2-2-6 新たな獣の痕跡

「……なるほど。足元の影から突然現れたんだ」


 車内に設置されたスピーカーから奏でられるジャズに混じり、有護の声がする。

 彼の車に乗って暮星協会へ向かう途中、燎良と璃羽は一体何があったのかを有護へ説明した。

 車を運転しながらのため、後部座席に座っている璃羽からは有護がどんな表情をしているのか、はっきりとはわからない。

 しかし、真剣にこちらの話を聞いてくれていたのだろうということは、発される有護の声色から感じ取れた。


「けど、奇妙な話だね。影から姿を見せただなんて」

「ああ。俺もそこが引っかかってる。これまで報告されてきた業獣は皆、人の影からではなく夜闇や夕闇の中に身を隠し、ターゲットを見つけたら姿を見せるという行動をしていたのに――今回は璃羽の足元に落ちた影から現れた」


 そういって、璃羽の隣に座っている燎良が自身の顎を指先で軽く擦る。


「今回の業獣――そうだな、紫の目をしていたから『紫眼』って呼ぶことにするか。業獣『紫眼』は、これまでの業獣は見せなかった行動を見せたことになる」

「だとしたら厄介だね。新しい行動を見せる業獣か……これまでの業獣と他の行動パターンが異なる可能性もあるし、最悪の場合は研究し直さないといけないかもしれないね」


 有護が深いため息をつきながら、言葉を紡ぐ。

 二人の会話に耳を傾けていた璃羽だったが、そこで少し気になり、おずおずと口を開いた。


「……あの……お話の途中で申し訳ないんですけど……」

「うん? どうしたの、姫井さん。何か気になることでもあった?」


 不思議そうに有護が璃羽へ声をかける。

 燎良もちらりと横目で璃羽に視線を向け、無言で発言を促してきた。

 軽く深呼吸をしてから、璃羽は唇を開いた。


「少し気になったんですけど……紫眼が人の影から現れるのって、そんなに珍しいことなんですか? 燎良先輩が連れてるグルマンディーズだって、燎良先輩の影から現れますよね?」


 璃羽の見間違いや記憶違いでなければ、紫眼と交戦していたときに彼の相棒であるグルマンディーズは燎良の影から出てきていたはずだ。

 はじめて狩人たちの存在を知った緑眼のときはどうだったか、とにかく必死すぎてあまり記憶に残っていないが――今回と同様に燎良の影から姿を見せていたのなら業獣が影から出てくるのは普通のことなのではないのだろうか。

 わずかに首を傾げて問いかけた璃羽の隣で、燎良がああ、と納得したような声を出した。


「璃羽はまだ狩人の力に目覚めてないから知らなかったか……」


 小さな声でそう呟いてから、燎良は言葉を重ねる。


「これまで確認されてきた業獣は、みんな夕闇や夜闇から染み出してくるかのように姿を見せていた。人の影から姿を見せる業獣は、狩人が自身の能力で縛りつけている個体だけなんだ」


 言っただろ、狩人は業獣の上に立って、奴らを従えてその力を自由に使えるって。

 付け加えられた燎良の言葉に頷き、璃羽は心の中で彼の言葉を復唱した。

 これまで確認されてきた業獣のうち、グルマンディーズのように影の中から現れるのは狩人とともに生きている個体のみ。

 それ以外の個体は夕闇や夜闇から姿を見せているから、業獣が人の影から姿を見せるのは普通のことではない――。


「……あれ?」


 そこまで考えたところで、ふと疑問が生まれる。


「……じゃあ、今回確認された紫眼って狩人が連れてる業獣ってことになりませんか?」

「そう。そこが俺も先生も引っかかってる」


 燎良が目を細め、苦い顔をする。


「これまでの情報どおりだったら、紫眼は狩人が従えてる業獣ってことになる。だが、あの場に俺と璃羽以外の狩人らしき人影は見えなかった。そもそも狩人が業獣の力を使って、同じ狩人を襲撃するメリット自体思い当たらない」

「……業獣を狩る人を減らして、自分がターゲットを独り占めしようとしたとか……?」


 でも、それをしたところで、業獣が大量に出現すれば自分が苦しくなるだけなのではないか。

 口にした瞬間からそんな疑問が生まれ、璃羽の表情が苦々しくなる。

 狩人が獲物を独り占めするために同業者を襲撃したと考えても、やはりメリットが薄いように思えてしまうのだ。

 璃羽の心情を読み取ったかのように、燎良もため息をついた。


「その可能性もあるけど、そうしたところでメリットが薄いだろ。何より、あの場に俺たちの他に狩人らしき人物がいなかったのが引っかかる」

「なら、同業者の妨害の可能性は薄そうですね……」


 小さな声で呟くように言葉を紡ぎ、燎良と同時に深いため息をついた。

 同業者の妨害という可能性が薄そうなら、じゃあ一体――?

 なんとか答えの鍵を見つけようと思考を巡らせるが、情報がとにかく足りない現状ではいくら考えてもそれらしき答えを得ることはできない。

 頭を抱えたくなる二人がもう一度ため息をついた瞬間、運転席に座っている有護が苦笑した。


「でも、姿を隠していただけでどこかに狩人がいたのかもしれないし……協会に行ったら、登録されてる狩人の一覧を確認してみるのもいいんじゃないかな。もしその中に紫眼を連れてると思われる人がいれば、その人による妨害という可能性も考えられるから」

「……なら、協会についたらそれも確認してみるか」

「そうしてみます? 先輩」


 燎良のほうを見ながら問うと、燎良も璃羽へ視線を返し、こくりと頷いた。

 璃羽も口元にかすかな笑みを浮かべ、こくりと頷き返す。

 可能性はゼロに近いかもしれないが――少しでも今回の業獣に関する情報を得られる可能性があるのなら、調べてみる価値は十分にある。


 暮星協会に到着してからの予定をそっと心に刻み、璃羽は車の窓ガラスから見える景色に視線を向ける。

 見慣れた校舎はすでにどこにも見当たらず、見えるのは夕暮れの色に染まりつつある町並み。

 目的地である暮星協会の建物は、もうすぐそこにまで迫っていた。

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