第82話 “神”に選ばれし<贄>⑦

 三日後――その日は、やってきた。

 ミレニアが纏うのは、帝国を象徴する色でもある漆黒のドレス。黒に金の糸が織り込まれた衣装に身を包み、胸元には片時も手放すことがない紅玉の首飾り。瞳の翡翠と合わせれば、イラグエナム帝国の国旗に使われている色の全てが完全に揃う。

(もしかしたら――今日が、”皇族”と名乗ることが出来る最後の日になるかもしれない)

 そう思えば、祖国を象徴するかのような装いに身を包みたくなったのだ。着替えを手伝ってくれたマクヴィー夫人は、少し物憂げな心配そうな瞳をしながらも、何も言わずに今日も少女を美しく飾り立てて紅玉宮を送り出してくれた。

 幼いころから慣れ親しんだ城の中を、少しゆっくりと歩む。ギュンターの治世のころは、活気があったはずの城内だったが、今はどこか殺伐としていた。

 まるで今の国内を思わせる城内の空気に、少しだけ胸を痛めながら、ミレニアは一歩一歩を踏みしめて歩く。

 覚悟を決めるようにゆっくりと歩んだ城内の末、目的地に着くと、ミレニアはすぅっと息を吸い込んだ。

「第六皇女ミレニア。ただいま参りました」

 謁見の間にたどり着いたミレニアは、イラグエナムの国旗が掲げられたその扉の前で宣言する。供につけているのは、背後に控える紅色の瞳を持った専属護衛兵ただ一人。

 チラリ、と部屋の扉の両脇を守っていた漆黒の衣をまとった兵士二人が冷たくぶしつけな視線を投げる。装いからするに、ギークの護衛兵たちだろう。

 懐から時計を取り出し、時刻を確認した後、二人は顔を見合わせてうなずき合い、示し合わせてゆっくりと扉を開いていく。

 ギギギギギ……

 酷く耳障りな音を立てて、ゆっくり、ゆっくりと、重たい扉が開いていく。

(まるで――断罪の間、ね)

 ふるり、と我知らず背筋が小さく震えた。小さく呼吸をして、息を整えようと――

「――姫。……ここに、おります」

「――――!」

 左斜め後ろから、長身を屈めるようにしてそっと身体を折り、耳元に囁かれる低い声。

 震えた背中に寄り添うような、酷く温かな、体温。

「――えぇ。わかっているわ」

 背中に感じる温もりは、じんわりと胸の奥にまで広がっていく。

 ――不思議だ。

 敵陣のど真ん中に飛び込もうとしているのに――背後に、彼が控えていると思うだけで、心が穏やかになっていく。

 ギギッ……ギッ……

 耳障りな音を立てて、扉が完全に開き切る。

 かつての帝国の威光を主張するかのような、煌びやかで眩しいシャンデリアが、ミレニアを見下ろすように輝いていたが――

 ――もう、震えは、来なかった。


 ◆◆◆


 緋色の毛足の長い絨毯の上を迷いなく歩む。ドクドクと、緊張で鼓動がうるさかったが、ピタリと寄り添う漆黒の影を想えば、足が震えることはなかった。

 正面の、一段と華やかな玉座に座っているのは、現皇帝のギーク。その斜め後ろに控えるようにして立っているのは、見覚えのある白髪交じりの狐顔の男。――カルディアス公爵家の現当主だ。

(随分うまく取り入ったようね。……他のお兄様方も、皇城に控えている方は、殆ど集結されているようだし)

 ギュンターの最期を看取った時に集まった兄たちのほとんどが、己の護衛兵や側近を従えて椅子に腰かけ、ミレニアを眺めている。緋色の絨毯を囲むようにして、序列順に玉座から放射線状に並んでいた。

 ふと、一番の末席に、見覚えのある顔を認めて一瞬目を見開く。

(クルサール殿……?)

 それは、初めて出逢ってから、ここひと月ほど頻繁に紅玉宮に訪れていた美青年に他ならなかった。

 褐色の肌に黒髪黒目という揃った見た目を持つ兄たちの中に交じって、抜けるような白い肌と華やかな金髪碧眼を持つ青年は、酷く場違いに浮いている。

 属国の代表者、という立場故、椅子を用意されてはいないが、それでもこの錚々たるメンバーの末席に佇んでいるのは、予想外だった。

(なるほど……ザナドお兄様がいらっしゃらないのは、体調のせいではなく、部外者のクルサール殿がいらっしゃるせいね)

 政治的な局面に出て来るのは、基本的にザナドのはずだが、今、第六皇子の席にいるのは、ミレニアの見立てが正しければ、正真正銘ゴーティスの方だ。両者ともに出て来るか、ザナド一人が出て来るのが自然な流れだが、第六皇子の席からミレニアに向けられる嫌悪のまなざしは、間違いなくゴーティス本人のものだろう。

