3-4 与えられた救いに手を伸ばす

「そうと決まれば、姫井がもう少し楽に出入りできるようにしないといけないな」


 話が大体一段落したと思われた頃、燎良がふと思い出したような声色で呟いた。

 きょとんとした顔で燎良を見つめ、璃羽はわずかに首を傾げる。今でも問題なく出入りできていると思うのだが、もう少し楽に――とはどういうことだろうか。

 不思議そうな顔をしている璃羽をちらりと見て、燎良は疑問に答えるために口を開いた。


「ここ、一応部活動の一つってことになってるからさ。美食部に所属してるわけじゃない璃羽が頻繁に出入りしてたら変な目で見られるかもしれないでしょ」

「あ……」


 燎良の言葉を聞き、璃羽の喉から納得したような声が出た。

 彼と知り合うことになったきっかけは、美食部の部員募集のチラシを目にしたからだ。ここも、部室というよりは倉庫の印象が強いが――美食部の部室ということになっている。部活動として存在しているのなら、顧問の教師もいるはずだ。


 顧問の教師から見れば、部員ではない璃羽が部室に何度も足を運んでいる様子はあまり好ましくないだろう。場合によっては出入りしないように注意される可能性だってある。

 ……もしそのようなことになれば、璃羽が楽に美食部を出入りするのは難しくなってしまうだろう。


「姫井が協力者になった今、定期的にやり取りをしたい。部室への出入り禁止なんかになったら、上手く連携がとれなくなる可能性だってある」


 言葉を紡ぎながら燎良が立ち上がり、壁際に設置されている棚へと歩み寄る。

 棚に置かれていたファイルを手に取ると、そこから一枚のプリントを取り出して璃羽の下へ戻ってきた。

 差し出されたそれは、氏名を記入する欄と部活名を記入する欄が印刷された――璃羽も目にしたことがある入部届けだ。

 だが、璃羽が目にしたことがあるものとは異なり、入部届けと記されている隣に大きく『仮』とも書かれている。


「先輩、これって……入部届けですか?」


 璃羽がよく知っているものとは異なるけれど。

 差し出されたそれを受け取りながら問いかけると、燎良は静かに頷いた。


「仮入部届け。とりあえず、それに名前を書いてほしい。そうしたら、仮入部届けを顧問の先生に俺が渡しておく。仮入部者ってことがわかれば、変な目で見られないで済むと思う」


 なるほど、と璃羽は小さく頷く。

 璃羽が完全な部外者なら不審な目を向けられてしまうが、仮入部者ということにすれば美食部との繋がりもできる。顧問の先生から見て、不審者として映ることはないだろう。

 さらに、仮入部のため、璃羽が無理に美食部に入部する必要もない。考えれば考えるほど、実に良い案だ。

 璃羽が納得した気配を感じ取り、燎良が仮入部届けに続いて水性ボールペンを差し出した。


 差し出された水性ボールペンを受け取り、仮入部届けにペン先をのせる。一定の音を奏でながら自身の名前を一文字一文字綴っていけば、名前の記入欄に『姫井璃羽』の名前が記された。

 誤字がないことを確認してから、璃羽は燎良へ名前が記入された仮入部届けを差し出す。


「これで大丈夫ですか? 先輩」


 燎良の手が、璃羽から返却された仮入部届けを受け取る。

 そこにきちんと名前が記されているのを確認したのち、満足げに頷いた。


「うん、これで大丈夫だと思う。あとはこっちで顧問の先生に渡しておくから安心して」

「はい。本当にありがとうございます、立藤先輩」


 もう何度目になるかわからない感謝の言葉を添えて、璃羽は深々とお辞儀をした。

 そこで終わりになるかと思われたが、対する燎良は無言で璃羽を見つめたのち、何やら考え込むように顎を指先でさすった。

 思わず璃羽も首を傾げた瞬間、燎良が口を開く。


「立藤先輩って距離を感じる呼び方だな」

「……へ?」


 距離を感じる呼び方――とは、いきなりどうしたのだろうか。

 これまでずっとこの呼び方をしていて、燎良は特に何も言っていなかったのに。


「これからしばらく相棒みたいな関係性になるだろ。立藤先輩だと、なんか距離がある」


 言いたいことは、なんとなくわかるかもしれない。

 これまではほとんど接触したことのない先輩後輩、これからは先輩後輩という関係は維持しつつも、ともに業獣を狩る相棒のような存在になる。

 以前よりも少しだけ距離が縮まった関係になるため、今の呼び方のままは不満に感じたのだろう。


 とはいえ、主に燎良と接する場所は学校だ。彼は先輩であり、璃羽は後輩。学校内で言葉を交わすときは、どうしてもこの制約がついてまわる。先輩という呼び方は固定しておきたいところだ。

 ううんと首を傾げて悩む璃羽へ、燎良が言葉を告げる。


「特別な呼び方をしなくてもいい。燎良でいい。俺も璃羽って呼ばせてもらうから」

「えっと……じゃあ……燎良先輩、ですか?」


 少々悩みながらも、璃羽は指定された呼び方で彼を呼ぶ。

 変わった呼び方ではなく名前で呼ぶくらいならば、璃羽にもできそうだ。他の生徒の中にも名前で先輩を呼んでいる人がいるため、他の人の目がある中で呼びかけても変な目を向けられずに済みそうだ。

 だが、これまで異性を名前で呼んだ経験がないため、少しの気恥ずかしさを感じてしまう。

 わずかな照れを感じながらも燎良を呼べば、彼の表情が満足げに緩んだ。


「うん、やっぱりそういう呼び方のほうがいいな。ありがとう、璃羽」

「あ……い、いえ、別に……これくらいなら、わたしにも簡単にできそうだから」


 燎良の唇から自身の名前が紡がれ、感じる気恥ずかしさが強くなる。

 けれど、同時に先ほどよりも距離が縮まったように感じられ、胸の中がぽわぽわと温かくなるような感覚がした。


「改めて、しばらくの間よろしくお願いしますね、燎良先輩」

「ん。こちらこそ、俺たちのサポートをよろしく。璃羽」


 その言葉とともに握りこぶしを向けられ、璃羽も同じように握りこぶしを向ける。

 互いに手の甲を向け合い、こつんと触れ合わせて表情を綻ばせた。

 この関係がどれだけ続くのかわからない。業獣という共通の敵で結ばれた絆だから、今回限りの相棒になる可能性が高い。


 けれど、ほんのわずかな期間しか結ばれない、一時的な関係だからこそ――璃羽を助けてくれると言ってくれた相手を支えることができる関係だからこそ、大切にしたい。

 ぽわぽわとした胸を温めるかのような気持ちをしっかりと抱きしめながら、璃羽は目を細めて燎良の顔を見つめていた。

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