2-5 世界の裏側に潜むもの
ぴちゅ、ぴちゅと鳥がさえずる声が聞こえてくる。
は、と璃羽が気がついたとき、真っ暗だったはずの窓からは太陽の光が差し込んできていた。
どうやらあのあと、糸が切れたようにその場で眠ってしまっていたらしい。ベッドではなく床で寝ていたせいで身体は痛いし、十分に疲れがとれきっていないのか全体的に怠くて仕方ない。意識を失う直前に遭遇したものがものだっただけに、精神的にもぱっとしなくてコンディションは最悪だ。
だが、無事に朝を迎えられたのだと思うと、ほっと安心するものがあった。
(よかった。いつもどおりの日常だ)
安堵の息を吐き、なんとか身体を動かして制服へ着替える。
璃羽がよく知る日常の世界に戻ってこれたのなら、普段どおりの日々を送らなくてはならない。非日常の世界に触れ、その爪痕が残された心を少しでも癒やすためにも。
痛くて怠い身体を動かし、普段と同じように制服へ身を包む。ボサボサになっていた髪も整え、一階に下りるとすでに朝食をとっている父の姿とキッチンで母が璃羽の弁当を作ってくれている音が聞こえた。
何度も繰り返し目にした光景、耳にしてきた音だが、何度も非日常の世界に触れたあとだとひどく安心するものに感じられる。
「ん、起きたか。おはよう、璃羽」
「うん。おはよう、お父さん」
もう何度も交わしてきた定番のやり取りさえ、今の璃羽にはひどく安心するものに感じられた。
新聞から顔をあげ、こちらを見た父に挨拶をしてから璃羽も自分の席につく。
すでに用意してくれていた朝食へ手を伸ばそうとして、ふと、璃羽は顔をあげた。
「そういえば……お父さん、お母さん。昨日、夜にすごい音が聞こえたような気がしたんだけど二人とも聞こえた?」
ぽつり。呟くような声量で、璃羽は二人へ問いかける。
脳裏に浮かぶのは、昨夜の光景と音。壁をひっかくような音から始まり、最終的に窓ガラスを強く何かに叩かれている間、両親は音の発信源となっているはずの璃羽の部屋へ一切足を運んでこなかった。
璃羽にしか聞こえていなかったのか、それとも二人とも何かをしている最中だったから聞こえなかったのか――どうか、後者であってほしい。
ほとんど存在しないか細い希望に縋りたくて尋ねてみるが、父の答えも、キッチンから顔を出した母の答えも、璃羽のささやかな希望を打ち破るものだった。
「何か音がしていたか? 特に何も聞こえなかったと思うが……」
「私も、昨日は静かな夜だったと思うわよ? 璃羽、何か聞こえたの?」
そういった二人の顔は心底不思議そうなものだ。
(本当に、二人とも何も聞こえてなかったんだ)
あんなにもしつこく、うるさく、恐怖を感じるほどに窓ガラスを叩かれていたのに。
――ということは、つまり。
(あれは、私にしか聞こえてなかった)
ぞわり。再びなんともいえない不気味さが璃羽の背筋を駆け上がり、昨夜感じたばかりの恐怖がわずかに顔を出した。
「……ううん、なんでもないんだけど。もしかしたら寝ぼけてたのかも」
そういって、璃羽は不思議そうな両親を安心させるために笑顔を向けて朝食を食べ始めた。
目玉焼きにバタートースト、サラダという普段よく口にしている朝食だが、驚くほどにほとんど味を感じない。
正直なところ、食欲もあまりないのだが両親を心配させないため、なんとか口の中へ押し込んでいく。
そうしながらも、璃羽の脳内には一人の背中が浮かんでいた。
(――相談、しよう)
きっと、彼なら昨晩のあれが何だったのか、そしてどうすれば助かるのかわかるはず。
璃羽の頭の中で、一度は恐怖の対象となり、今では唯一頼れる者の象徴になりつつあるあの赤い瞳がこちらの姿を捉えた。
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