 てっきり、ザナドの体調が優れずゴーティスだけが参加することになったのかと思っていたが、クルサールという部外者が参加するとなれば話は異なる。

(ザナドお兄様が、比較的私の肩を持つことが多いことも関係しているでしょうね。ギークお兄様が、ことを思い通りに進めるため、ゴーティスお兄様を出席させるように手を回したのかもしれない……)

 部外者のクルサールを呼ぶと言えば、ザナドとゴーティスのどちらか一方しか呼べなくなる。その環境さえ作り上げてしまえば、あとは簡単だ。ギークと同じく、ミレニアを憎く思っている皇室付の薬師の任を背負う第十皇子グンデあたりを抱え込み、ザナドの出席を薬師という立場から止めさせればいい。

 あとは、謁見の日程をゴーティスの出席が叶う日にしてしまえば、ミレニアを嫌う筆頭三者が出揃う場の完成だ。ミレニアを排斥するための環境として、この三人を同じ場に集わせたかったのだろう。

 ミレニアは所定の位置にたどり着くと、文句のつけどころのない優雅な礼をする。

「大陸の太陽イラグエナム帝国に永遠の栄光があらんことを――」

(まぁ……期待は、あまり、していなかったけれど)

 頭を垂れて決まりきった口上を述べながら、そっと胸中で独り言ちる。

 ミレニアを排斥するのに最適なこの布陣はつまり――先月書き上げたミレニアの上申内容は却下された、ということだろう。

 わかり切っていたことではあるが、それでも、やはり、どこか寂寥を感じる気持ちは拭えない。

「第六皇女ミレニア。――先日は、とても愉快な上申をしてくれたな」

 頭を上げることすら許さず、開口一番揶揄するようなギークの声が飛ぶ。

「お前が今、その口で、”大陸の太陽”と述べた国家の頂点に君臨する私の執政に、政の良し悪しもわからぬ子供の分際で物申すとは――余程死に急ぎたいものと見受けられる」

「――――……」

 ミレニアは頭を垂れたまま、そっと長い睫毛を伏せる。

 ――あまり、強い言葉を使わないでほしい。

(……後ろにいる過保護な護衛兵が、ピリピリしてしまうわ)

 今の今まで、皇族の錚々たるメンバーの不興を買わぬように、気配の欠片も感じさせぬよう同じく膝をついていたはずの青年が、纏う空気を固くし、急に気配を濃くし始めた。死に急ぎたいのか、などとギークが口にしたせいで、ミレニアの命に危機が迫っているかもしれぬと、必要以上に警戒を強めているのだろう。

(現行法では、女性の皇族の命を脅かすような処罰は出来ないはずだけれど――あぁ、でも、もう今や、この国の執政は腐り切って、お兄様の掌の上……どうとでも変えられる、ということかしら)

 だとしたら、ロロを連れてきたのは悪手だったかもしれない。

 きっと――ミレニアの死刑が下される場に居合わせてしまったら、彼はこの場で大暴れするだろう。

 ミレニアを抱え、ここに集った皇族の護衛兵たちを全てなぎ倒し、攫うようにして主を救い出そうとしかねない。

(そんなことをしても意味はないのに――と、伝えたいけれど、後の祭りね。謁見の前に、ロロに釘を刺しておくべきだったかしら)

「今すぐお前から皇族という身分を剥奪し、惨たらしい刑罰を与え、私に盾突いたことを後悔させてやりたいところだが――」

 へらへらと嗤って揶揄するギークの言葉に、後ろの護衛兵の気配が尖っていくのがわかる。ミレニアは、愚かな長兄の言葉などより、よほど後ろの護衛兵が早まった行いをしないかが気がかりだった。

「顔を上げろ、ミレニア」

「……はい」

 威圧的な言葉に、素直に顔を上げる。

 玉座にふんぞり返る、愚かな皇帝の滑稽な姿が、そこにはあった。

「フン……相変わらず、気味の悪い肌と瞳の色だな」

 吐き捨てるように言って、忌々し気に鼻を鳴らす。

「全く……異民族の血が入ったお前を、皇族として認めることすら腑に落ちないが、どうにも法律というのは厄介なものだ。現状、不本意ながら、我々は、腐ってもお前を皇族の一人として扱わなければならない」

「……それは、どうも」

 憎々し気に頬を歪める兄に、言葉少なく答える。

 どうやら、いくらギークと言えども、問答無用で法律を書き換えることだけは出来なかったらしい。さすがに他の皇族が制したのだろう。分別のあるザナドはもちろんだが、野心を抱いている対抗馬の兄たちも、ギークが感情だけで法律を書き換えるような横暴を許しては後々不利になると、そればかりは反対したに違いない。

