、向けられた金髪の旋毛を見据えた。

(クルサール殿がこの場に招集されたのは、こういう訳……!)

 クルサールは、立場上、ギークの言葉に逆らえない。たとえ、エラムイドでの実情がどうであったとしても、ギークにこのように問われれば、否と答えることは出来ないだろう。

 思えば三日前、去り際のクルサールの様子が変だった。もしかしたら、あの時彼は既に、この謁見の内容を知っていたのかもしれない。

 ミレニアは高速で頭を回転させ、必死にザナドから聞いた<贄>の風習を思い出す。

「っ……<贄>はエラムイドの地で信仰されている”神”によって選ばれる、と聞きました……!ひと月前に<贄>として送られた少女もまた、”神”を信じ、最後まで”神”に祈りを捧げていました」

「ふん……それがどうした」

「私は、確かにエラムイドの血を半分引いていますが――エラムイドの”神”を一切信じておりません!信徒でない私を、”神”とやらが重要な<贄>に選ぶとお思いですか!?こんな私に、<贄>としての資格があるとは思えません……!」

「む……」

 苦し紛れの反論だが、これがミレニアが見つけ出した唯一の糸口だった。

 案の定、ギークは一瞬、口を閉ざす。戸惑った様に瞳を揺らし――

「では、直接”神”とやらに聞いてみればよいでしょう」

 冷ややかに飛んできたのは、ギークの後ろ――狐のような顔つきをした男の声だった。

(カルディアス公爵――!)

 今や、ギークのブレーンとなったという狐顔の彼は、焦りの一つも浮かべることなく、しゃあしゃあと言ってのける。

「何を懸念されているのかわかりませんが――よく思い出してください、ミレニア姫。陛下は、貴女を<贄>にするとは一言も言っていません」

「ぇ――?」

「<贄>選定の儀式を受けろ、と――ただ、それだけをおっしゃったのです」

「な――……」

 呆然として、かつて嫁ぐはずだった家の当主の顔を眺める。

 細い瞳をさらに細めて、狡猾そうな笑みを浮かべたまま、カルディアス公爵は言葉を続けた。

「クルサール殿の協力を得て、この場に、『聖具』と呼ばれる水鏡を持ち込ませました。儀式は、クルサール殿が行ってくださいます」

「!」

「かの国、エラムイドですら、<贄>選定の法則は解明されていないようです。まさに、神の思し召しとしか言いようがないらしく――ミレニア姫を選ぶかどうかは、神のみぞ知る、ということです」

「何を言って――」

「儀式の結果、姫が<贄>の資格なし、とわかれば、貴女は今まで通り紅玉宮でひっそりと、気ままに過ごされればいい。<贄>の資格すらないただの十四の少女を魔物に食わせるような、そんなご無体を、陛下がなさるとお思いですか?」

 仮面のように張り付いた形ばかりの笑みに、ぐっとミレニアは息を詰める。

(よくも――いけしゃあしゃあと――!)

 馬鹿げているとしか言いようがない。

 クルサールは、ギークの言葉に逆らえない。ギークは、一刻も早くミレニアを排したいが、ザナドとゴーティスがそれを許さない。紅玉宮の従者を人質に言うことを聞かせようにも、既に誰も雇用されていない。

 この状態で、事前準備の時間だけはたっぷりあったはずの『儀式』がインチキではないと、どうして思えると言うのか。

「もしや、結果が仕組まれているとお思いですか?……ご安心を。この場にいる全員が、儀式結果の証人となります。――水鏡が光らないにも関わらず、死地に送り込むようなことは、出来ません」

「っ……」

 先回りして牽制され、ミレニアは歯噛みする。

 ガラガラとどこからか音が響いて、物々しい水鏡が部屋へと運び込まれてくるのが、視界の隅に見えた。

 荷台から降ろされ、部屋の中央に据えられたそれは、一見、何の変哲もない水鏡だ。

「光を仕込むとお思いですか?どうぞ、不安であれば、好きに鏡を調べてください。私も、<贄>の儀式とやらを初めて聞いたときは半信半疑で、よくよく調べたものですが――全て徒労に終わりました。ですが、姫がご納得できないというなら、どうぞ、ご存分に」

 にやり、と嗤うからには、よほど自信があるのだろう。狡猾さを競わせれば間違いなく帝国一と言っていい男だ。

「……では、失礼します。私も、命を預けることになるので」

 苦々しく言いながら、ミレニアは鏡へと近づく。

(何の変哲もない――当たり前よね。私が調べて、おかしいと思うような物を、カルディアス公爵が自分から調べてみろなどと言うはずがない……)

