2-2 世界の裏側に潜むもの

 青年の背中を追いかけ、辿り着いた先は調理実習室の近くにある教室だった。


 机や椅子など一般的な教室にもありそうな設備に加え、複数の段ボール箱があちこちに置かれている。ちらりと中身を確認してみれば、ヒビが入った食器や古くなったフライパンなどの調理器具が入れられていた。窓のカーテンが閉められているのもあり、室内はほんの少しだけ薄暗い。


 先ほど彼は部室と言っていたが、普段は調理実習で使うものを置いている物置がわりの部屋なのだろうと簡単に予想できる。

 璃羽が後ろ手で扉を閉めたのを合図に、先に部屋へ入っていた青年が振り返る。


「まずは、ようこそ美食部へ。俺は部長の立藤燎良たちふじ あきらだ。どうぞよろしく」


 青年が芝居がかったような口調で名乗り、同様の雰囲気がある仕草で深々と一礼する。

 燎良と名乗った彼はすぐに顔をあげると傍にあった椅子に座り、目線で璃羽にも着席を促した。

 部室の中に広がっていく非日常の空気に気圧されそうになりながらも、促されるままに璃羽も着席する。

 目の前に座る燎良は同じ人間であるはずなのに、まとう雰囲気が常人のそれとは異なる何かがあるような気がした。


「……ええと、立藤……先輩でいいんですよね? さっき、先輩って言っちゃいましたけど」

「ん。そういうお前は後輩だよね。一年?」


 そういって、燎良は机に頬杖をついた。

 璃羽は一度だけ頷いて肯定し、再び口を開く。


「はい。姫井璃羽っていいます。改めて、昨日はありがとうございました。立藤先輩」


 今度はきちんと燎良の名前を呼んでから感謝の言葉を口にする。

 そして、真っ直ぐに燎良の目を見据え、胸の中で渦巻いているものの正体を知るために言葉を重ねた。


「それで……先輩。私が昨日見たのはなんだったんですか? 特に、あの黒い大きな動物みたいな化け物」


 璃羽の声が静かな部室の空気に溶ける。

 燎良は無言でしばしの間、璃羽を見つめたのち、ふっと唇を開いた。


「この世界には、普段俺たちが見ているものとは違う『裏側』がある」


 彼の唇が音を紡いだ瞬間。

 周囲の空気がふっと重くなったように感じられ、璃羽の心拍数が上昇した。


 今、璃羽がいるのは何度も日常を過ごしてきた高校。その中にある一室だ。普段はあまり寄りつかない部屋ではあるが、全く見知らぬ場所というわけではない。

 だというのに、まるで見知らぬ場所に足を踏み入れてしまったかのような感覚が璃羽の中を駆け抜ける。肌にまとわりつく空気がじっとりと湿っているようにも感じられ、まるで昨日の夜に戻ってきたかのような気分だ。

 燎良の声が、ゆっくりと言葉の続きを紡ぐ。


「世界の『裏側』に潜むものは、太陽の光が行き届く昼間の世界に出てくることはほとんどない。ほとんどが夜の間に活動し、一般的にありえないとされる超常現象を引き起こすことがある。……都市伝説とか怪異とかあるだろ、ああいう奴らが跋扈しているのが裏側の世界だ」

「じゃあ……昨日の黒い化け物も、そういったものの一つ……なんですか?」


 燎良が一度だけ大きく頷き、肯定する。


「あいつらは業獣ごうじゅうって呼ばれてる生き物で、裏側の世界に属する生き物の中でも特に危険性が高い」


 危険性が高い化け物。業獣。

 やはりあれは恐ろしい存在だったのだと改めて認識し、璃羽の背中を冷や汗が伝った。


「怒りや悲しみ、そういった負の感情が過度に膨れ上がることで生まれ、人が生み出す負の感情をエネルギーにして成長する。十分に成長したら実体化し、人から生み出された負の感情から人間そのものへ捕食対象を変え、自身を生み出した宿主や宿主周辺にいる人間を襲って喰らう。業獣はそういう生き物だ」


 ひゅ、と。璃羽の喉がわずかに音をたてる。


 人から生み出され、最終的に人を喰らって実害を出すものに己は遭遇していた――もし、あのとき燎良が来てくれていなかったら今頃、璃羽はあの業獣に喰われていた。


 理解ができない恐怖に加え、命の危機が迫っていたという恐怖。二種類の異なる恐怖が璃羽の心に広がり、呼吸がわずかに細くなった。

 あの夜のように、心臓が早鐘を打っている。


「……じゃ、あ。先輩は……何者、なんですか」


 おそるおそる唇を開き、璃羽は心の中に浮かぶ疑問を燎良へ向けた。

 燎良の話が真実なら、業獣は非常に危険性が高い生き物だ。猛獣と評価しても間違いではないだろう。

 では、そんな危険性が高い生き物と渡り合える燎良とは?


「先輩は業獣相手に戦ってました。そのうえ、業獣みたいな生き物まで引き連れて……先輩は本当に……何者、なんですか?」


 声量が自然とあがり、先ほどよりも大きな声で再度問いかける。

 対する燎良は、自身の唇の前で人差し指を立てる。声を発さず、ジェスチャーだけで声量を落とすよう伝えてから、改めて口を開いた。


「俺たちは『狩人』と呼ばれている」

「狩人……?」


 燎良が発した言葉を復唱し、璃羽は首を傾げる。


「多くの場合、業獣と出会った人は喰われて終わる。だが、ほんの一握り。ほんのわずかな人間は業獣の上に立ち、奴らを従えて奴らの力も自由に使うことができる」

「それが……狩人ですか?」


 璃羽の声に、燎良が大きく頷いた。

 ゆっくりとした動作で片手を動かし、さらに言葉を重ねていく。


「だが、狩人だって一般人から見れば危ない存在であることに変わりはない。俺たちは人間の味方でいるつもりだが、人知を超えた力を使う。人を捕食する化け物と戦う。……おまけに、狩人も最悪の場合は自分の力をコントロールできなくなる」

「……」

「お前だって、あの業獣と戦う俺を見て怯えただろ?」


 とっさに否定しようと口を開き、けれど璃羽はすぐに閉口した。

 恐ろしくなかった――と答えてしまえば嘘になる。あのとき、あの瞬間。非日常の世界をはじめて目にしてしまった璃羽は、目の前にいる恩人にも恐怖を感じていた。

 燎良も、感謝の言葉の一つも言わずに逃げ出した璃羽の姿を覚えているはずだ。


 黙り込み、膝の上に置いた手を強く握り込んだ璃羽を無言で見つめたのち、燎良は軽く息を吐きだした。

 まるで、ため息をつくかのように。


「……怖がるのが普通の反応だ。俺たち狩人も、自分たちが気味の悪い人間であることは自覚してるし」


 一言、そういってから燎良が話を戻す。


「とりあえず、狩人はそういう特殊な人間だ。で、狩人たちも自分たちに宿る業獣の力をコントロールするため、業獣を狩ってその肉を食べる。この世界の裏側は、そういうパワーバランスが存在する化け物たちの世界なんだ」


 これが、お前が気になっていたことだよ。

 最後にそう言葉をそえて、燎良は一度唇を閉ざした。 

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