 胸中でほっと息を吐く。どうやら、いきなり投獄されて処刑される、といったことにはならないようだ。――後ろの護衛兵が、少しだけ警戒を緩めたのか、気配を薄くしたことに安堵する。

(さて……では、どう出るのかしら。市井に堕とされるにしても、ロロの扱いを考えれば、難しいはず……)

 ロロは、軍属の護衛兵でもなければ、紅玉宮付きの従者でもない。ミレニア個人と契約を結んでいる状態だ。ミレニアを市井に堕としたとして、ロロを城に引き留めるような法的拘束力はどこにもない。

 きっと、どんなに目がくらむような待遇を用意したとしても、ミレニアがとどまらない限り、ロロもまた城を去るであろうことは、ゴーティスもザナドもこのひと月でよくわかっているはずだ。今や、国防にとってなくてはならないロロを引き留めるため、二人は必ずミレニアを市井に堕とすことを反対するだろう。

 法律を好きに書き換えることが出来ない、ということは、ミレニアを市井に堕とすためには皇族全員の許可がいる、という条件も変えられていないはずだ。

 ギークがどう出るか、いまいち読めないままに、ミレニアはじっと兄の言葉に耳を傾けた。

「お前は、上申書の中で、偉そうに皇族としての矜持に関するご高説を述べてくれたな?」

「……そんなに、恐れ多いことを書いたつもりはございませんが」

 ミレニアにとっては、息をするように当たり前の考えを書いただけだ。何も大層なことなど書いていない。

「上申の中にもあった、魔物の脅威に対する国防は、私も憂慮している問題だ。優先的に取り組むべきだと思っている。お前も、半年前の襲撃に巻き込まれたようだな?」

「……はい。優秀な専属護衛が守ってくれたので、命ばかりは助かりました」

 剣闘奴隷出身のロロを侮る者は多い。さりげなくロロの功績を口添えしておく。

 しかし、そんなミレニアの思惑など鼻で嗤って受け流し、ギークは言葉を続けた。

「お前は知らぬかもしれないが――我が国は今、魔物の脅威を無効化する、画期的な国防システムを手に入れたところだ」

「――……?」

 思わず、怪訝な顔で玉座を見上げる。

 ともすれば無礼だと言われかねない視線を向けられても、ギークは愉快そうに笑って、上機嫌に続けた。

「知っているか?鍵は、お前に半分流れている、穢れた異民族の血だ。長いこと、毒にも薬にもならぬ、取るに足らない属国とされてきたその土地の異民族が、魔物の侵攻を防ぐのに、これ以上ない効力を発揮する。これを帝国の国防へと取り入れた私は、この長い帝国史に名を刻む皇帝となるだろう……!」

「は――……」

 ぱちぱち、とミレニアはあっけに取られて何度も瞬きを繰り返す。

(この人は――何を、言っているの…?)

 脳裏をよぎるのは、ひと月ほど前に庭園で遭遇した、鳥かごに入った幼い少女。

 長兄の言葉は、あの、おぞましい狂った風習のことを言っているのだろうと、察しはついたが――

「――ゴーティスお兄様……?」

 思わず、国防における最高責任者の顔を呆然と見やる。

 ミレニアのもの言いたげな視線から逃れるように、ゴーティスは忌々し気に舌打ちし、ふぃっと顔をそむけた。

(まさか――有効だった、とでも、言うの……!?)

 効果を検証するため、と言って死地に送られた、無垢な少女が――魔物の侵攻を防いだ、と言うのか。

 ゴーティスは、表立って肯定するようなことは言わないだろうが、ここでミレニアの視線から逃れようとするのが、全ての答えだ。

 彼が把握している、国防の最前線において――何かしら、<贄>の有用性が認められるような報告が上がっているのだろう。

(ロロをよこせと、とにかく頻繁に言われていたのも、正規軍としての成果を焦るため――?)

 もしも、<贄>が有用だと認められれば、下手をすれば軍人などお払い箱と言われてしまいかねない。対魔物という戦いにおいて、<贄>と同等か、それ以上の成果を勝ち得ねばらぬと、ゴーティスは功を急いていたのかもしれない。

 点と点が線になっていく感覚に、ふるり、と背筋が震える。

 ギークは、愉快でたまらない――といった様子で嗤いを浮かべた後、ミレニアを尊大に見下ろした。

「感謝しろ、ミレニア。子供ながら、恐れ多くも偉そうに皇族の矜持を垂れるお前に、優しい私が慈悲を下そう。上申書を受けての答えが、これだ」

 漆黒の瞳が、こちらを向いている。

 彼が、こんなにも愉快そうにミレニアを見つめるのは、人生で初めてではないだろうか。

 禍々しささえ感じる真っ赤な口が開かれ、愉悦に満ちた声が紡がれる。



「<贄>選定の儀式を受けろ、ミレニア。その穢れた異民族の血に価値を見出し、国防の礎となり命を散らせ」

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