7-3 姫井璃羽と《緑眼の獣》

 自動ドアが開き、最初に璃羽の目に映ったのはシンプルな玄関ホールだ。

 壁に掲示板が設置されており、地域の催し物の知らせや施設内で開催されるイベントのお知らせが張り出されている。

 出入り口の近くには一息つけそうなソファーがいくつか用意されており、誰でも使えるようになっていた。


 玄関ホールから続く廊下の奥に進めば、事務室や図書室に移動できるようになっている。図書室をちらりと覗き込んでみたが、図書室というよりは小さな図書館のようで、読書好きの心をくすぐるものがあった。


「……うーん、本当に普通の施設みたいな感じなんですね……」


 燎良に手を引かれるまま、璃羽はきょろきょろとしきりに周囲を見渡しながら協会の中を進んでいく。

 その途中、璃羽が思わずといった声色で呟けば、燎良が肩を揺らしてくつくつ笑った。


「さっきも思っただろ? 公民館みたいだって。一体何度同じことを思うんだ?」


 燎良の声は呆れたようなものではなく、うんざりしたようなものでもない。わずかに肩を揺らして笑いながら言葉を紡ぐ様子は非常に楽しそうなものだ。

 頬を人差し指で軽くかきながら、璃羽も燎良の言葉に返す。


「その……何度でも思っちゃうんですよね。こういう、世界の裏側に関する施設に足を踏み入れるのもはじめてなので……」

「はじめて見るからこそ興味深く感じるみたいな感じか? まあ、そうなっても仕方ないか」


 これまで一度も目にしたことがないものは、すごく新鮮で興味深いものに見えるはずだから。

 そう言葉を付け加え、燎良は再度視線を正面に向け、足を進める。

 二人が階段を登るかつんかつんという足音が静かな空気を震わせた。

 人の気配をほとんど感じない協会内をどんどん進んでいきながら、璃羽はちらりと燎良へ視線を向けた。


(……石楠先生は確か、燎良先輩に『協会の人たちを紹介してあげて』……って言ってたっけ)


 数分前、有護が口にしていた言葉を再度思い浮かべる。

 璃羽の聞き間違いでなければ、有護は確かにそういっていたはずだ。業獣の肉の搬入に時間がかかりそうだから、その間に協会の人間を璃羽へ紹介してほしいと。

 しかし、ここまで移動してきた中で、協会の関係者と思われる人物には一度も遭遇しなかった。


 それどころか、璃羽と燎良、そして外にいる有護たちや業獣の肉を運んでくれた人たち以外の人間の姿は見かけていない。協会の中はしんと静まり返っており、ちょっと不気味に感じるぐらいだ。

 本当に協会の関係者と出会えるのだろうか、それとも一階にいないだけで他の階に集まっているのだろうか。

 心の中に浮かんだ璃羽の疑問は、燎良とともに二階へ到着した途端に消え去った。


苺原まいはらさん、いる?」


 二階の廊下を歩き、第一調理室と札がかかった部屋を覗き込んで燎良が声をかける。

 璃羽も戸惑いながら室内を覗き込んでみれば、燎良の声と二人の気配に反応してぱっと振り返る女性の姿が見えた。


 覗き込んだ部屋の中は、表札に記されたとおり調理室のような作りになっている。結構な広さがある室内にシンクやコンロと一体化したタイプの調理台が複数並んでいる。

 調理台の下には収納が取り付けられており、おそらくそこにさまざまな調理道具がしまわれているのだろう。

 壁際にはホワイトボードが設置されていて、何かが書かれた紙が大量に貼りつけられていた。

 いかにも調理をする場所だという空気に満ちた部屋の中で、燎良が苺原と呼んだ女性は調理台の一つの前に立っていた。


(……綺麗な人だ)


 部屋全体から女性へと視線を移し、璃羽は頭の片隅でそんなことをぼんやり考えた。

 とても綺麗な女性だ。すらりと伸びた背は高く、スレンダーな人という印象が強い。

 綺麗な黒髪を首の後ろで一つに結び、バンダナを三角巾のように結んでいる。シンプルなシャツにスラックスという動きやすそうな服装をしており、その上からエプロンを身に着けている。

 眼鏡のレンズの向こう側に見える目は綺麗な琥珀色で、目が合う人に穏やかそうな印象を与える人だ。

 じっと静かに観察する璃羽の視線の先で、苺原と呼ばれた女性がふわりと笑った。


「おかえりなさい、燎良君。君がお客さんを連れてくるとは珍しい。今回のターゲットと関係のある子かい?」


 彼女の唇から紡がれた言葉は勇ましく、璃羽が予想していたものとは少々異なった。

 穏やかそうな印象のとおりではなく、勇ましい雰囲気を感じさせる口調で話す人――璃羽の中で印象が塗り替わり、思わず目を丸くした。

 一歩、二歩。ゆったりとした歩調で女性はこちらへ近づいてきて、璃羽を見下ろしてきた。


「ああ。こいつの選択にもよるけど、今後苺原さんの世話になるかもしれないから連れてきた。苺原さんが作った保存食も問題なく食べてたから、才能はあると思う」

「なるほどな。狩人ではないのにあたしが作ったものを食べてくれるとは嬉しくなるじゃないか」


 燎良の言葉を耳にし、女性がにんまりと笑う。

 どこか嬉しそうにも見える彼女の顔をぽかんとした顔で見つめていると、女性がゆっくりと手を差し出してきた。

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