第六話 緑眼の真実と決着
6-1 緑眼の真実と決着
赤い血が璃羽の目の前でほとばしる。
眼前にあるのは、見覚えのある背中。璃羽がつい先ほどまでずっと見ていた背中だ。
「――え」
何が起きたのかとっさに理解できず、間抜けな声が唇からこぼれた。
ぱた、ぱたりと赤い血がコンクリートを汚しているのが見える。けれど、璃羽の身体には傷一つついておらず、痛みも何も感じていない。
今、コンクリートを汚しているのは璃羽の血ではない。
璃羽を庇うように立っている、燎良の血だ。
「――燎良先輩!」
脳が遅れて現実を理解した瞬間に燎良の身体が大きく傾き、悲鳴じみた声が璃羽の喉から溢れた。
一瞬の思考停止状態から回復し、急速に理解した現実は絶望的なものだ。
燎良が叫んだあの瞬間、璃羽の上に落ちた影。こちらが正体をはっきり見る前に振り抜かれた爪。そして、それをかわりに受けて崩れ落ちた燎良の姿。
とっさに両手を伸ばし、その場に崩れ落ちそうになった燎良の身体を受け止める。ぬるりとした己のものではない血液の感触が手に伝わり、ひぅと引きつった悲鳴が璃羽の喉から溢れそうになった。
(なんで、一体、なんで、何が)
ぐるぐると意味のない言葉が璃羽の頭の中で何度も巡る。
おそらく、燎良はあの短い一瞬のうちに距離を詰め、璃羽が受けるはずだった業獣の攻撃から庇ってくれたのだろう。ぱっと考えたらありえないと思ってしまうが、人間離れした燎良の身体能力を目にした今ならすんなりと受け入れられる。
つい先ほどまで燎良と業獣が戦っているのを見ていた。彼が業獣を見事狩る瞬間も目にしていた。数分前まで確かにこちらのほうが優勢だったはずだ。
それがあっという間にひっくり返ったきっかけは、何だった?
「――!」
記憶を整理しようとする璃羽だが、新たに現れた業獣がそれを許さない。
つい先ほど燎良が狩ったものと同じ姿をした業獣がゆっくりと前足を持ち上げる。爛々と燃えるように輝く目は真っ直ぐ璃羽を見据えており、こちらを狙っていることは簡単に読み取れた。
とっさに燎良を庇うように抱き寄せ、襲ってくるだろう痛みと衝撃に備える。
しかし、璃羽の身体に予想されるそれらの痛みが走ることはなかった。
がぎん。
固いものに何かがぶつかる音が空気を震わせる。
己の身体に覚悟していたはずの痛みが全くないことに気づき、璃羽はおそるおそる顔をあげた。
真っ先に見えたのは、振り下ろされた鋭い爪。黒い被毛に覆われた前足から伸びる爪は赤く汚れており、燎良の身体を傷つけたものだとひと目でわかった。
けれど、その爪先は璃羽に届く前に静止している。見えない何かに遮られているかのように。
届くはずだった攻撃が不自然に遮られ、届かなくなる――その現象を、璃羽はすでに一度目にしている。
「姫井さん、燎良、大丈夫!?」
「ッ先生……!」
聞こえた声に反応し、弾かれたような動きで声の主へと視線を向ける。
視線の先には、こちらへ焦りを隠さない歩調で駆け寄ってくる有護の姿があった。
本格的に業獣との戦闘が始まる前も、戦闘が始まったあとも、有護は何らかの方法で燎良をサポートしていた。今、璃羽を守ってくれたのも有護に違いない。
張り詰めていた緊張と不安の糸がわずかに緩み、璃羽の視界が涙で滲む。両足から力が抜け、燎良を支えるように抱えたまま、へたりとその場に座り込んだ。
叶うのなら今すぐに泣き出したい。だが、泣いている場合ではないことは他の誰でもない璃羽本人がわかっている。
大きく息を吸って、吐き出し、今にも零れそうな涙を押し止める。震える呼吸をなんとか落ち着かせ、璃羽は有護を見上げた。
「先生、どうしよう、先輩、燎良先輩が」
璃羽の腕の中にいる燎良は、いまだに動かないし言葉を発しない。繰り返される荒く細い呼吸だけが彼の命を証明していた。
駆け寄ってきた有護が苦々しく表情を歪め、その場に片膝をついて座る。
その間も燎良の身体に刻まれた傷口からは血液が流れており、それが璃羽を余計に焦らせた。
「燎良。燎良、聞こえるか?」
「先輩、燎良先輩」
有護が燎良へ呼びかけ、璃羽も彼の名前を繰り返す。
二人が燎良へ何度も呼びかける間も、業獣が見えない壁を破ろうとして何度も爪を振り下ろしている音が響いていた。
緊迫感に満ちた空気の中、ほんのかすかに、ぴくりと。燎良の指先が動いた。
「……んなに、騒がなくても……大丈夫……だっての」
「!」
数分前とは異なる、わずかにかすれた声。
追い込まれているとわかる声だが、混乱している璃羽を落ち着かせるには十分すぎる力があった。
「燎良先輩、大丈夫ですか!?」
璃羽がもう一度燎良へと呼びかける。
すると、ずっと伏せられていた燎良の目がゆっくりと開かれ、緩慢な動きでひらりと手を振ってみせた。
「一応。……あー……でも、いってぇなこれ……グルマンディーズの奴、特に何もしてなかったなこれ……」
彼の呟きで、璃羽ははっと目を見開く。
そうだ。燎良にはグルマンディーズという頼りになる相棒がいたはずだ。燎良が一匹目の業獣を狩るときも一緒に戦っていたはずだ。
急いで顔をあげて周囲を見渡せば、虎に近い姿をした姿をすぐに見つけることができた。しかし、燎良とともに戦っていたときとは異なり、ただ静かに負傷した彼を見つめている。
まるで弱っていく獲物を見ているかのように感じてしまい、燎良を抱きしめる腕に思わず力がこもった。
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