最終話 姫井璃羽と《緑眼の獣》

7-1 姫井璃羽と《緑眼の獣》

 無事に終わった。

 今度こそ決着がついた。

 その現実を認識した途端、璃羽の両足から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。


(……よかった)


 最後は思っていたよりもあっけなかったが、二匹目の業獣『緑眼』はもともと弱っていた。

 むしろ、弱っている獲物相手にそれほど苦戦せず、決着をつけられてよかったと考えるべきだ。


(……よかった、本当に……)


 皆が皆、無事――というわけではないが、誰一人として欠けることなく、狩りを終えることができた。

 なんとか業獣を全て狩れたという現実を噛み締め、璃羽はへたり込んだ姿勢のまま、何度も深呼吸を繰り返した。

 かつり、こつり。かすかな足音をたて、燎良がそんな璃羽の前に立つ。

 視界にわずかな影が落ち、璃羽はゆっくりと燎良を見上げた。


「……大丈夫か?」


 静かな声で問いかけ、燎良がこちらへと手を差し伸べた。

 夜空と街灯の明かりを背負い、燎良の髪や肌、衣服が光でぼんやりと縁取られている。

 影が落ちた燎良の顔は表情が見えづらいが、彼の赤い目は影が落ちた中でも不思議と輝いて見えた。


 璃羽が道端で座り込んでいて、燎良がそれを見下ろしている。まるではじめて出会ったあの日のような構図だ。

 あのときは目の前で起きた非日常が恐ろしくて、燎良が何者なのかわからなくて、逃げ出してしまったが――今はもう逃げ出すことはない。


「……はい。このとおり、大丈夫です」


 笑みを浮かべ、璃羽は差し伸べられた燎良の手に己の手を重ねた。

 こちらへ差し伸べられるこの手は、今はもう恐れる対象ではなく、大きな信頼をおける頼りになる手だ。

 軽く手を引っ張り、へたり込んでしまっていた璃羽を助け起こすと、燎良はじっくりと璃羽の姿を見つめる。

 怪我一つなく、様子に何らかの異変もない。至って普通そうな様子であるのを静かに観察したのち、ほっとした表情で一つ頷いた。


「……大丈夫そうだな。よし」


 安堵を滲ませた声で呟いたのち、燎良は有護を見る。


「協会への連絡は?」

「ちゃんとするから大丈夫だよ。その間、燎良は姫井さんと休んでて。今回は業獣『緑眼』が二匹いたっていう想定外も発生したし、そのせいで負傷もしたし、疲れたでしょ」


 そういって、有護はスマートフォンを取り出し、燎良と璃羽の二人から距離をとった。

 少し離れた場所でどこかに電話をかけている有護の背中をぼんやり見つめていた璃羽だったが、有護が口にした言葉を心の中で復唱し、はっと声をあげた。


「あ……そ、そうだ! 燎良先輩、傷は大丈夫なんですか?」


 燎良が負傷した光景は、今も鮮明に思い出せるくらいに璃羽の脳裏に焼き付いている。

 負傷してすぐの頃はあんなにつらそうにしていたのだ、今は平気そうな顔をしているが相当な痛みに苛まれているはずだ。負傷した状態でさらに戦闘を行ったのだから、傷口から再度出血していてもおかしくない。


 先ほど燎良がそうしていたように、璃羽も燎良を頭の先から爪先まで観察し、彼の身体に巻かれた包帯にも目を向ける。

 包帯が真っ赤に染まっている様子も想像したが、璃羽が思い浮かべた最悪の光景とは異なり、燎良の身体に巻かれた包帯は真っ白なままだ。


「そんなに慌てなくても大丈夫だっての。業獣を食べ慣れた狩人の身体は、普通の人間とは違うんだよ」

「そう……なんですか? 燎良先輩が大丈夫なら、いいんですけど……」


 心配は簡単に拭えそうにないが、燎良本人の言葉どおり、今の彼は負傷していないときとほとんど変わらない。

 さすがに顔色は普段よりも悪いが、痛みに苦しんでいる様子や再出血している様子は一切見当たらない。

 業獣を食べ慣れた狩人たちの身体は人間とは異なる。

 一般人である璃羽と、狩人である燎良。やはり、自分と燎良は異なる世界にいる。


(……あれ?)


 ふと、璃羽の脳裏に先ほど燎良が口にした言葉がよみがえった。


『業獣を食べ慣れた狩人の身体は、普通の人間とは違うんだよ』


 先ほど燎良は確かにそういっていた。

 思い出せば、燎良が何も知らなかった璃羽へ狩人がどのような存在なのか説明してくれたときも同じようなことを言っていた。

 自分たちに宿る業獣の力をコントロールするために、業獣を狩ってその肉を食べる――あの日、はじめて璃羽が業獣と狩人たちの世界について知ったときにそう説明してくれたはずだ。


「あの……燎良先輩。業獣って……食べれるんですか?」


 すでに一度そういう説明をしてもらったというのに、璃羽の唇から紡がれたのはそんな言葉だった。

 燎良もきょとんとした顔で璃羽を見つめ、数回ほどゆっくりと瞬きをしたのち、口を開いた。


「ああ。お前にはじめて業獣と狩人について説明したときもそういっただろ?」

「そうなんですけど……なんだか、こう……改めて、食べれるのかなと思ったといいますか……」


 そういいながら、璃羽は横目で燎良が狩った二匹の業獣を見る。

 黒い毛並みに鋭い目、人一人をたやすく飲み込めそうなほどに大きな四足歩行の獣。犬に近い姿形をしているけれど、犬よりもはるかに醜悪で、はるかに恐ろしい獣。

 口頭で説明を受けたときはそういうものなのかと考えたが、実際に業獣を間近で見てから同じことを考えたとき、本当にこれは食べられるのかと思ってしまったのだ。

 すでに事切れて動かなくなった二匹の業獣を見つめながら、璃羽は真っ直ぐに燎良を見る。


「でも……どうやって食べるんですか? 今の状態だと食べれませんよね?」


 一般的な狩りをしたことがない璃羽でも、肉を食べるには狩った獲物を解体する必要があることは知っている。

 だが、ここで解体を行うわけにはいかない。もしここで業獣を解体しようものなら、誰かに目撃されて通報されるだろう。

 心に浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、燎良が小さく納得したような声を出したあと、有護へ視線を向けた。


「さっき、先生が協会に連絡するって言ってただろ。業獣を狩ったあとは協会に連絡して、運んでもらうんだ。で、協会で解体して調理する」

「協会って……暮星協会ですか?」

「ああ」


 璃羽の言葉に対し、燎良が頷く。


「業獣たちと戦い、その肉を必要とする狩人たちをサポートするために誕生した協会。暮星協会には、業獣の解体と調理を専門とした奴らがいるんだ」


 きっとお前も目にすることになる。璃羽も業獣の狩りに参加した人間だから。

 そう付け加えた燎良の声が、妙にはっきりと聞こえた。

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