 光、というからにはどこかから炎が上がるのかと疑い、表も裏もくまなく見つめ、手触りまで確かめたが、何もおかしなところはなかった。

 悔しさに歯噛みしながら、鏡から顔を上げたとき――とんでもない一言が、鼓膜に飛び込んでくる。

「儀式の前に、ミレニア姫。――貴女の護衛兵に、魔封石のついた枷を嵌めさせてください」

「な――なんですって!?」

 バッと驚いてカルディアス公爵を振り返る。顔に笑みを張り付けていた狐のような男は――瞳だけが、笑っていない。

「半年前――その護衛兵は、私の息子に狼藉を働いたとか」

「っ……それはっ……!それは、先に、ヴィンセント殿が、私に手を上げたからです!彼は、忠実に護衛兵としての職務を全うしたにすぎません!」

 今更そんな話を蒸し返されて、慌てて反論する。

「ええ。そのこと自体を今になって裁こう、などと言っているわけではありませんよ。ただ――報告を聞くに、その男を、枷もつけずにこのままここに置いておく危険性を、看過できないと申し上げたいのです」

「な、何を――!」

「それとも、約束できますか?もしも、儀式で貴女が<贄>に選ばれたとして――その護衛兵が、過去、我が別邸で起こしたようなボヤ騒ぎを起こして暴れない、ということを」

 ごくり、とミレニアはつばを飲み込む。

 すぅ――とロロの瞳が細められた。

「今、ご自身の目でご確認いただいた通り、儀式に仕掛けなどありません。貴女が<贄>に選ばれるかどうかは誰にもわからず、神のみぞ知る――とてもとても、公正な儀式」

「っ……」

「私とて、かつて一度は、縁を結ぶとギュンター様と約束したミレニア姫を、腹をすかせた魔物の巣窟に送り込み、惨たらしく死なせたいと思っているわけではありません。ですが――”神”が選ぶのなら、仕方がない。誰にも、”神”の意思を左右など出来ないのですから。その時は、ミレニア様にも、国防の一助となっていただきたく思います」

「そんな――」

「きっと、誰よりもイラグエナム帝国を想うお気持ちの強いミレニア様のことです。<贄>として捧げられれば、長く帝都を守る礎となっていただけるでしょう」

 吐き気がするような言葉を、笑みを浮かべながらまき散らす男に、反論の糸口を見いだせずにぐっと言葉を飲み込む。

「ですから、ミレニア姫。――公正な儀式の果てに選ばれたときには、覚悟をしていただきたい。……国防を賭けて行われた公正な結果を、その男の癇癪で台無しにされるわけにはいかないのです」

 ザッ……とロロの周囲を、他の皇族の護衛兵たちが取り囲む。その手には、見覚えのある鉄製の枷がしっかりと握られていた。

 ひゅ――とミレニアの喉が、小さく音を立てる。

「っ――い、嫌ですっ……!」

「――!」

 バッとミレニアはロロに抱き付き、叫んだ。ロロの両手を庇うようにしてその逞しい身体を小柄な体で必死に抱きしめ、震える声で叫ぶ。

「嫌ですっ、嫌ですっ……!それだけは、絶対に、嫌ですっ……!」

「姫――!」

 それは、大人を相手にしても一切怯まぬ舌戦を繰り広げるいつものミレニアからは想像できない姿だった。

 まるで、子供が我儘を言うような拙い言葉で、ぎゅぅっとロロの身体を抱きしめ抵抗の意を示す。

 その姿に誰より一番驚いたのは、ロロだった。狼狽えるような声を出して、思わず立ちすくむ。

「ロロは、ロロは奴隷ではありませんっ……!私の、専属護衛です!枷で自由を奪い、道具のように扱うなんて、絶対に嫌!!」

「姫――」

 ロロは困惑して、自分に縋りつく小柄な少女を見下ろす。

 ――どうしたらよいか、わからない。

(いっそ、一思いに全部焼き尽くせと言われた方が楽なんだが――)

 こんな、訳の分からない儀式に付き合う必要などない。皇帝も、皇太子も、護衛兵も、公爵も――クルサールも。

 ミレニアを陥れようとするのが誰で、どんな仕掛けがあるかわからないなら、今、この場で、全てを灰燼に帰してしまえばよいのだ。枷を嵌められる前の今なら、それがたやすく出来る。

 一言命じられれば、すぐにでもそれを実行に移すことが出来るのだが――どうやら主は、それを良しとはしていないらしい。

 あくまで、国家が、大切なのだろう。今ここで、ここにいるすべてを焼き尽くしてしまえば、誰が残された国を導くのか。それを思えば、ミレニアは己の命の保身だけで、強硬手段になど出られるはずもなかった。

 だからロロは、困惑してただ黒髪の少女が縋りつくのを見下ろすしかできない。

 魔物の群れに取り囲まれたときでさえ、厳しい顔で凛とした空気を纏っていた少女が、ふるふると震えて幼子が怯えるようにぎゅっとしがみつく腕に、途方に暮れるしかできなかった。

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