2-1-5 緑眼の主は噂を知る
「どうして駄目なんですかぁ? ほら、こうしてちゃーんと入部届けも持ってきたのにー」
「どうしても何も、さっき説明したとおりだ。お前は俺の話をちゃんと聞いてたのか?」
もう一度深いため息をつき、調理準備室の入り口前に立っている男子生徒――美食部の部長であり、二重の意味で璃羽の先輩である燎良がそういった。
発する声は非常に刺々しく、目の前にいる女子生徒への敵意や嫌悪、抵抗感を一欠片も隠しもしない。
きっと表情も不機嫌なのを一切隠していないだろうに、あの子は怖くないのだろうか。
疑問に思いながらも様子を見続ける璃羽の視線の先で、二人のやり取りは続く。
「廃部の危機に晒されるほど部員が少ないわけじゃない、そもそも部室がそこまで広くないから人数を無駄に増やしても活動場所に困るだけ。すでに定員オーバーしてる以上、これ以上は受け入れられない。わかったか?」
「えー。でもでも、部室が狭いなら調理準備室じゃなくて調理室を部室ってことにしてもらえばいいじゃないですかぁ。顧問の先生にも相談したら、きっといいよって言ってもらえますよ」
甘えるような声でそういって、女子生徒がわずかに首を傾げる。
「それに、先輩は定員オーバーって言いますけど、先輩以外の人が出入りしてるところ全然見ませんしぃ……定員オーバーってちょっと信じられないっていうかぁ……」
璃羽が定期的に出入りしているのだが、女子生徒はその姿を見たことがないのだろうか。
彼女の主張を不思議に思いながら、璃羽はわずかに首を傾げる。
(このままお話が一段落するまで待ってようかな……でも、燎良先輩、困ってるかもしれないし……)
ここで割り込んでいったら、少々面倒なことになるんじゃないか。
いやでも、燎良が少し困っているのだとしたら助け舟を出して会話を中断させたほうがいいのではないか。
ぐるぐると考えながら、できるだけ足音を殺し、二人との間にあいていた距離をほんの少しだけ詰める。
一歩、二歩、迷いながらの慎重な足取りが続いていたが――燎良の変化に気づいた瞬間、そんな考えは頭の中から完全に消え去った。
「……お前……」
燎良の声により鋭い棘が混じる。
距離を少し詰めたことにより、燎良がすぅっと目を細めるのが見えた。
あれは――燎良が強い苛立ちを感じた際に見せる変化。抑えている怒りが爆発しそうになっているときに現れるサインだ。
「わ、わーっ! 先輩、すみません遅れましたーっ!」
瞬間、璃羽は大声で叫びながら駆け寄り、燎良と女子生徒の前に勢いよく飛び込んだ。
突然の乱入者に燎良はもちろん、女子生徒も目を丸くし、互いに後ろへ一歩下がってわずかに距離を取った。
ちらりと燎良を横目で見やり、目を丸くしている彼へ苦笑いを浮かべてみせる。
少しの間、燎良は無言で璃羽を見つめてきていたが――見知った顔を見たことで落ち着きを取り戻したようだった。
「……遅い。何分の遅刻だ」
「えへへ……す、すみません……。先生からの頼まれごとが長引いちゃって……」
本当は遅刻したわけではない。燎良もそれはわかっているはずだ。
とっさに璃羽が口にした『遅れた』という言葉を利用し、女子生徒との会話を切り上げるために即座に話をでっち上げたに違いない。
璃羽もそれに乗っかりながら、苦笑いを浮かべたまま言葉を紡ぐ。
「……手に持った飲み物を隠していたら、その言い訳を信じたんだがな? まあいい。入って準備をするように」
「う……ほ、本当にすみませんでした……」
そういって、璃羽は浮かべていた苦笑いをより色濃いものへ変えた。
ちらり、と。横目で今度は女子生徒の様子を確認する。
彼女も彼女でぽかんとした顔をしていたが、璃羽という突然の乱入者が現れたのだと理解した瞬間、可愛らしい顔を不満そうに歪めた。
実に面白くなさそうに。
(……?)
璃羽の背筋を一瞬だけ寒気が駆け抜けていくほど、苛立たしげに。
女子生徒はそのまま璃羽を睨みつけ、何か言葉を紡ごうと唇を開いた。
「――そういうわけだから」
けれど、彼女の唇から音が紡がれることはない。
彼女が何か言うよりも早く、燎良が璃羽をかばうかのように調理準備室内に押し込んで言葉を発したからだ。
腕を強く引かれ、まるで放り投げるかのように乱暴に調理準備室の中へ押し込まれ、璃羽は数歩前に大きくよろけた。
幸い転倒は免れたため、胸をほっとなでおろしてから、女子生徒と燎良のほうへ振り返った。
「部員も来たし、そろそろ部活動を始めたい。諦めて帰れ」
「えぇー……。わかりましたぁ……」
燎良はこちらに背を向けているため、どのような表情を彼女に見せているかわからない。
聞こえる声にはいまだに苛立ちや棘が感じられるが、璃羽が割り込む直前よりは落ち着きを取り戻しているように感じる。
一方、女子生徒は璃羽へあんなに不満そうな顔をしていたというのに、その表情がまるで嘘であったかのように可愛らしさを感じさせる表情へ戻っていた。
温厚な璃羽でも、さすがにこれには表情を引きつらせた。
(……花理……。これは……もしかしたら……)
今はこの場にいない幼馴染の姿を脳裏に思い浮かべる。
幼馴染は、目の前にいる女子生徒が何らかの誤解をされているのではないかと心配していたけれど。
(この子……花理が思ってるような子じゃないかも、しれないよ……?)
噂どおりの評判である可能性も、ゼロじゃないのでは――?
そんな最悪の場合が璃羽の頭をよぎって、消えていく。
最後に忌々しげな目で璃羽を一睨みしてから背を向けて歩き出した女子生徒の姿に、璃羽はひっそりと嫌な予感を覚えた。
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