6-2 緑眼の真実と決着

 グルマンディーズは、燎良のパートナーのような立場だ。

 けれど、璃羽が思っているような純粋なパートナーという関係ではないのだと。

 業獣は人間とは大きく異なる生き物で、人間が思うような生き物ではないのだと。

 改めて、そのことを突きつけられたかのような気分だ。


「先生」

「わかった」


 璃羽の腕の中から燎良が有護へ手を伸ばす。

 ただ呼んだだけの短いやりとりだが、二人にはそれだけのやりとりで十分らしい。すかさず有護が懐から丸薬のようなものと包帯を取り出し、燎良の手に乗せた。

 受け取った丸薬をすぐに口へ入れた燎良が璃羽の腕の中からゆっくり抜け出す。


「燎良先輩、動いたら、血が」

「大丈夫だ。それより、璃羽。お前、手当てはできるか? 包帯巻いてくれると助かる」

「あ……は、はい」

「頼んだ」


 燎良に言われ、璃羽は戸惑いながらも頷いた。

 完全に素人だが、包帯なら璃羽にも巻ける。正直なところ、今すぐ病院へ行ったほうがいいくらいの傷なのだが――業獣と遭遇している今、病院へ足を運ぶ余裕などない。

 燎良が身にまとっているシャツのボタンを外す。あらわになった傷から目をそらしたくなったが、ぐっと堪え、横から有護が出してくれた手当て道具を使いながら彼の手当てを開始した。

 傷口の上からタオルを押し当て、圧迫する。白いタオルが赤く染まっていく様子に泣きそうになりながらも、璃羽はタオル越しに傷口を圧迫する手にさらに力を込めた。

 胴体を圧迫され、燎良がわずかに苦しそうな吐息をこぼしながらも口を開く。


「……そのまま手当てをしながらでいいから聞いてくれ。先生も、そいつの動きに注意しながら聞いてほしい」


 燎良の声が、璃羽と有護の鼓膜を震わせる。


「さっき、業獣は最初から二匹いたと言っていたね。そのことかな」

「ああ。こいつらは最初から二匹だったんだ」


 タオルに赤色が滲む動きが緩やかになっていき、やがて止まる。無事に止血ができたと胸をなでおろし、璃羽はタオルの上からぐるぐると包帯を巻き始めた。

 その間も、耳はしっかりと燎良と有護の声を聞き続けている。


「一匹目を狩り終わったとき、おかしいと思ったんだ。俺が璃羽とはじめて出会ったとき、緑眼にはそれなりにダメージを入れていた。なのに、一匹目はそのときに与えたはずの傷が最初からなかったかのように癒えていた。……潜んでいる間に人間を食らって傷を治した可能性も考えたが、だとするとおかしい。協会が業獣による被害を見逃すわけがない」


 燎良が不可視の壁の向こう側にいる業獣へ目を向ける。

 不可視の壁の向こう側では、緑眼と全く同じ姿をした業獣が壁をひっかきながらこちらを睨みつけている。


「それに、部室で緑眼の目撃情報を確認したとき。俺たちは行動範囲が広い業獣なんだと判断したが、最初から二匹いたのだとしたら行動範囲が妙に広くなるのも頷ける。全く同じ姿をしているのなら、ぱっと見て同一個体と考えてもおかしくない」


 璃羽の脳裏にはじめて燎良と出会った日に見た業獣と、部屋で目撃した業獣の姿がよみがえる。

 部屋で業獣と遭遇した日は、はっきりと見えたのは目だ。けれど、同じ緑の目をしていた。違う個体であったとしても、窓から見えた目だけで違う個体であると判断するのは至難の業だ。


「今、新たに現れたこいつが最初に俺と璃羽が出会った業獣だ」


 燎良の身体に包帯を巻き終えてから、璃羽は改めて新たに現れた業獣を見上げる。

 不可視の壁ごしに見える業獣は、燎良が先ほど狩った業獣と全くといっていいほど同じ見た目をしている。大きな身体、黒い被毛、鋭い爪と牙、そして爛々と輝く緑の目。

 けれど、片目には縦に切り傷が刻まれ、身体は噛みつかれたような傷や切り裂かれたような傷がある。こちらの個体が最初に璃羽を襲った個体なのだと、刻まれたその傷たちがはっきり物語っていた。

 不可視の壁を支えるかのように手を伸ばしながら、有護も業獣へと視線を向ける。


「なるほど。全く同じ姿をしているのであれば、同じ業獣であると考えてもおかしくなさそうだ。……そして、違う個体と交戦していたのなら協会に業獣が人間を食ったという情報を得ていないのも納得できる」


 だって、最初から業獣は人間を食って傷を癒していないのだから。

 燎良が最初に狩ったのは、璃羽とはじめて出会った日に戦った業獣ではなく、別の個体だったのだから。

 けれど、だとしたら――璃羽の中で、一つの疑問が浮上する。

 それは有護も同じだったのだろう。燎良の話に納得したような顔をしていた彼だったが、ふっと訝しげなものへと表情を切り替えた。


「けど、燎良。あれが二匹目の業獣なら、一体誰が宿主になってたんだ? 業獣は人から生み出される。それは燎良もよく知ってるでしょう?」


 璃羽が感じた疑問を、有護が口にする。

 燎良の話を聞いたとき、璃羽の中に浮かんだ疑問もそれだった。

 業獣は、人間の怒りや悲しみといった負の感情が過度に膨れ上がることで生まれ、人が生み出す負の感情をエネルギーにして成長する。そして、十分に成長したら実体化して人間を捕食するようになる――。


 はじめて璃羽が業獣について知ったとき、燎良は確かにそういっていた。新たに現れた二匹目の業獣にも、この法則は適用されているはず――つまり、二匹目の業獣を生み出した宿主がどこかに存在する。

 だが、璃羽が一匹目の業獣の宿主を探していたとき、明らかに様子がおかしいと感じたのは花理だけだ。他に宿主らしき人間は見当たらなかったと記憶している。

 ふ、と。ため息をつくかのように、燎良が短く息を吐きだした。


「いるだろ。緑眼とそっくりな業獣を生み出せそうな人間。俺も気づくのがすっかり遅くなったが」

「……え?」


 燎良の視線が璃羽へと向けられる。

 彼からの視線を感じ、璃羽も業獣から燎良へ視線を戻した。

 ただ、こちらを見ているだけ。睨んできているわけではない。


 ――だというのに、妙に緊張して仕方ない。


「一匹目の宿主とほぼ一緒にいることができて、いろんな一面を目にすることができそうな立ち位置にいる。場合によっては負の感情を刺激されることがありそうな人間」


 どくり、どくり。燎良が声を発するごとに、璃羽の中で緊張感が高まっていく。

 業獣と遭遇した瞬間とは異なる緊張が胸の中に広がり、自然と心臓の鼓動が早まっていく。


(違う)


 そんなわけはない。きっと何かの間違いだ。

 頭ではそう思っても、璃羽の唇から思い浮かべた言葉が紡がれることはなかった。

 唇を何度か開閉させることしかできない璃羽の視線の先で、ゆっくりと燎良の手が動く。軽く手が握り込まれ、人差し指のみがぴんと伸び、迷いのない様子で璃羽を指し示した。


「姫井璃羽。二匹目の業獣『緑眼』が誕生するきっかけになったのは、お前だよ」


 どくり。

 璃羽の心臓がひときわ大きく跳ねた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る