2-2-3 新たな獣の痕跡

「――先輩!」


 全ての授業をなんとかいつもどおりに過ごし、迎えた放課後。

 帰路につく帰宅部の生徒たちに混ざり、璃羽は駆け足で昇降口に姿を現した。

 真っ先に帰ろうとする生徒がはけたあとの昇降口は、大勢の生徒たちで賑わう瞬間を多く目にしているだけあって、どこか一種の寂しさのようなものすら感じさせる。

 ちらほらと自分たちのペースで自分の靴を取り出し、帰路につく生徒たちの中、壁にもたれて立っている燎良の姿は少しだけ目立って見えた。


「来たか、璃羽」


 呼びかけ、じっと手元のスマートフォンを見つめている燎良へ駆け寄っていく。

 すると、璃羽の声や気配に反応し、燎良がぱっとスマートフォンから顔をあげた。

 無表情が揺らぎ、燎良の唇の端がわずかに持ち上がる。一種の冷たさを感じさせる目も柔らかく細められ、彼の雰囲気がふわりと和らいだ。

 その空気の変化につられ、璃羽もふにゃりと表情を緩めて笑う。


「お待たせしてしまってすみません。ホームルームで先生の話がちょっと長引いちゃって」

「ああ、例の行方不明についての話だろ? こっちもそうだったから気にするな。特に、最近ニュースで行方不明になったって伝えられた奴もお前と同じ一年なんだろ?」


 なら、話がより長引いても仕方ない。むしろ当然だろ。

 そう言葉を続け、燎良は手に持っていたスマートフォンのボタンを押し、スリープ状態に切り替えてから鞄の中にしまい込んだ。

 璃羽をあまり気遣わせないための言葉なのだろうが、その気遣いが純粋にありがたい。


「すみません、ありがとうございます。燎良先輩」

「いい。気にするな。それより行くぞ、先生が車を用意してくれるらしいから」


 なるほど、どうやって暮星協会まで移動するのか内心疑問だったが有護が手を貸してくれるようだ。

 徒歩で暮星協会まで向かうのは現実的ではないが、有護が車を出して乗せていってくれるのなら簡単に向かうことができる。

 美食部の顧問であり、璃羽にとって狩人としての二人目の先輩である有護の背中が璃羽の脳裏に思い浮かぶ。


「石楠先生、車運転できるんですね」

「結構意外だって言う奴は多いけど、あの人は運転できるぞ。何度か乗せてもらったこともあるけど、普段は安全運転してくれるから安心して乗れる」


 ……『普段は』という言い方をしたのが気になるが、安全運転を心がけてくれるのなら、こちらも安心だ。

 ほっと胸をなでおろす璃羽を横目で見て、燎良が口を開く。


「狩りの状況によっては業獣の出現報告があった場所まで送ってもらえることもあるけど……そのときに乗る場合は覚悟したほうがいいぞ」

「え」

「……狩りで車を使うとき、石楠先生の運転は結構荒くなる」


 燎良がわずかに表情を引きつらせながら、璃羽がほんの少し気になっていたことを口にした。

 彼の口から告げられたその言葉を聞き、思わず璃羽もわずかに表情を引きつらせてしまった。

 狩りの現場となると急いだほうがいいというのはわかるのだが――もし、そのような場面が訪れたときは、覚悟をしてから有護の車に乗ることにしよう。


「……覚えておきますね、そのこと」

「ああ。覚えておいたほうがいい」


 二人で頷き合いながら、昇降口から外を目指して歩き始める。

 帰る人は帰っていった今、校門に人の姿はない。グラウンドがある方向からは部活動に励む運動部の声が普段どおり聞こえてきていた。

 ほんの少しの寂しさも感じる空気の中、璃羽は燎良についていくような形で校門から外へ出る。


「先生はどの辺りまで車を回してくれるんですか?」

「生徒が教師の車に乗り込むところは、あまり見られなくない光景だからな……裏門のほうで落ち合うことになってる。裏門からなら、先生たちが使ってる駐車場に近いらしいしな」


 裏門――なるほど、裏門付近は普段から人通りが少ない。

 放課後はもちろん、日中でもあの辺りに足を運ぶ生徒はほとんど見かけない。あの場所なら、こっそり有護の車に乗り込むのも可能だろう。

 納得したようにもう一度頷いて、裏門方面へ向けて歩き出した燎良に合わせ、璃羽もそちらへ歩を進める。

 そのまま何気ない会話を続けながら進んでいた――が。


 ざわり。


 全身にまとわりつくような、じっとりとした視線が全身を包み込む。

 直後、先ほどまで聞こえていたはずの町の音や運動部の声が不自然に遠ざかり、聞こえなくなった。

 見える景色は普段どおりの夕方の町。

 けれど、そう見えるのは見た目だけで――今、璃羽と燎良は唐突に日常から切り離されたのだと、狩人としての勘が叫んでいた。


 璃羽は知っている。日常から非日常へ、急に放り出される感覚を知っている。

 ここはもう、温かみのある日常の世界ではない。


 ――いつ業獣が出現してもおかしくない、非日常の世界だ。


 こんなに急に出現することもあるのかと思ってしまったが、今は驚いている場合ではない。

 いつ業獣に襲われてもおかしくない状況に陥ってしまったのだから。


「……燎良先輩」


 足を止め、声を潜めて燎良を呼ぶ。


「……ああ。わかってる」


 璃羽が呼びかけたのとほぼ同時のタイミングで、燎良もぴたりと足を止めた。

 互いに声を潜めているが、不自然な静寂に包まれた今の状態では、潜めているはずの声も大きく聞こえた。


「どこかにいるな。業獣が」


 短く言葉を交わし、燎良も璃羽も、不気味な静寂の中で耳をすませる。

 ほんのかすかな物音も聞き逃さないと気を張り詰める中、燎良の視界の端で、璃羽の足元に落ちた影がうごめいた。

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