7-5 姫井璃羽と《緑眼の獣》
調理室に設置されているテーブルに燎良とともにつき、朱鳥を筆頭とした料理人たちが集まっている調理台を見つめる。
璃羽の視線の先に集まっている朱鳥たちは、台車の上から布にくるまれたものを調理台の上に移動させ、何やら言葉を交わしていた。
遠くからではどのような話をしているのかわからないが、調理台の上に乗せられたものが何なのかは予想ができる。
(あれが、業獣『緑眼』の肉なんだろうな)
璃羽の記憶の中にある業獣は、こちらを簡単に噛み砕いて飲み込めてしまいそうなほどに恐ろしい獣だ。
しかし、燎良の手によって狩られ、暮星協会の人間の手によって解体され、ブロック肉の状態になった今ではすっかり小さくなってしまった。
解体前と後ではこんなにも変わるのか――と考えてしまう。解体すれば小さくなるのは当然なのだが。
「さて、と。みんな、今回はお客さんもいらっしゃるし、特に張り切ろう。腕によりをかけてとびっきり美味しいものを作るぞ。いいな?」
「はい!」
朱鳥の凛とした声が空気を震わせる。
続いて料理人たちの元気な返事も調理室の空気をびりびりと震わせ、璃羽の肩が思わず跳ねた。
ちらりと傍に座っている燎良に目を向けるが、燎良はテーブルに頬杖をつき、特に驚いた様子を見せずに朱鳥たちを眺めていた。
「あの……燎良先輩。苺原さんたちって、いつもあんな感じなんですか?」
燎良のほうへ身を寄せ、璃羽はそっと小さな声で囁くように問いかける。
すると、燎良は一瞬だけ璃羽へ視線を向け、またすぐに朱鳥たちのほうへ視線を戻し、同じくらいの声量で答えた。
「いや……元気がいい人たちではあるけど、あそこまでの大声を出すのは珍しい。多分、気合いが入ってるんだろ。外部の人間に業獣の肉を使った料理を出すのは本当に珍しいから」
苺原さんたちも料理人だから、やっぱり慣れ親しんだ奴ら以外に料理を食べてもらえるのは嬉しいんだと思うよ。
最後にそう付け足された燎良の言葉に耳を傾けながら、璃羽も朱鳥たちへ目を向ける。
朱鳥たちは璃羽と燎良が座っているテーブル席から離れた場所にいるため、遠目で観察することしかできない。
しかし、心なしか朱鳥はもちろん、彼女とともにいる他の料理人たちまで――きらきらとした目をしているような気がした。
璃羽と燎良が見守る中、朱鳥が再度凛とした声を調理室全体へ響かせる。
「よし。みんな気合いが入っているようで嬉しく思う。今回使う肉は結構大きいから、何品かに分けて使い切る。同じ規模のブロック肉が後々でもう一つ運ばれてくるから、そっちは保存食にするように。……では、始めるぞ!」
「はい!」
朱鳥に続き、料理人たちの声が空気を強く震わせた。
次の瞬間、一つの場所に集まっていた料理人たちがいくつかのグループに分かれ、複数ある調理台の前へ移動していった。
そのうちの一つである調理台の前で、朱鳥が丁寧に手を洗ってから包丁を手に取った。
手伝い役と思われる女性の料理人が調理台に乗せられていたものに触れ、布を取り払う。くるまれていた布がなくなれば、ジビエ肉を思わせる少し赤みの強い肉が姿を現した。
朱鳥はその肉をまな板に乗せると、静かに包丁を入れる。銀色にきらめく刃がすーっと肉に入っていき、肉を断ち、食べやすい大きさへ切り分けていく。
食べやすい大きさに何枚かスライスしている間、また違う料理人が違うまな板の上でアスパラガスを食べやすく切り分け、ニンニクをスライスしている。
ブロック肉を使う分だけスライスすると、残りを他の班の下へ持っていったのち、スライスした肉へ片栗粉をまぶした。
(片栗粉……ということは、揚げ物にするのかな)
璃羽が思い浮かべたことを肯定するかのように、朱鳥の補佐をしている料理人がフライパンを取り出し、多めに油を引いた。
フライパンと油が十分に温まった段階で、朱鳥が片栗粉をまぶした肉を中へ入れた。
じゅわり、ぱちぱちぱち。油の中に放り込まれた肉が加熱され、揚げられる音が調理室の空気に入り交じる。
揚げ焼きにされる肉の音と、フライパンから漂う食欲を誘う香り。香ばしさをめいっぱいに感じられる香りが璃羽の鼻をくすぐり、ぐぅと空腹感を強く刺激した。
「……美味しそう」
今、調理されているのは璃羽を襲った化け物の肉だ。
わかっているけれど、璃羽の中で嫌悪感や抵抗感が生まれることはやはりない。むしろ、食欲が腹の底から湧き上がり、ごくりと喉を鳴らした。
命の危険がある状況を切り抜け、一段落ついたこと。目の前で、リアルタイムで料理が作られていること。二つの要因が重なり、璃羽に空腹感を強く自覚させた。
そんな璃羽の様子を横目で見ながら、燎良が口元にほんのかすかな笑みを浮かべる。
二人がそうしている間にも調理は進み、朱鳥が料理人たちへ凛とした声で呼びかけていた。
「揚げ焼き、順調だ。他はどうだ?」
「スープ班も順調です!」
「ステーキはこれから焼きに入ります」
「サラダも問題なく提供できそうです、先に提供しても問題ないでしょうか?」
「そうだな。提供できそうなものはどんどん提供して。ステーキ班は焼き立てを提供できるように調節して」
朱鳥の呼びかけに対し、あちらこちらで声があがる。
返ってきたそれらの声に素早く指示を出しながら、朱鳥はフライパンの中で揚げ焼きにされている肉をひっくり返した。
じゅわり、ぱちぱちぱち。少し弱まっていた油の音が強まり、璃羽の空腹感をまた刺激した。
その音を賑わせるかのように、ステーキ班にいる料理人たちが鍋を火にかけ、バターとニンニクを入れて熱する。
ニンニクの特徴的な香りがふわりと漂ってくる中、適度な分厚さでカットされた業獣の肉がその中へ放り込まれた。
肉が焼ける食欲を誘う音と香ばしい匂いが場の空気に入り交じる。
「……燎良先輩って、いつもこんな中で待ってるんですか……?」
璃羽はもうお腹がすいて死にそうだが、燎良は涼しい顔で料理が出来上がるのを待っている。
テーブルに上体を預けてしまいそうになるのを堪えながら問いかければ、燎良はわずかに肩を揺らして笑った。
「大体いつもこんな感じだが、まあ慣れたら耐えられるさ。それに、もうじきに出来上がるだろうさ」
「うう……早く出来上がってほしいです、本当に……」
童謡の歌詞で腹と背中がくっつくぞというものがあるが、本当にそうなりそうなほどに腹が空いて仕方ない。
小さく唸りそうになるのも堪えながら静かに待ち続けて――やがて、璃羽と燎良の前に料理が盛り付けられた皿が置かれた。
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