第二話 新たな獣の痕跡

2-2-1 新たな獣の痕跡

「ねぇ、あんた。いい加減にしなよ」


 どん、と。

 重い音とともに身体を強く押され、友理葉は後ろへ数歩よろめいた。

 放課後を迎えた校舎内には昼間ほどの人の気配は感じられない。全ての授業が終わった今の時間でも残っているのは教師たちや部活動に励む生徒たちぐらいで、他の生徒はよっぽどの事情がない限り残っていない。

 故に、校舎裏に呼び出された友理葉の現状に気づいて助けに飛び込んでくる人間は、どこにもいなかった。


「クラス中の男子に次々声かけて媚び売ってんのだけでも鬱陶しいのに、人の彼氏にまで声かけてさ。あんた、何人の子を破局させたわけ? マジでいい加減にしなよ」

「……」


 唇を真横に引き結んだまま、友理葉は己を取り囲んでいる女子生徒たちへ目を向けた。

 見覚えがある顔もいれば、知らない顔もいる。見覚えがある女子生徒は友理葉と同じクラスに所属している生徒――いわゆるクラスメイトだ。

 たった今、友理葉を突き飛ばしてきたのも同じクラスの生徒で、何度か苛立ちを隠しもしない目つきでこちらを睨んできていたのを覚えている。


 コンクリート製の壁に背を預けている友理葉を取り囲んでいる女子生徒たちは、ある者はクラスメイトのように苛立ちをあらわにし、またある者は複雑そうな目で友理葉を見ている。

 思い思いの表情をしているが、目や表情の奥に友理葉に対するマイナスな感情を秘めているのは共通していた。


「何か言ったらどう? 黙ってたらいつも男子に助けてもらえるわけじゃないんだけど?」


 そういって、友理葉を突き飛ばしてきたクラスメイトは腕組みをしてこちらを睨みつけてきた。

 じ、と友理葉は相手の顔を見つめる。

 綺麗な顔立ちをしているが、性格や物言いがキツいからと同じクラスの男子生徒たちが口にしていたとおり、本当に綺麗な顔立ちをしている。

 よく見れば、彼女と一緒にこちらを取り囲んできている女子生徒たちも、友理葉にはない可愛らしさや綺麗さを持っていた。


 ……ああ、いいな。羨ましい。

 その魅力があれば、もっともっと魅力的になれるかな。

 なれるだろうな。だってずっとそうしてきたもの。


 ふつり、ふつり。

 身体の奥底から衝動が湧き上がり、友理葉の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。

 その笑みを見て、友理葉の正面に立っている女子生徒が不愉快そうに表情を引きつらせた。


「何笑ってんのよ」

「別にぃ? 彼氏に逃げられたの、私のせいにしてるのがおかしいっていうかぁ。私は人の彼氏取る気とかなかったし? 普通に話してただけだし? それで逃げられたのは、魅力がないあんたたちのせいじゃないのぉ?」


 口元に浮かべた笑みを消すことなく、友理葉は片手をひらひらとさせてそういった。

 瞬間、場の空気にピリッとした怒気が混じり、目の前の女子生徒の顔がみるみるうちに怒りで満たされていく。

 元が綺麗な顔立ちをしているだけに怒ったときの怖さが際立っている。美人は怒ると怖いというが、そのとおりだ。

 多くの人が恐怖を感じそうだが、友理葉は怯えることなく、堂々と相手を見つめ返した。


「あんた……っ、本当いい加減に――!」

「ねえ」


 女子生徒が怒りのまま片手を振り上げる。

 だが、友理葉が一言発した瞬間、ぴたりとその動きが止まった。


「そうやってさぁ、自分の魅力も武器にできないんじゃ、もったいなくない?」


 にこにこ、にこにこ。

 口元に歪んだ笑みを浮かべたまま、友理葉は一歩踏み出し、相手との間にあった距離を詰めた。

 振り上げた手は振り下ろされず、振り上げた状態のままで固まっている。

 ――振り下ろせないのだ。目の前にいる透石友理葉という気に入らないクラスメイトを一度ひっぱたいてやりたいと思っているのに。


 友理葉が浮かべている笑顔が妙に不気味に感じられて――不気味故に恐ろしく感じられて、凍りついたかのように身体が動かない。

 横目で一緒に友理葉を呼び出した友人たちに目を向けると、彼女たちも友理葉の雰囲気の変化を感じ取ったのか、表情を引きつらせていた。

 周囲の音が全て消え去ったかのような、不気味な静寂が耳に痛い。

 数分前までは運動部の声が遠くから聞こえていたはずなのに、友理葉の声以外、何も聞こえなくなっていた。


「そうやって自分の綺麗さも可愛さも、ぜぇんぶ無駄にしてるならさぁ」


 妙に甘ったるい、聞いていて腹が立つ声が女子生徒たちの耳にへばりつく。

 ゆっくりと友理葉が手を伸ばし、目の前に立つ彼女の頬に触れた瞬間、びくりと大げさなほどに両肩を跳ねさせた。

 一回、二回と優しい手付きでなめらかな頬を撫でたあと、友理葉は彼女の耳元に唇を寄せた。


「私が活用してあげるからさぁ。ぜぇんぶ、私にちょうだい?」


 甘い甘い毒の声で囁いた次の瞬間、女子生徒たちの足元から。

 ぐありと。


「――え?」


 巨大な獣の口がモグラのように飛び出してきて。

 ワンテンポ遅れてあがった悲鳴ごと彼女たちを飲み込んで。

 その場に残るのは、ただ一人だけ。


「……ふふ」


 くすくす、くすくす。

 自分以外の女子生徒の姿が消えた校舎裏の空気を、友理葉の笑い声だけが揺らしていた。

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