2-1-2 緑眼の主は噂を知る

『放課後 美食部まで』


 全ての授業が無事に終わった放課後。

 ホームルームも終わり、教室は帰宅準備を進める生徒や友人たちと談笑しながら帰路につく生徒たちの声で賑わっている。

 休憩時間とはまた違った賑わいを見せる中、璃羽はスマートフォンに届いたメッセージを確認し、一人頷いた。


『了解しました。何か飲み物を自販機で買ってから向かいますね』


 フリック操作で文字を入力し、素早く返事を書いて送信ボタンをタップする。

 傍目から見れば、何気ないやり取りに見えるメッセージ。

 しかし、放課後に美食部へ向かうということは、璃羽にとって少し特別な時間が来ることを意味していた。


(今日はどんな業獣が食べれるんだろう。ちょっとお腹すいたし何か間食しようかと思ってたけど、お腹すいたままにしておこうかな)


 頭の中にまだ見ぬ業獣料理を思い浮かべ、璃羽は一人で楽しげにくすくす笑った。

 ――璃羽が業獣とはじめて遭遇し、その肉を食べて狩人として生きることを選択した夜から、数週間が経った。

 狩人になると身体の作りや生活が劇的に変わるのかと思ったが、実際にはそうではなく、姫井璃羽は狩人になる前とあまり変わらない生活を送ることができている。

 変わった点があるとすれば、こうして美食部の活動が放課後に行われるようになり、ほんのわずかな時間でもいいから必ず顔を出すようになったことだ。


 部活動といっても、表向きがそうなっているというだけで、中身はまだ狩人としての力が完全に目覚めていない璃羽のために確保された時間だ。

 業獣の肉を口にして狩人になった身ではあるが、璃羽には狩人としての力――業獣と戦い、彼らを狩るための力はまだ目覚めていない。

 そのことに気づいた燎良が、狩りに出られない璃羽のためにこうして業獣の肉を使った料理を持ってきては食べさせてくれているのだ。

 燎良には余計な手間をかけさせているため、申し訳なさはあるが、非常に助かる面が強い。


(燎良先輩から返事が来たら、どんな飲み物がいいかリクエストを聞いておこうっと)


 スマートフォンの画面には、まだ新たなメッセージが届いたことを知らせる通知は届いていない。

 そのうち届くだろうと考え、かちりと横についているスリープボタンを押し、スマートフォンをしまった。


「……楽しみだなぁ、今日の活動」


 るんるんとした気分で教科書やノートを鞄の中へしまっていく。

 今日はどんな料理を持ってきてくれたのだろうか、どんな飲み物なら合うだろうか――そんなことを考えながら片付けを進める璃羽へ、すっかり聞き慣れた声がかけられた。


「璃羽!」


 片付けを進める手を止め、ぱっと顔をあげる。

 璃羽がスマートフォンから視線をそらすのを待っていたかのようなタイミングで声をかけてきたのは、あのとき一緒に業獣による事件に巻き込まれた相手。

 大事な璃羽の幼馴染だ。


「花理。どうしたの? 何か用事?」


 口元に柔らかい笑みが自然と浮かび、優しい声で相手の名前を呼ぶ。

 すると、声をかけてきた本人である花理もつられるかのように笑みを浮かべ、にんまりと楽しそうに目を細めた。


「用事ってほどでもないんだけどさー。璃羽ってば何か楽しそうに見えたから。今日も部活?」

「うん。先輩から今日も部活動があるよって連絡が来たから。花理もいつもどおり部活があるんじゃない?」

「まあねー。最近、図書部のみんなで部誌みたいなのを出そうって話が出ててさ。最近の活動はその原稿作り。慣れないから結構大変なんだけど、これがまた楽しいんだよね」


 そういって、花理はにぱりと花が咲くかのように表情を輝かせた。

 彼女が業獣の宿主になったときは、こんな可愛らしい笑みが似合うような人物ではなくなってしまっていたが――業獣の狩猟に成功してからは、すっかり璃羽がよく知る待雪花理という人物に戻っている。

 業獣の宿主になっていた間の記憶も失われ、普段どおりに戻った幼馴染の姿を見るたび、心の底からほっとする。

 心の中でひっそり安堵の息をつき、璃羽も柔らかく目を細めて笑った。


「そっか、花理も部活が楽しいならよかった」

「このとおり、すっかり楽しんでるから大丈夫! 真島野先輩、どうも親しい女の子がいるみたいだから、ちょっとつらいけど……。でも、まだ先輩があの子を好きって決まったわけじゃないし、諦めなかったらあたしにもチャンスがあるかもしれないから、頑張る!」


 真島野先輩と口にした瞬間、花理の顔が曇る。

 意中の相手が女子生徒と親しそうに接している場面を見てしまったのは、彼女が業獣の宿主になっていたときのことだ。

 しかし、この様子だと業獣から解放されたあとにも、件の女子生徒と接している姿を目撃してしまったのだろう。

 だが、次の瞬間には再びぱっと表情を明るくさせ、両手をぐっと握ってガッツポーズのような仕草をしてみせた。


(……よかった。花理、これなら嫉妬心に囚われることはなさそう)


 心の中で呟き、璃羽はもう一度安堵の息をつく。

 ちょうどそのタイミングで、花理があっと何かを思い出したかのように声をあげた。


「……そうだ。璃羽、そのことでちょっと聞いてほしいことがあるんだけど……今、少しだけいい?」

「え、聞いてほしいこと?」


 きょとんとした顔で花理の言葉を復唱する。

 目の前にいる花理は、先ほどまでの表情を一変させ、再びわずかに曇った顔を見せていた。

 ほんのわずかに思考を巡らせたのち、璃羽は先ほどしまったばかりのスマートフォンを確認する。


 燎良からの連絡は――まだ来ていない。返事が届いたら向かわなくてはならないが、返事が届くまでの間だったら話を聞けるかもしれない。

 長引いてしまっても大丈夫なように、念のために花理の話を聞いてから向かうことを追加のメッセージで伝える。

 きちんと送信されていることを確認すると、璃羽は改めてスマートフォンをしまい、花理を見上げた。


「うん。ちょっとだけならいいけど……どうしたの?」


 こくりと頷き、花理へ了承の意を返す。

 花理はほんのわずかに安心したように表情を緩めたのち、璃羽の前の席に腰を下ろした。


「その……真島野先輩と仲良さそうな女の子について、少し気になる噂を聞いちゃって……」


 心配や不安をあらわにした声でそういった花理へ、璃羽はわずかに首を傾げた。 

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