6-6 緑眼の真実と決着

「今、僕らを守ってくれている結界も、これを身に着けている人ならいつでも解除することができる。結界を解除したいときはブレスレットを身に着けている手を前に出して、指を鳴らすだけでいい」


 有護の声に耳を傾け、璃羽は小さく頷いた。

 本来の持ち主である有護の話からすると、このブレスレットには業獣を直接傷つける力はないのだろう。

 有護が発した言葉も、全て守りの力。ブレスレットの力を使って業獣を傷つけるためにはどうすればいいのかといったことは一切語らなかった。

 ということは――ブレスレットに宿っている力は、おそらく守りに特化したものだ。


(……でも、それでも十分)


 守りに特化した力でも、業獣と渡り合うために必要な力だ。

 業獣と戦うための力を一切持たない璃羽にとって、非常に大きな力になってくれる。


(むしろ、これで十分)


 いきなり業獣とやり合うために必要な攻撃的な力を渡されても、璃羽では上手く扱えないおそれもある。

 その危険性を考えれば、守りに特化した力は非常に適している気がした――璃羽がしくじれば燎良や有護、花理が危険にさらされるという責任感は生まれるが。

 ちらり。燎良の目がこちらへ向けられる。

 発する言葉はなく、唇は動かない。

 そのかわりに、璃羽を見つめる燎良の目に言葉と思いが込められていた。


 行くぞ。


 音のない燎良の言葉に、璃羽も静かに頷いて返事をする。

 利き手にブレスレットをはめ、手を伸ばす。

 親指の先端に中指を乗せ、薬指を親指の付け根に添え、璃羽はちらりともう一度だけ燎良に視線を向けた。


 視線の先で燎良も小さく頷き返したのを見て――璃羽は中指を親指の付け根に当てるように素早く滑らせ、指を鳴らした。

 ぱきん。

 かすかな破裂音が空気を震わせた途端、先ほどまで何かに遮られていた業獣の爪が容赦なく燎良へ振り下ろされた。


「燎良先輩!」

「大丈夫、見えてるっての!」


 だが、業獣の爪が燎良に届くことはない。

 業獣が爪を振り下ろす動きに合わせ、燎良もナイフを振るう。

 爪とナイフの刃がぶつかる硬質的な音が響き、燎良を切り裂くはずだった業獣の爪は勢いよく弾かれた。


「グルマンディーズ、やれ!」


 その瞬間、燎良が自身が連れている巨獣へ叫んだ。

 ただ静かに燎良の様子を見ていたグルマンディーズがぴくりと耳を動かし、業獣へ鋭い目を向ける。

 かと思えば、次の瞬間にはグルマンディーズの前足が動き、体勢を崩した業獣の身体を容赦なく切り裂いた。


 先ほどまでは弱った燎良を観察しているだけだったのに、燎良が再び戦う意志を取り戻せば彼の言葉に従うようになった――。

 やはり、グルマンディーズは、人間や他の動物とは違うルールで生きている。

 狩人たちの世界についてほとんど知らない璃羽でも、グルマンディーズの姿からそれを感じ取ることができた。


(……だとしたら、燎良先輩は今、私が思っている以上に危ない状態なのかもしれない)


 燎良には、狩人としての知識や業獣との戦闘といった経験がある。

 しかし、今は璃羽のせいで傷を負い、万全とは程遠い状態。いくら業獣との戦いに慣れていて相手が負傷しているとはいえ、油断すると手痛い一撃を食らってしまうのには変わらないだろう。

 もし、燎良が再び負傷すればグルマンディーズは今度こそ弱った燎良へ牙をむくかもしれない――。

 そう考えた瞬間、璃羽の背筋にぞっと寒気が駆け抜けていった。


(……私が、先輩を守らないと)


 璃羽が燎良を守るのが少しでも遅れれば、想像以上の被害に繋がってしまうかもしれない。

 ブレスレットをはめた手で燎良を指し示し、璃羽は大きく深呼吸をした。


「……大丈夫、大丈夫……」


 落ち着いて前を見据え、業獣の攻撃のタイミングに合わせれば大丈夫なはずだ。

 緊張や不安で早鐘を打つ心臓を落ち着かせ、じっと業獣を見つめる。

 もともと燎良が一度傷つけて負傷させていた個体だ。グルマンディーズから受けた新たな一撃も加わり、巨大な身体には傷がついていない箇所はないといっていいほど傷だらけだ。

 あともう少しで狩ることができると思われるが、だからといって油断はできない。


 ――ぐぉ、お、おぉおぉお!


 業獣が緑色に染まった目で璃羽を睨み、続いて燎良とグルマンディーズを睨みつけた。

 あれが璃羽から誕生した業獣なら、宿主である璃羽も捕食対象に入るはず。

 だが、燎良とグルマンディーズがいる以上、璃羽にはそう簡単には近づけない。燎良とグルマンディーズも、業獣が璃羽に近づくのを簡単に許さない。

 業獣もそう判断したのか、それとも純粋に己へ傷をつけた人間を許せないという思いからか。どちらなのかはわからないが、迷わず燎良に牙をむいた。


 鈍く光る牙が燎良に迫る。

 傷ついた彼の身体を噛み砕こうとする。

 燎良の身体に獣の鋭い牙が食い込み、血で赤く汚れる瞬間が璃羽の脳裏に浮かんだ。


「――今!」


 その未来には繋がらない。繋がらせない。

 明確な意志の下、璃羽は燎良をブレスレットをはめた手で指し示した。


 がきん。


 届くはずだった牙は遮られ、噛み砕かれるはずだった燎良の身体は血で濡れることはない。

 確実に噛み砕けるというタイミングで攻撃が遮られ、業獣が怯んだかのような反応を見せた。

 業獣の緑の目が大きく見開かれ、ほんの一瞬だけ業獣の動きが止まった。

 ほんのわずかな隙。見逃してしまいそうなほどの短い隙。


 ――それを、狩人である燎良は見逃さない。


「よくやった、璃羽!」


 一言褒める言葉とともに、燎良の手元で白刃が踊る。

 振るわれたナイフの刃が深々と業獣の首元を切り裂いた。

 赤黒い液体が燎良の手を、身体を汚し、巨大な身体が地面へと横たわる。

 騒がしいほどだった音が一瞬で消え去り、しんと辺りに再び夜の静寂が広がった。


「――絶命確認、狩猟完了」


 先ほども口にしていた言葉を紡ぎながら、燎良の手がナイフを振るう。

 ひゅんと風を切る音とともに刃に付着していた血が振り落とされ、振るわれていた刃はケースの中へと姿を消した。


「今度こそハントナイトを終了する」


 静かな声が響く。

 今度こそ、業獣『緑眼』との決着がついた瞬間だった。 

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