5-6 狩人の夜の始まり

 浅く息を吐き出して、道路の上に横たわる業獣を見つめる。

 他の業獣との識別のため、緑眼と呼ぶことにしたその業獣は、先ほどまでは暴れまわっていたが今は沈黙している。思っていたよりも力は強かったがその程度。ともに狩りをしているグルマンディーズのほうが、緑眼よりもはるかに強い。

 グルマンディーズの一撃を何度も受ければ、力をつけてきている業獣でも耐えきれないだろう。なんせ、グルマンディーズは長く燎良とともに獲物を喰らい続けてきた業獣の一匹なのだから。


 横たわっている緑眼に近づき、首元に触れる。身体はまだ温かさが残っているが、ゴワゴワとした毛並みの下に感じる皮膚からは脈拍が感じられない。難なく狩りを完了できたという現実をはっきり物語っていた。

 ほ、と軽く息を吐き、燎良は自身の後ろに控えているグルマンディーズを労るようにぽんと撫でた。


「……絶命確認、狩猟完了。ハントナイトを終了する」


 小さな声でいつも口にしている言葉を紡ぎ、燎良はもう一度息を吐いた。今度は深く、長く。身体に入っていた余計な力を抜くように。

 あとは協会の人間へ連絡し、狩った業獣を協会の中へ運んでもらえば燎良の仕事は完了だ。


(……それにしても、思っていたより綺麗だな、こいつ)


 改めて、己の手で狩った業獣の姿を見つめながら考える。

 今回燎良が対峙した緑眼は、璃羽とはじめて出会った夜にも遭遇している。そのときにも傷を負わせたため、もう少し傷だらけの姿で現れると予想していた。


 だが、今夜燎良の前に現れた緑眼は、思っていたよりも傷が目立たない姿をしていた。というよりは、一切の傷を負っていなかったようにも思える。今目立っている傷も真新しいもの――先ほどの狩りの中で、燎良が新たにつけた傷だ。

 以前燎良がつけたはずの目の傷も、グルマンディーズが喰らいついて噛み砕いたはずの箇所も、綺麗に治っている。最初から過去の傷なんてなかったかのように。


「……潜んでいる間に人間を何人か喰らったか?」


 だとすれば、傷が癒えているのも説明できる。

 だが、燎良が協会へ立ち寄ったときは、そのような情報は耳に入らなかった。業獣による被害が新たに出れば、協会はその情報を素早く集めて狩人たちへ伝えるはずだ。

 ただ単に協会が見落としていたのか、それとも情報が伝えられる前に狩りの時が来てしまったのか。

 事切れた業獣の毛並みに触れ、皮膚の状態を確かめながら燎良は思考を巡らせ続ける。


(……何かがおかしい。なんだ、この納得がいかない感じは)


 考えれば考えるほど、もやもやとした感覚がどうしても残ってしまう。

 情報がこちらへ伝えられる前に狩りの時間が来たと考えるのが、おそらく自然だ。しかし、協会の人間が発揮する情報収集能力の高さは他の誰でもない燎良自身がよく知っている。

 それに、これから狩りへ向かう狩人に対し、狩猟対象となる業獣の情報を渡さずにいるのも納得がいかない。


「燎良先輩!」


 背後でこちらの名前を呼ぶ璃羽の声がする。

 彼女の声に反応して緑眼から手を離し、ゆるりと振り返る。

 有護の傍を離れてこちらへ駆けてくる璃羽の顔はどこか心配そうで――そんな彼女を安心させるため、軽く手を振ろうとした瞬間。


 かちり、と。


 頭の中で音がしたような感覚がして、記憶の欠片が繋がっていく。


 目撃情報があった場所を確認するために地図を広げたときに感じた疑問。

 妙に目撃情報が多く、行動範囲が広いと感じた感覚。

 つけたはずの傷が綺麗に治っている緑眼の身体。

 人を喰らって傷を治したのだとしたら、協会側からそのことが伝えられなかったという違和感。


 燎良の頭の中でこれまで得ていた情報が繋がっていき、一つの可能性を導き出す。


「……まさか。まさか、そういうことか?」


 唇から小さく声がこぼれる。

 もし。もし、頭の中に浮かんだ可能性が正解だとしたら――自分たちは、最初から重要なポイントを見落としていたことになる。

 もちろんこの考えが間違っている可能性もあるが、考えれば考えるほどこの答えで正解なのではと思えてきて、燎良の背筋に冷たいものが走った。


 緑眼の宿主は璃羽の親友。璃羽が大切に思っている幼馴染。

 幼馴染ということは、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたことになる。その中で、お互いの良いところや悪いところも見てきただろう。自分にはできなくて相手はできるという点も見てきただろう。


 自分にはないものを持っている相手を見て、幼い頃からずっと何の感情も抱かずに過ごすことはできるのか?


「璃羽! 早くこっちに来い!」


 燎良のほうへ駆け寄ろうとしていた璃羽の目が丸くなる。


「業獣『緑眼』は一匹だけじゃない!」


 有護がはっと目を見開き、璃羽のほうを見た。

 とっさに荷物から対業獣用の道具を取り出そうとしているが、それよりも早く璃羽の足元に落ちている影が不自然に揺らいだ。


「――最初から、こいつらは二匹いたんだ!」


 璃羽の影から先ほど狩ったはずのものと同じ姿をした業獣が姿を現し、彼女の身体へ影を落とす。

 振り返ろうとした璃羽がその姿をはっきり認識するよりも早く、鋭い爪が振り下ろされた。

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